第8話 学長室のヴィヴィアン
「じゃあ、聞こうか。」
夕暮れの学長室で、ヴィヴィアンとアレクサンドルは学長への報告を始めた。
「はい。今年は、昨年の対策が功を奏したのか、見込み数としては、十二件です。五件は例年通りのアルファ型で真実の愛を見つけた男子学生、三件がベータ型の両片思い、二件はデルタ型で女子学生が見切りを付けています。この他に大型案件が二つ。
一つは、第二王子関係で、婚約破棄申請も出ない見込みです。こちらは、政治的な背景をアレクサンドル殿下が調査中です。
もう一つは、侯爵家のニール関係ですが、薬物の持ち込みに関与しているようで、引き続き調査しています。」
「早計な婚約破棄の大幅減少は、昨年の強硬策の成果だな。よくやった。」
ヴィヴィアンの報告書を見ながら、学長が言う。
「婚約相手の瑕疵を暴き立てて公開処刑のように婚約破棄するとは、本当にこどもじみたやり方だ。証拠と証言を精査する、と言えば冷静になって踏み止まってくれるなら、ありがたいものだ。こども騙しみたいな策だと思ったが、相手はこどもだからな。」
「今年のアルファ型は、この顔触れなら、政治的なリスクはない。ヴィヴィアンはどうしようと考える?」
「学院の規則通り、婚約破棄の申請を上げるならば、両家立ち会いの元、一週間前に調停を院内で実施します。」
「申請が出なかったら?」
「破棄する側は、即刻、退学処分として、卒業資格の剥奪を。」
ヴィヴィアンはこの処分を導入するために、毎年少しずつ学院の規則を変えてきた。規則で強制的に人の行動を変えることは容易だが、人の意識を変えるには時間がかかる。啓蒙活動と規則作りを並行しながら、五年目にしてようやく、集大成となる。
「よかろう。ベータ型は、スクールカウンセラーに対応させる、でよいか?」
「はい。」
「デルタ型は、穏便な婚約解消に向けて私が本人たちと面談する。」
学長は、報告書を引き出しにしまうと、二人に向き直る。
「問題は、大型案件だな。第二王子は、馬鹿じゃないからな。報告の通り、裏に別の問題があると見ていい。その点、アレクサンドル殿下にご助力頂きたい。」
「はい…」
「ニールの件については、引っかかるな。マイヤーの長男が軽率な真似をするとは思えない。薬物の件、何かわかったら、報告して欲しい。」
話を切り上げようとしていた学長が、思い出したようにアレクサンドルに声を掛ける。
「私は、王家も政治も好かない。学院内のことにしか興味がない。これ以上手を貸すつもりはない。」
王族の一員に好かない、と明言した学長にヴィヴィアンは驚いた。ヴィヴィアンは、今まで、学長のことをよき指導者であり、常識人だと認識していた。その発言は、さすがに不敬ではないだろうか。
また、
アレクサンドルに目を向けたが、その表情からは何も読み取れず、部屋を出るアレクサンドルを追いかける他なかった。
「ねえ、どういうこと?」
学長室から続く廊下でアレクサンドルの背中に問いかける。
「…言葉の通り。」
アレクサンドルは振り返りもせず答える。
「これ以上って何?」
足を速めて、アレクサンドルの横に並ぶ。長身のアレクサンドルは歩幅が広いため、すぐに置いて行かれる。
「…まあ、途中入学とかな、借りがある。」
あからさまに、説明したくない、という態度だ。
「そんな文脈だった?突然、何で政治なんて言葉が出るの?」
廊下を抜け、回廊に出る。
「じゃあ、友人殿、きみもまだ俺に話していないことがあるだろう?先にきみの話をして。何故、学長の手先をしている?」
急にアレクサンドルが立ち止まり、ヴィヴィアンと向き合った。
「それは… 就職の推薦条件よ。王宮の事務官… 政策研究員の推薦が欲しい。」
ヴィヴィアンが学長以外の誰にも話したことがない話だ。
「何故?」
アレクサンドルの追及を振り切りたくて、ヴィヴィアンは歩き始める。
「ウチはお金に困っているのよ!」
アレクサンドルも横に並ぶ。
「何故、政策研究員?」
「… ただの文官じゃ、弟の学費に足りないのよ。」
回廊から、学舎に入る。
「政策じゃなくても、もっと門戸の広い研究員枠もあるだろう?」
「変えたいの。 一度落ちたら這い上がれないような階級制度… 誰にでも機会が与えられるように仕組みを変えたいのよ。」
アレクサンドルはため息をついた。
「… 政治だよ。政策は。きみみたいに、世間知らずで、方正で、後ろ盾のない女性が、汚い取引にまみれた政治の世界で生きられる?」
「やってみる価値ぐらいあるでしょう! そんな言い方しなくてもいいじゃない!」
ヴィヴィアンはかっとなって、アレクサンドルから足早に立ち去る。
苦労したことがない、とは言わないが、今、現に王族のアレクサンドルには理解しろという方が無理な話だ。彼は、特権階級なのだから。
亡くなった両親や、幼い弟の顔が脳裏に過ぎって目頭が熱くなる。事実を突きつけられて泣くなんて、あんな言い方をするアレクサンドルに見られるのは悔しい。認めているようなものだ。
アレクサンドルは何も言葉を返さないが、後ろをついて来ているのがわかる。
「もう、いい! 今日はもう話したくない!」
前を向いたまま、アレクサンドルに告げ、人気のない手近な教室の扉を開けて滑り込むと、後ろ手に締めて鍵を閉める。
涙が出るせいか、早歩きしたせいか、息が上がっている。扉に背をもたれて、座り込んだ。
扉の向こう側に足音が近づいたが、また遠ざかって行った。
アレクサンドルが言ったことは正しい。政策案を作るだけなら、アレクサンドルの言うようなものは要らない。その後、その政策の承認を取るには、地位も後ろ盾も、時には汚い手段だって使う必要がある。
わかってはいるが、今のヴィヴィアンには、他にやりたいことが見つからない。
手首の上に目を押し当てて、涙が止まるのを待っていたら、上着の袖がすっかり濡れてしまった。目も腫れているかもしれない。
現実を見るのが怖かったのに、アレクサンドルに現実を突きつけられた。
今、目を開けたら、また現実の、非力な自分と向き合わなければならない。外は暗くなっているだろうし、室温も下がってきたため、そろそろ帰るべきだ。
膝を抱え、頭を垂れ、うずくまって泣いていても、何も変わらない。それでも、もう少し現実逃避していたい。
立ち上がるための気力が湧くまでもう少しここにいようか、と思った時だ。
近くに足音がした。
顔を上げようとすると、突然、頭の上から、布が被せられる。
「…ぅわあぁ…」
涙で掠れて、声がうまく出ない。
「あ、すまない… 外套と鞄を… 持ってきた… 寒くなるから…」
アレクサンドルの声だった。頭の上に被さったものは、ヴィヴィアンの外套らしいとわかり、そっと顔を出す。
思っていた通り、日は落ちて、教室は暗くなっていた。
「…ありがとう… 」
アレクサンドルが、しゃがみ込み、片膝を床について、ヴィヴィアンと視線を合わせる。
「… 言い過ぎてごめん。気が立っていて、八つ当たりした。悪かった。」
アレクサンドルは右手を差し出す。
「アレクが言ったことは正しいから… 悪くない。」
握手を求められているようだが、涙で湿っぽいため、手を出したくない。
「仲直り、したい。」
アレクサンドルが手をヴィヴィアンのすぐ近くに寄せる。
「…仲直りする。でも、手は…濡れてるから…」
こういう時に限ってハンカチが出てこない。アレクサンドルが持ってきたというヴィヴィアンの鞄の中だ。
しばらく同じ姿勢でいたため、身体がすぐに動かない。
アレクサンドルは、もう片方の膝も床につくと、ヴィヴィアンの膝ごと包むように、手をヴィヴィアンの背中に回す。
「本当にごめん。泣かせるつもりはなかった。きみのやりたいこと、応援する…」
じんわり、温かかった。すぐそばにあるアレクサンドルの顔や、背中に回された手のひらが温かくて、また涙が出た。誰かに、応援されたいと思ったことはなかったが、嬉しかった。相談したり、助言や励ましを貰ったり、友人とは、そんな関係なのかもしれない。
「ありがとう… 今、泣いてるのは…違うから… 涙が…止まらない…」
アレクサンドルは、ヴィヴィアンが落ち着くまで、背中をさすってくれた。
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