第7話 街歩きするヴィヴィアン



 約束の時間にヴィヴィアンが馬車廻しに行くと、黒い地味な馬車が一台止まっている。


 そっと中を確認しようとすると、扉が開いた。


「おはよう。」

 馬車の中には、黒縁眼鏡をしたアレクサンドルがいた。服装は、よくいる感じの貴族青年といった風で、悪目立ちしない格好だ。


「アレク?」

 ヴィヴィアンは思わず、確認する。

「なんだ?」

 怪訝な顔で答えるアレクサンドル。


「前髪がいつもと違って…もっさりしてないし、額が出ているし、眼鏡を掛けているから、ちょっとわからなかった…変装?」

 前髪で眉毛や目を隠しているから、わかりづらいが、王家の血を引くだけあって、顔立ちは整っている。美女ばかりの血が入る王家なのだから、当然だ。鼻筋は通っているし、額も広く気品がある。


「いろいろあるんだよ… とりあえず乗って。」


 王族のお忍び事情はいろいろあるらしい、と納得することにする。

 ヴィヴィアンが乗り込むと、ゆっくりと馬車が動き出した。


「… 今日の出費は、学院から経費で出るから。気にしないで。」

「ありがとう… 掛け合ってくれて…」


 一体、どんなお金の使い方をする気なのだろう、とヴィヴィアンは不安になる。

 街の偵察は、今まで、本当にただ街を練り歩いて、オープンカフェなどを店外から覗き見る程度だ。街のベンチに座って飲食する代金ぐらいしか思いつかない。


「まあな。まず、仕立て屋に寄って、それから行動開始。いい?」


「うん…」

 殿下に屋台の飲み物や食べ物はよろしくない、ということか。

 ヴィヴィアンは、疑心暗鬼のまま馬車に揺られることになった。




 二人が、馬車を降りたのは、繁華街の真ん中にある王室御用達の仕立て屋の前だった。レンガの壁に深い緑色の窓枠。ところどころに蔦が絡まっているから、夏には蔦に覆われてが美しいのだろう。


 アレクサンドルの買い物かと思い、ヴィヴィアンは店の隅で小さくなって待つ。すると、メジャーを持った店員がやってきて、あれよあれよという間に試着室に移動させられた。


「殿下!?」

 ドア越しに、叫ぶ。


「変装して。」

ドアの向こうから、返事が返ってくる。


 店員たちは、承知した、という笑顔で、ヴィヴィアンの服を脱がせ、新しい服を着せてゆく。

 眼鏡を外され、化粧を施され、髪も結い直された。


 怖くて値段は聞けない。飲食店の中に入るから、このみすぼらしい格好では問題がある、ということか。

  ヴィヴィアンには、服を買う余裕もないのだから、仕方ない。


「あの、眼鏡は、ちょっと外したくないんですけども…」

 ヴィヴィアンは試着室内の店員に声を掛ける。


「え?でも、これは、度が入っていないですよね?」

 一人が外した眼鏡を覗き確認する。

「そうなんですが… 」


「では、別の眼鏡をご用意します。」


 店員がいくつかの眼鏡を持ってきた中から、一つ選ぶと、ヴィヴィアンは試着室を出た。



「お待たせしました。変装になりましたか?」

 こんなに仕立てのよい服は人生初だ。


「… 二人とも眼鏡なのはどうかと思うけど…まあ、いい。」

 アレクサンドルは、さっと検分して答えた。

「じゃあ、同じサイズで他にも数着、女子寮に送っておいて。」


「そんなに?」

 ヴィヴィアンは、店員を止めようとするが、アレクサンドルに遮られる。

「また来るの面倒だから。」

「…ありがとうございます。」

 王族のお金の使い方は理解できない。やはり、血税王子だ。





 仕立て屋の女主人が、ヴィヴィアンに背を向け、小声でアレクサンドルに話し掛けた。


「殿下、贈り物ならば、もっとヴィヴィアン嬢に似合う淡い色味でも良かったのではありませんか?」

「そういうのじゃないから、あれでいい。支払いは俺に回して。」


「それでは、好意が伝わりませんよ?」

「好意? 違う、厚意だよ。」


「外出着だけでよいですか? 夜会用などは?」

「… 多分、要るな。まあ、また来る。 他にも、部屋着とか、今日着てきたようなシンプルなデザインの普段着も寮に送って。」


「はあ…ヴィヴィアン嬢には、はっきりお伝えしないと、当店のものを普段着として着てくださらないような気がします。」


「報酬代わりだからいいんだよ。着てもいいし、換金してくれても構わない。」


「かしこまりました。そのように承ります。」

 女主人は、言葉とは裏腹に、納得行かないという顔でアレクサンドルを眺めた。


「好意でも、厚意でも、女性にお召し物を贈ったなら、似合っている、とか、何かお声掛けくださいましね。マナーとして。」

「…努力する。」


「殿方には、わからないかもしれませんけど、見違えるほど洗練されましたよ。せっかくのお顔が台無しになるから、眼鏡はよして頂きたかったですが。」

「顔?」


 女主人は、呆れた顔で店の奥に戻って行った。






 通りに出て歩き始めるが、履き込んだブーツから、踵のあるパンプスに履き替えたため、ヴィヴィアンは歩きにくい。


「あの… 少し、歩くのをゆっくりに…」

 ヴィヴィアンが前を歩くアレクサンドルに声を掛けると、驚いた顔をされる。

 貴族の端くれなのに、踵の高い靴も履けないのか、と呆れられたようだ。


「気が付かずに悪かった… はい。」

 アレクサンドルが肘を突き出してくる。


「…そういう意味では… 」

 ただ、歩調を緩めて欲しいだけだ。


「貴族の女性を…エスコートしたことがない。街歩きでは、してない方がおかしいようだ…」

「私も、街歩きは一人でしかしたことがないし…よくわからない…」


 二人して周囲を見渡していると、後方に控えていた護衛官と思しき人物が、そっと口を挟む。


「するべきです。」



 ちらりとアレクサンドルを見ると、護衛官に指摘されたのが気まずいのか、視線を逸らしたまま肘を突き出してくる。


「じゃあ…」

 ヴィヴィアンは申し訳程度に、肘に手を掛けた。エスコートは、適切な速さで歩かせるための、散歩用の犬のリードと同じ役割かもしれない。


 気まずい雰囲気が漂う。護衛官が殿下にだけ聞こえるように言うなどのデリカシーがあれば、沈黙の散歩にならなかったのではないか。ご落胤だからと、付き人にまで蔑まれているのであれば、不憫だ。



 手を掛けたおかげで、歩く速さの按配はよくなるが、話しづらい雰囲気は直らない。


「リストランテ・ダヴィドからだ。テラス席は予約済み。」

 ぶっきらぼうに行き先を告げられる。確かに店のリストは渡したが、予約してあるとは思わなかった。


「予約客も確認済み。リストアップされた組が同じ時間帯に来るはずだし、俺たちの席からなら、向かいのカフェの席も見えるから、ゆっくり昼食を取るぞ。」


「ありがとう。そんなに段取りが良いとは… 」

 いつもの泥臭い偵察とは雲泥の差だ。



「えっと… 私、さっきの仕立て屋で鏡を見てこなかったんだけど、学院の人に、私だと認識される可能性って?」


「は?」

 先ほど、ゆっくり歩くよう頼んだとき以来、暫くぶりにアレクサンドルがヴィヴィアンの顔を見る。

「あ… ごめん… ああいう服の買い方は初めてで、動転して姿見を見忘れました…」


 アレクサンドルが眼鏡を上げ、目頭を押さえて言う。

「眼鏡も違うからな。気づく人はいない。悪くない。」


「どうも…」

 ヴィヴィアンは、変装として及第点であると理解した。




 学校にいるときも、あまり会話が弾まないが、街に来たら来たで、余計に話し辛い。一人で串焼きでも頬張りながらベンチに座って半日過ごす方がラクだったのでは?とヴィヴィアンは思った。

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