第1話 教室のヴィヴィアン
王都の北西にある丘陵の文教地区にレアルミネルヴァ学院は立地している。
ヴィヴィアンは、学院の東端にある寮から並木道を学舎に向かい歩いている。日が上って間もない時間のため、人影は少ない。
寮は個室ではあるものの、貧乏子爵家の出のヴィヴィアンの部屋には暖炉はなく、火鉢に入れる炭さえ倹約している。だから、冬の間は極力、暖炉のある学舎で過ごすようにしているのだ。
「あぁ、今日も寒い…」
誰に言うわけでもないが、そっと口に出して言ってみる。
友人付き合いの希薄なヴィヴィアンが、授業以外で喋ることは殆どない。だから、毎朝の人気のない通学路は、独り言を言いながら歩く。
ちょっとした発声練習でもある。
ヴィヴィアンは、王都から遠く離れたマーレ地方から単身上京、進学して五年になる。
子爵家階級からの進学は、よほどの資産家でなければまず難しい。12歳から18歳までの6年間にかかる学費は高額である上に、入学試験に受かるための学力を身につけるためには、入学前にも相当な教育費を注ぎ込まねばならない。
ヴィヴィアンの一族は、代々医師の家系で、レアルミネルヴァ学院卒業後、王立の医学研究室で臨床を学んだ後、王立機関で医師として勤務したり、開業したりしている。
子爵家の当主だけは、医師を廃業するが、父も、祖父も、曽祖父も、叔父も大叔父も医師だ。
正直、子爵位についてくる領地経営が一族の家計を圧迫している。不向きな仕事で儲けが出る訳がない。
一族は、レアルミネルヴァ学院への進学費用を捻出できているかというと、そうではない。親族内で分担して、初等、中等教育をし、特待生枠を活用して進学するという稀有な方法を取っている。
子爵家の領地運営よりも、進学準備のための予備校を貴族向けに開校した方が儲かるのでは、という議題は、親族の集まる質素な晩餐でのお決まりの冗談話でもある。
昨日、ヴィヴィアンが学長室で学長から紹介されたのは、この国の第三王子だった。その、スキャンダラスな登場は社交界だけでなく、世間をも騒がせた。
それまで、国王の血を引くが、訳あって市井で育ったという彼は、王宮に住まいを移し、王宮で王族としての教育を受けた後に社交界にデビューするという話だった。
その彼が二ヶ月前に学院に編入してきた時、学院内では、どんな野生児がやって来るのか、と噂された。
皆が、肌は浅黒く、目つきは鋭く、粗暴な人物を想像した。
しかし、ヴィヴィアンと同じクラスになり、教室に現れたアレクサンドルは、野暮ったくはあるが、行儀もよく、野生児ではなかった。
市井育ちと聞いて、貧民街の孤児を思い浮かべた学生の内、良心的な者は内心で彼に謝罪した。
「変わった人… 」
振る舞いはそこそこ洗練されているにも関わらず、自分のことを
階級社会のため、学生であっても男性は、無難に
学院内で、王族としては唯一、第二王子が一学年上に在籍している。彼が、王太子である以上、多くの学生が第二王子へ忖度し、アレクサンドルへ積極的に関わろうとはしなかった。
また、アレクサンドル自身も、周囲の学生を観察している様子はあるが、距離を置いていた。
だから、学長室で学長に紹介されるまで、ヴィヴィアンのことは認識すらしていなかったようだ。教室に戻って話をしたときも、クラスメイトであることも気づいていないようだった。
だから、少し油断をした。
昨日、教室で話したアレクサンドルは、想像以上に快活だった。ヴィヴィアンが思わず警戒を解いてしまうほどに。
「気をつけよう…」
ヴィヴィアン自身、学院で目立たぬよう、諍いに巻き込まれぬよう、ひっそりと過ごすようにしてきた。
ただでさえ、成績上位者が集まるクラスで高位貴族に囲まれて浮いた存在である。一方では、同じような子爵、男爵層からは、成績の点で僻まれる上に、特待生で学費免除までされているため、やっかみと蔑みが入り混じって、付き合い辛い。
トラブルもなく、卒業まであと一年数ヶ月というところまで来たのだ。ここで、今さら目立つことはしたくない。
正直、第三王子のお守りなどという厄介ごとはご免だ。
昨日は、うっかり親しげにも握手などしてしまったが、距離を置いて生活しよう、と心に決めた。
いつも通り登校すると、目立たない席に座り、教科書を開いた。
暫くして、教室に入ってきたアレクサンドルの姿が視界の片隅に入ったが、気付かれないよう、視線を合わさないように気をつける。
しかし、アレクサンドルはヴィヴィアンを見つけたのか、ヴィヴィアンの席にまっすぐに歩いてくる。
まずい。ヴィヴィアンは、統計学の教科書を持つ手に力を入れた。
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