第2話 教室のアレクサンドル
アレクサンドルが学長によって、ヴィヴィアンと引き合わされた翌朝、自分の教室に入るとヴィヴィアンが片隅に座っているのを見つけた。
始業時間よりかなり早いため、生徒はまばらだ。
ヴィヴィアンの存在感の消し方は、ある意味才能である。昨日、話をしていなければ、クラスメイトだとは気づかなかっただろう。
アレクサンドルは、さりげなくヴィヴィアンの隣に腰掛けた。
「おはよう。」
「… おはようございます。殿下。」
教科書から、顔も上げずにヴィヴィアンが答える。
「挨拶は、顔を見てしたほうがいいぞ。」
アレクサンドルはちらりとヴィヴィアンをうかがう。昨夕、教室で二人で話したときも素っ気なくはあったが、無愛想というほどではなかった。
一晩で嫌われるとは、考えにくい。
「… あの、教室では、私に話しかけないで頂けると…」
やはり、目を伏せたまま返事が返ってくる。
「なぜ?」
「情報収集のため、気配を消しています。」
「不自然だろう?」
アレクサンドルもヴィヴィアンに合わせて、小声で話す。
「このように、第五学年までやって参りましたので。」
学長のやり口が心配になる。一人に背負わせすぎではないだろうか。
「… 友だち付き合いは?」
「…親しくなりすぎると、情が移りますから…」
「… きみがそれでいいならいいが… どうであれ、俺はきみと友だち付き合いさせてもらうよ。俺も、落胤として、腫れ物扱いされて、友人の一人もできないのだから。」
これは事実でもあるし、ヴィヴィアン向けの言い訳でもある。入学以来、あえて友人を作ろうとしていなかった。近づいてくる者たちには、王族と懇意にしたいそれなりの理由がある。そういった付き合いを避けようとすると、下心のない人物を自ら探し当てない限りは友人などできない。
ヴィヴィアンは、それに当てはまっているように感じた。
アレクサンドルも、隣で本を広げる。
「もしかして… それは、『沈黙の軍馬』の第六巻では?」
「そうだけど?」
気を引きたくて本を広げたわけではない。だが、会話のきっかけになるならちょうどいい。
「昨日発売ですよ。どうしてそれを?」
「職権濫用の一つ。」
とは言ってみたが、使用人の一人に朝から書店に並ばせただけだ。
「読み終えたら、貸していただけませんか?」
先ほどまでの、話しかけないでという雰囲気はどこへ行ったのだろう。現金なものだ。
「女性で、諜報員モノの小説が好きだとは、なかなかいい趣味だね?」
「… 処女作から、コンプリートしています。専ら、図書館で借りるのですが、人気があっていつも数ヶ月待ちです…」
「じゃあ、
読む用、飾る用、保存用の三冊ある、とは言い難い。本の趣味の合う友人など、何人友人がいようともほんの一握りだ。同じ本を読み進める高揚感を共有できるなら、次の巻からは、もう一冊、彼女の分を買ってもいい。
「…では
ヴィヴィアンは、顔を上げると、にこやかに微笑んだ。
「… 笑うと、親しみやすい。もう少し笑うといい…」
「… 弱みを見せるようで… あまり、得意では…」
思ったことを口にしただけだが、失敗だったようだった。ヴィヴィアンは、また下を向いてしまった。教室での初めての
「まあ、いい。あの件は、差し当たって、何から始める?」
「対策案の骨子はあるので、今年の見込み数と対象を調査したいです。平日の昼休みは、カフェテリア、空き教室、中庭のベンチを観察。休日に、逢引き場所になりそうなカフェなどのデートコースを巡回します。当面は、放課後に現状をご理解頂くための時間も…」
アレクサンドルはため息をつく。
「… それ、毎年、一人で?」
気の滅入る仕事だ。そんな仕事のことですら、事務的なことであれば、饒舌になるようだ。
「だいたいそうですね。」
「…人間不信、とか、男性不信にならない?」
「人並みに…男性不信です… 破棄の当事者よりマシです。」
ヴィヴィアンは俯き、下唇を噛んでいる。
「そりゃ、そうだな。」
この学院の、この国民の、どうしようもない10代が、そんな風に感じさせて申し訳ないように感じる。真っ当な感覚ならそう思うだろう。
いくら、流行であっても、婚約を解消したいだけなら、人を傷つけない方法を取るべきだ。
「殿下は、学業の方はいかがですか?」
ヴィヴィアンが口を開く。
「いかがって?」
突然、自分のことを尋ねられて、どう答えてよいかわからない。
「進級の心配とか、成績についての王家のノルマとか?」
「ご心配なく。庶民だったけど、教育は受けてるし、念の為、編入に当たって下の学年に入ってるから。」
「承知しました。年上なんですね。」
「年上だからといって、敬語は要らないから。」
縮まらない距離にもどかしさを感じる。
「年上というよりは、王族だから、です…」
「… そうか。あまり、気にしなくていい。何度も言うけど、庶民だったから。」
「わかりました。もう少し慣れたら、変えますね…」
「で、勉強の話は何か問題?」
「期末に試験がありますが、試験前に、殿下が活動を控えたいかどうかの確認でした。」
「じゃあ、お気になさらず。きみは、首位なんだっけ?」
事前に聞いた話では、入学以来、全ての試験でほぼ満点を取っているとか。友だちもいないなら、勉強ぐらいしか張り合いがないのかもしれない。
「特待生なので。4位以下になると、全額免除から、75%免除に、11位以下だと50%免除、21位以下で退学です。あ、50%免除の場合でも、学費が支払えないので、自主退学します。」
特待生制度は、厳しい。精神的な圧力に負けてしまう学生もいるという。
友だちがいないから、ではない。友だちを作るような、余裕がないのだ、と気づく。まるで、本人に問題があるかのような見方をしたことを、心の中で詫びる。
「厳しいね…」
「いえ、今まで危機的な状況にはなったことはないので、恐らく問題ないです。」
「週末の巡回、活動費は学院から出てるの?」
「いえ、自主的な活動なので。資金は… 学内外の新聞に寄稿して原稿料を貰ったり、試験前に個人指導をして稼いでいます。」
勉強して、お金を稼いで、学長のために働く。頑張り過ぎではないか、とアレクサンドルは首をひねる。
「… 学長に活動費を請求しようか。今年から。俺は小遣いがあるから、大丈夫。」
「それ、国民の血税です。」
反応が早い。税金の使い道をよほど気にしている。普段から、節約しているからか。国民の目はかくも厳しいものか。
「ここ、王立学院だから、学長に払わせても、税金からの支出で同じ。」
「そうでした… 余計なことをすみません…」
「いや、いい感覚だよ、そういうの。」
「ありがとうございます?」
ヴィヴィアンが俯いたままちらりとアレクサンドルを見やる。
長いまつ毛が瓶底眼鏡の間からちらりと見えた。
「じゃあ、ひとまず、今日の昼休みからね。よろしく。」
「こちらこそ。手順を覚えて頂いたら、それぞれ別の場所に張り込むようにしましょう。」
さらりとヴィヴィアンの言った言葉に引っかかりを覚えた。
「… 俺は、どちらかというと、引きこもりじゃないから、単独行動ばかりだと、飽きるし、さぼるよ?」
「…引きこもりですみません。共同作戦多めで考えます。」
ヴィヴィアンは、教科書で顔を埋めるように隠してしまった。
「ごめん!ちょっと語弊が…」
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