エンタメ化した婚約破棄を撲滅しようとしたら、第三王子の罪滅ぼしが始まりました
細波ゆらり
第0話 プロローグ
私が眠る前には、いつもアレクサンドルがそっと口付けをくれる。
それが始まったのは、何か月か前。私たちが出会って一か月ほど経った頃だった。
私たちの出会いは、必然だった。
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「俺が、風紀委員っておかしいだろう…」
レアルミネルヴァ学院の教室の一角で、この国の第三王子アレクサンドルが呟いた。細身の長身、もっさりと長く、瞳を隠すほどの前髪。彼は二ヶ月前にこの学院の第五学年に編入してきた。
椅子に浅く腰掛け、長い足を机の上に伸ばし、足首を組んでいる。
アレクサンドルのそばには、学院の風紀委員長であり、特待生の子爵令嬢ヴィヴィアン・マーリンが座っている。
「学長のご指示なので、私には、何とも… まずは、半年後に差し迫った最終学年の卒業パーティーの対策を立てたいので、ご協力… というか、ご賛同いただきたいです。殿下。」
黒縁眼鏡、深い栗色の髪を三つ編みにした才女が答える。
「半年後って、差し迫った、って言うか?ヴィヴィアン嬢?」
呆れた様子でアレクサンドルが答える。
「昨年の卒業パーティーでの婚約破棄件数が20件。8年前の最盛期の50件からは半減したのですが…」
ヴィヴィアンは、手元のファイルに目を落としたまま答える。
「ちょっと待って! 最盛期は50件?? 去年20件??」
アレクサンドルは、数字を繰り返し、机から足を下ろす。
「ええ。30年前の当時の第一王子による一号事件から、婚約破棄事件は右肩上がりで、半減というのは、これでも近年稀に見る大きな成果です。」
淡々とヴィヴィアンは答える。
「だって、1学年100人だろ?最盛期は全員がカップリングされていたとして、ほぼ全員?!」
呆れ顔でアレクサンドルが問う。
「当時は、卒業生や学外の人も、この場で婚約破棄したい、と招待状がオークションに出回るほどで…」
ヴィヴィアンは、ファイルをめくり、当時の新聞の切り抜きを見せ、オークションの落札価格を指差した。
ヴィヴィアンが後毛を耳に掛けながら、アレクサンドルを冷やかに見つめる。
「この国の貴族の18歳のレベルはこの程度です。ご承知おきくださいね、殿下。」
「別に、この国を憂いてないぞ。俺は、国王の落胤。半年前に認知されるまでは、庶民暮らしだからな。国に興味ない。」
アレクサンドルはまた、机に足を乗せ、椅子を傾けてぶらぶらしている。
「話を元に戻しますと、昨年は、試験的に陪審員制を導入しました。婚約破棄の希望者20件の審議が終わるまで、三日かかりまして… 陪審員の学生の親から他人の茶番に三日も拘束するな、とクレームに。」
これは、ヴィヴィアンにとって誤算だった。20件を審議するにあたり、重要な証言者がA案件とB案件で重複し、証言者待ちで進行が遅延した。また、証言者の買収も横行し、証言そのものの精査にも時間がかかったのだ。
「第三者が審議する、としたら、半減したんだ。いい抑止力じゃん。」
アレクサンドルから他人事といった風な返事が返ってくる。
「まあ、一定の成果にはなりました。そこで、陪審員が、婚約破棄の妥当性の審議、証拠の精査を、卒業パーティー中に行うのは難しいので、今年は、破棄の申し立ては卒業の三ヶ月前、証拠提出は二ヶ月前としたいです。そのためには、遅くとも、来月初旬には、申請期間と必要書類のガイドラインを校内に発表したく。」
「なるほど。で、これはきみの一存で?」
「いえ、その前に、学長の承認も貰わなければなりません。なお… 殿下が仰っている風紀委員、という組織は表向きは存在いたしません。通りがかりの優等生が学院運営をお手伝いする、それだけですわ。」
「…
アレクサンドルは、ため息をつく。
「ねえ、この問題の本質は何だと思う?」
改めて、ヴィヴィアンに問うた。
「表面的には、エンターテイメント化した婚約破棄文化、本質的には、形骸化した政略結婚。」
「なるほど。その通りだね。」
平和呆けした貴族社会、ゴシップに飢えた人々による自作自演。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
「王家視点では、資質の伴わない王子の廃嫡を正当化できるというメリットはありましたが、こうも定着してしまうと、王家への信頼が損なわれるので、抜本的な対策が必要でしょうね。」
アレクサンドルは、本当に王家に興味がないようで、相槌もない。
「しかし、私は学費を全額免除いただいている身なので、在学中は、学長の意向が第一です。現学長は就任以来、一度も卒業パーティーの最後に挨拶できていないのです。卒業生の門出を祝う祝辞が、婚約破棄に掻き消されるという事態を解決する、これが、私の卒業までのミッションです。」
ヴィヴィアンは、ようやく顔をアレクサンドルに向けると、ニヤリと笑顔を見せた。
「… きみ、堅物かと思ったら、そういう冗談も言えるんだ… よし、乗った。手伝うよ。婚約破棄ショーの撲滅、あるいは学長の祝辞の復活だな。」
アレクサンドルは、そう言うと、灰色とも水色ともつかぬ瞳を細めて微笑んだ。
アレクサンドルはヴィヴィアンに手を差し出し、二人は堅く握手した。
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