父ちゃんの豆腐

ピーコ

父ちゃんの豆腐

俺は寺田康弘45歳。

父と母は、俺が物心ついた時から豆腐屋を営んでいた。盆暮れ正月以外は、店を開けていた。父は夜中に起きて、仕事をしていた。その後に母も起きて父の仕事を手伝っていた。豆腐屋の1日は長い。うちの店は、大阪のとある商店街の中にある小さな豆腐屋。じいちゃんの代から続いている。昔からの馴染みのお客さんが多い。子供時代は、寂しかった。俺は、一人っ子で、家に帰っても父ちゃんと母ちゃんは働いている。俺は、店が閉まる19時まで、友達ん家で遊んだり、外で走り回ったりしていた。忙しい父が、よく言っていた。

「やすは、ええなー。いつも、暇そうに遊びに行ってて。俺もたまには、店ほっぽらかして遊びに行きたいわ」その時、俺は父に言った。「父ちゃんもたまには店休んで遊んだらええやんか」そういうと父は、「そういうわけには、いかへんのや。俺が作った豆腐を皆待っとんねん」父は誇らしげに言った。

そんな忙しそうな父を見て、俺は、絶対に豆腐屋にならないと決めた。客は、近所のお客さんだけ。近くにスーパーが出来てからは、来るお客さんもだいぶ減った。正直、うちは、貧乏だった。

こんなに一生懸命働いても貧乏とか、俺は絶対嫌だと思った。俺は、勉強して東京の大学に入り、卒業した後は、そのまま東京に残り、システムエンジニアになった。俺は無口で愛想も悪い。パソコンに向かって仕事するのが性に合ってる。25の時、今のカミさんに出会って結婚し、のちに子供も産まれた。父と母には、たまに電話した。

豆腐屋も細々と続いているようだった。お盆と正月は大阪に帰った。父も母も元気で、俺は、安心していた。そんな日が、ずっと続くと思っていた。半年前、父が倒れて帰らぬ人となった。父は、この何年も心臓を患っていたらしい。母は

俺に心配をかけまいと黙っていたらしい。父も

俺には言うなと口止めしていたらしい。通夜と葬式が終わり、落ち着いたので俺は東京に帰ろうとした。そんな時、母が一冊のノートを渡してきた。「これ、お父ちゃんが、遺してったノートやねん」俺は、ノートを受け取った。ノートには豆腐を作る工程がイラストとともに丁寧に書かれていた。「これ……」「お父ちゃんなー、病気がわかってから、仕事の合間に、このノートに書き留めててん。別に、なんも言うてへんかったけど、ホントは、やすに店継いで欲しかったんちゃうかなー」母は言った。「でも、俺は」俺は口ごもった。「無理にとは言わへん。やすは、やすの考えがある。家族もいてるしな。」母は寂しそうに言った。俺は東京に帰り、家族に、そのノートを見せた。カミさんは、「あなたは、どうしたいの❓」と聞いてきた。息子は、「俺は、大学もあるし大阪にはついて行けないよ。」と言ってきた。俺は、「困ったなー。」と頭を抱えた。

カミさんが言った。「ホントは、もう、あなたの中で答え決まってるんでしょ。今すぐは、大阪には、ついていけないけど、後で、行くから、帰ってあげて。」俺は、「ごめんな、迷惑かけるけど。大阪行くわ」と言った。俺は、それから

大阪に戻り、母に豆腐作りを一から教わり今に至る。近所の人達は、喜んでくれた。「やす、頑張れよ。早く、おやっさんの豆腐の味に近づけるようにな」また違うお客さんは、こう言った。「スーパーの豆腐は、豆の味が薄くてあかんねん。やっぱ、この店の豆腐やないと」長年愛された味を俺は、受け継いでいきたい。

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父ちゃんの豆腐 ピーコ @maki0830

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