第3話
逃げようにも、体が思うように動かなかった。全力疾走して疲れたのもあるけれど、何より僕は、逃げられないよう調教を受けていた。逃げたらどうなるか、身に染みて叩き込まれている。
「そろそろ妊娠すんじゃね?」
「一人産めば金貨五〇枚。それが男なら一〇〇枚もらえる上に国から補助受けられるんだぜ? そうなったら一生仕事しねえで遊んで暮らせる」
「男が生まれたらな。まあでも、こいつのガキなら何人だって産んでやるよ」
「ぅ、ぅ、ぅ」
「孕みそうな面してるくせに、これで男なんだからなあ」
「でもよぉ。こいつの存在がバレて独占できなくなるのも嫌だぜ」
「その時はこいつの妻になればいいんじゃね?」
「孕めば首輪買う金もできるしな」
「順番逆だろ」
壁に押し付けられた僕は強引に唇を奪われた。抵抗する僕。鼻をつままれる。空気を求めて強制的に開かれた口へ、舌が捩じ込まれた。その下で、もう一人がスカートの中に首を突っ込んで深呼吸。顔のパーツが下着を擦る。
「あっぁぁぁあっぁ」
慣れてしまえば、楽になれるのだろうか。
いつもいつもいつもいつも、こうやって毎日毎日毎日犯されて。
人間として扱われず、ただの玩具として使われるこの生活に、慣れれば僕は幸せになれるのだろうか。
いや、そもそも。
僕は、どうして生きているのだろう。
こうまでして、どうして。
「ぐぎゃ」
どこか遠いところから僕は、その光景を見ていた。
突然、尻尾を踏まれた猫のような悲鳴を上げて転がるメレ。開けた視界の向こうで、黒がはためいた。軍服だ。
物々しい義手には
彼女――フレデリカ・ラスカーノが瞳を瞬かせる。
「わたしは祖国の人間にはやさしい」
「あ、がぐ、ぅ」
「だから殺さない。勝手に死ね」
「―――」
機械音声のような声音だった。そして真っ赤な飛沫が壁を染める前に両腕が落ちた。
ごどん。
絶叫。
自分の両腕の上でのたうちまわるフィロ。涙と嗚咽と鼻水が血色を帯びていく。
「だ、だすげ――」
「くく。おかしなことを言うなよ」
這って逃げようとするメレの太ももに杖剣が突き刺さった。反響する悲鳴。ぐりぐりとかき混ぜるように剣が肉を抉る。
「常習だろう。見ればわかる。だから怯えていたんだ、衛兵に」
「ち、ちがう私たちは愛し合って……ッ」
「強姦の言い訳に愛を語るなよ」
手際よく引き抜かれた剣。逆手に持ち替えたそれを、フレデリカさんは首めがけて振り下ろした。
「――なぜ」
けれど、杖剣は首皮すれすれで静止する。無機質な紅い瞳が、僕の瞳を覗き返した。
「なぜ、止める?」
「そ……祖国の、人間は……こ、殺さない、って」
「いいや、殺す。わたしは嘘吐きなんだ」
「で、でも、だめ」
「どうして」
僕は、しがみつく力を強めた。上目遣い気味に彼女を見ながら、僕は必死に首を左右に振った。
殺してはだめ。殺してはだめなんだ。
たしかに、そこの二人は僕に酷いことをいっぱいしてきたけれど。
でも、だめなんだ。殺しては。
僕だってよくわからないしうまく説明できないけど。
きっと、僕が我慢すればいいだけの話だから。
もう、僕を犯さないでくれればそれでいいから。
「……きみはバカか」
「うん」
「きみは頭が悪い」
「うん」
「ここで殺さないと、また同じことをする」
僕は、さすがに頷けなかった。
「個人的にもゆるすことはできない。こいつらは隣国のサル以下だ」
隣国の人を見たことがないから、よくわからないけど。
機械のようだと感じていた彼女が、肩を震わせていた。
なんだ。ちゃんと感情があるんだね。
僕はうれしくなって、フレデリカさんの頬に口付けをした。
「―――」
「ぁ」
目を見開いて驚愕するフレデリカさん。
そこで僕は、自分のしでかしたことに動揺する。
「ご、ごめ、ごめんなさい僕の汚い口でフレデリカさんに、ごごご、ごめ、ごめんな、ごめんなさいッ」
フレデリカさんは貴族令嬢だ。しかも公爵。
そんな彼女に、頬とはいえ、キスをした。しかもこんな唇で。
殺される。
あごでくいってされて、コワモテの女に引きずられて、僕は処刑台送りにされる。あるいは、この場で切り捨てられるかもしれない。
逃げよう。
幸いにもフレデリカさんはキスのショックで固まっている。今しかチャンスはない。
「待って」
「あぅ」
逃げようとした僕の首ねっこが捕まれ、引っ張られる。そのまま壁に押し付けられた。頭の背に手の甲を置いてくれたおかげで煉瓦に激突せずには済んだけど、感謝はできない。
何故なら、顔の真横にめり込んだ右腕からとんでもない威圧を感じるから。いわゆる壁ドンのはずだろうに、壁を砕いてしまっているから恐怖しかない。
「あ……あの」
尋常ではない冷汗を流しながら、フレデリカさんと視線を合わさる。ほのかに顔が赤い。憤怒だ。殺される。
「あ、謝りますしなんでもしますから殺さないでくださいお願いします」
「わたしと結婚してくれないか」
「——は……は?」
聞き間違い……だろうか。僕は目を白黒させて彼女を伺う。
「べつにおかしな話ではないだろう。女同士での結婚は五〇〇年も前から引き継がれてきた数少ないルールの一つで、旧アメリカ文明の――」
なにやら歴史の知識をまくしたてはじめたフレデリカさん。僕は逃げる隙を窺った。
けれど、だんだんと顔が近づいてくる。ミシミシと壁に蜘蛛の巣が広がっていく。僕は、余命五分と宣告を受けた偉大な作家のエピソードを思い出していた。
彼はたしか、二分で家族や友人に感謝を祈って、二分で己の人生を振り返り、最後の一分で感謝と後悔を言葉にした……みたいな。
うろ覚えだけど、たしかそんな感じだったはず。
僕に五分も時間があるかわからないけれど、とりあえず祈っておこう。
けれど……あれ。
でも。
僕はいったい。
誰に感謝の祈りを捧げればいいんだ?
「だから、わたしと結婚してほしい。一目惚れだったんだ。きみを一生守るから、一生そばにおかせてほしい」
「………」
きれいな色だった。純粋に色があるなら、きっとこんな瞳の色だ。
こんなにも淀みのないきれいな感情を受け取ったのは、初めてのことだった。
けれど。
だからこそ。
その色を汚すわけにはいかないと、僕は思った。
「ごめんなさい」
「……っ」
「僕、きれいじゃないから」
そろそろ、時間だ。
シャルルさんが僕を待ってる。
硬直するフレデリカさんから抜け出し、死んでいるのか生きているのかわからない二人の間を通って、僕は表通りに出た。
「さようなら」
*
「ぁ、ぅああああああああッ!!」
悲鳴が聞こえた。女の子の声。
ぼんやりとした意識で窓の外を眺める。窓の向こうでは、庭師が木を整えながらこちらを覗いていた。その中で、ゆさゆさと揺れ動く影が二つ。
「ふぁ、ふ、ぁぁぁあああ」
「女の子みたいでかわいいですよ、エルさん。ふふ、ああああ、胸が高鳴りながらも引き裂かれそうです」
「エルちゃんっ! エルちゃんっ! エルちゃんかわいいよ最高だ、あああああもう、もうぅぅ!」
薄く反射した鏡の中で、四つん這いにされた水着姿の少女が男に犯されていた。シーツにしがみつき、よだれと涙を撒き散らす少女と、その目の前で自慰に耽る令嬢。
「う、う、うっ」
「あああああもう出るよ出るよ出るぅぅッ」
「――っ」
一際激しい動きが加えられる。もうすぐで終わる。ぼんやりと窓の向こうを見ていた僕の目の前に、とつぜんソレが降りてきた。
シャルルさんが摘んだソレは、赤茶色で細長く、うねうねと気持ち悪い動きで
「ワームのあかちゃん、です♡」
「な、な」
なにに使うの、それ。
僕が訊くよりも早く、シャルルさんはニタっと張り付けた笑みのまま、僕の耳に近づけて――
「ひぃひゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアア―――」
切り離していた肉体と意識が無理やり繋ぎ戻される。鼓膜を舐りながら奥へ奥へ入り込んでくる異物。目の上あたりが痙攣する。指の届かない、誰にも触れられたことのない領域から襲ってくる不快感と刺激と、
「出るぅぅぅっ!!」
「―――」
放出された熱い液体によって、僕もシーツに向かって射精した。
「ふぅ……。最初は渋ったけど、最高だよこの子。俺に譲ってくれない? 好きになっちゃった」
「ふふ。男同士の恋愛は極刑ですよラスカーノ公爵」
「たしかに。じゃあたまにだけ使わせてよ。飽きたら高値で買うから」
「考えておきます」
「それにしてもさあ。やりすぎじゃないか? さっきからのたうちまわってるよ。お漏らししてるし」
「あぁあああああああ」
「特殊加工のワームですから、相当気持ちいいのでしょうね。知りませんか? 巷では人気なんですよ。触れた部分の感覚を倍増させつつ性的興奮をもたらす液体を全身から噴射する人工ワーム・インキュバス。玩具と媚薬の両方を兼ね備えた高級品なんです。……もっとも、耳に入れて遊ぶような代物ではありませんが」
「なるほど。ビューティフルだね」
「あああああああ――ぁ、ぁぁぁぁぁ」
「もう一発いいかな?」
「閣下。その前に」
「わかってるよ。首輪の件、俺が承認の一人になろう」
「ありがとうございます」
「しかし、アレだ。自分の夫になるであろう男を、こんなふうに扱ってもいいのか?」
「人の愛の形というのは様々ですから」
「へえ。哲学だね」
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