第4話
「お兄ちゃんにとってわたしは一体、どういう存在?」
ちいさい頃。まだ母さんが生きていて、三人で山奥で暮らしていた時のこと。
マキマは病弱で、母さんの手伝いができないからずっと本を読んでいた。
絵本から始まり、だんだんとレベルを上げていき、最終的に古書にまで手をつけていた。いつもマキマはベッドの上で、小難しくて分厚い本を楽しそうに読んでいる。
僕よりもすこぶる頭がよくなったマキマは、僕の膝を枕にしてそんなことを訊いてきた。
「妹だよ」
「どうしてそう思うの?」
「どうしてって……僕たちは母さんの子どもだから?」
「お兄ちゃん、それは盲信だよ」
小馬鹿にしたように笑うマキマの頬を引っ張る。
「おにいひゃん、痛い」
「僕はマキマのオムツを何回も変えたことがある。それで十分だろ」
「べつに妹としての証明がほしいわけじゃないんだよ。ただ……」
いいかけて、マキマは僕から目を逸らした。ながい橙色の髪をくるくると指先でねじる。それは、マキマが嘘をつくときにあらわれる癖だ。
「わたしたちが本当に兄妹なのか、気になっただけ」
「マキマは、母さんに似てかわいいよ」
「お兄ちゃん、本当に似てると思う?」
「うん」
「じゃあ、お兄ちゃんとわたしは?」
僕はじっと至近距離でマキマの顔をみる。マキマは顔を赤くして唇を結んだ。
「……マキマはかわいいよ」
「お、お兄ちゃんはまたそうやって……!」
「どうしたの? 顔赤いよ」
「お兄ちゃんの方がかわいいの!」
細い手足をバタバタさせて暴れるマキマ。本人にとっては天地もひっくり返る暴動のつもりだろうけれど、僕からしてみれば打ち上げられた魚程度だ。病弱なのもあいまって十秒ほどで動きが弱くなり、一分も経てば肩で息をしている。
「はあ、はぁ、っ、……お、にいちゃんは」
上気した顔でマキマは言った。
「わたしと血、繋がってないよ」
「……だから、なんだよ」
そんなこと、言われなくとも知ってる。
薄々だけど、頭の悪い僕でもなんとなくわかる。まず髪色からして違うし。僕の髪色は父親譲りの黒で、母さんは金髪。マキマは橙色だ。
それに顔つきだって僕とちがう。
けれど、それがなんだ。
「僕はマキマの兄だ。僕が一生、マキマを守る。そのことに変わりはない」
「じゃあお兄ちゃんにとってわたしは、一生を懸けて守らなければいけない対象、ってこと?」
「う、うん……そうだよ。多分、兄として」
改められるとなんだか照れ臭いし、なんだか僕が言ったこととマキマが言ったこととではニュアンスが違うような気もしないでもない。いや、言葉に込められた感情の色がちがう……?
「じゃあお兄ちゃんは、わたしと結婚してくれるってことだよね?」
「……結婚?」
「結婚」
いきなり話が飛躍したような気がする。
「まさか、兄妹だから結婚できないとか言わないでよ。わたしたち、いま義理の兄妹ってことを確認しあったんだから」
「え、あ、で、でも」
「お兄ちゃん、難しく考えすぎだよ。結婚しても今とそんな変わらない。ただ、やれることの範囲が広がるだけ」
脂汗が額に滲む。何故だろう。僕の目線の下にいるはずのマキマから、僕は見下ろされているかのような圧を感じた。
「お兄ちゃんはわたしを守るんでしょ? 一生かけて。なら結婚しないとだめだよ。そうじゃないとおかしい」
「でも」
「お兄ちゃんの悪い癖だよ。すぐにでもって言う」
気がつくと、僕はマキマと完全に位置が逆転していた。
病弱で力の弱いマキマが、僕を押し倒している。
「お兄ちゃんの匂い、すき」
「ま、マキマ……」
「大丈夫。むかし読んだ小説にね、実妹だと思ってた妹が実は血が繋がってなくて、一気に距離が縮まっちゃうっていう恋愛小説があって。ふふ、今のわたしたちみたい。こういう小説、たくさんあるよ。それってつまり、みんなが求めていることなんだよ。お兄ちゃんは幸運だね。みんなが喉から手が出るほど欲しかったシチュエーションが今、目の前にあるんだから。逃げちゃだめだよ、お兄ちゃん。ねえ、抵抗しないでよ。えいっ。えいっ。ふふ、はは。お兄ちゃんどうしてそんなにかわいいの?」
降り注ぐちいさな拳。僕はつい先程のマキマみたいに必死に暴れる。けど、
「好きだよ、お兄ちゃん。お兄ちゃんがわたしを忘れても、お兄ちゃんがどんなに壊れてしまっても。わたしはずっとずっとずっとお兄ちゃんが好き。好きだよ」
だって。
「妹だから。最愛のただ一人のお兄ちゃんだけの妹で、お嫁さんなんだから」
「――っ!?」
そして気がつくと、僕はベッドの上にいた。
知らないベッドだった。見たことのない部屋。天井。
さっきまで僕を殴っていた妹の姿はどこにもない。
いや……あれは、マキマじゃない。
マキマはそんなこと、しない。僕を殴ったりしない。あれは、夢だ。
そうじゃなきゃおかしい。
「お目覚めですか、エル様」
「え、あ――」
いつの間にか、ベッドのすぐそばに侍女が立っていた。思わず身構える。けど、彼女はとつぜん襲ってきたりせず、朝食の準備を進めていた。
ふぅ、と一安心。
侍女が居るいうことは、僕はまだシャルルさんの邸宅にいるのだろうか。
窓の外は明るい。昨日は、帰ることができないほどにめちゃくちゃにされたのだろう。ほとんど何もおぼえていないけど。
……あれ。
「あれ」
喉が、渇く。首が痒い。気が付くと僕は、首を掻きむしっていた。
「あ、あの」
「はい?」
「おクスリがほしい、です」
「薬、ですか? どういった?」
どうして通じないのかな。シャルルさんのとこの次女なのに。
僕はイライラしながら首を掻く。
「ここに打つヤツだよ。ここに打つ、赤い液体みたいなの。アレが欲しいんだ」
「………」
「あれがないと気持ち悪いんだよ、ねえ?」
彼女は、何も答えない。ただ僕を高いところから見下ろしていた。
僕はベッドの上から彼女の服を掴んだ。
「お願いします、おクスリください。なんだか体が震えて——ああああ、ダメダメダメダメダメダメ、触らないで、出ちゃう……——っっっ!」
「………」
肩に手を置かれた。ただ、それだけの感触で僕は絶頂した。仰向けに転がり、僕はぜえぜえと息を吐く。冷汗が止まらない。体が暑い。クスリがほしい。
「おねがいします、なんでもするから。首に、いつものください。アレがないと気持ち悪いんです、おねがいしますおねがいしますおねがいしますおぅぇええええ」
「痙攣に焦燥に嘔吐。薬物の禁断症状ですね」
「うううううう! 僕を犯してもいいから! 犯してもいいから早く犯してええええっ!」
「シャルル様は変態ですね」
「うふ。美しいじゃない。朝イチでこれが見られて私、とっても幸せよ。活力というの? きょうも頑張ろうって思える」
「そうですか」
「テレサちゃんも、彼を使ってみる?」
「……一つ、訊いてもいいですか?」
「なあに?」
「なぜ、好きな相手を貶めるのです?」
「ふふ。ふふふ。あのね、むかしお母様からもらった大切な宝石があるの。赤くて、歪な形をしてるけど繊細できれいな。まだ加工される前の宝石。私、それをとっても大切にしていて、肌身離さず持ち歩いてたのね」
「おおおおおおおえええええええええ」
「ある日、その大切にしていた宝石をベランダから落としちゃったの。焦ったわ。頭が真っ白になった。三階の高さから、しかも下は石畳。嫌な音もした。壊れてしまっていたらどうしよう。急いでベランダから飛び降りて、宝石を確認したの」
「ダメダメダメダメさわらないでいぎ、いぎぃぃぃっ!」
「宝石は無事だったわ。すこし欠けてしまったけれど、それでも綺麗な状態のままだった。ほっと安心したのと同時に、気がついたの。あれ、私いま、とても興奮してるって。ええそうよ、びしょびしょだったの。性的興奮をおぼえたわ。それからね、色々検証してみたけれど、どうやら私……」
「んぅぅぅ、んんっ、んじゅじゅる、ンンンンっっっ!」
「大切なものを大切だと真に思えたその瞬間に、私は興奮するの」
「だから、これは確認作業だと?」
「作業ってひどい言い方。もっと愛のある言葉を思いつかなかったの? まあいいけど。でも、そうよ。大好きな愛おしい彼が、こんなにも乱れている。大切だと思うからこそ、この心に刺さる感触が倒錯的で狂おしくて、もっと彼を大事にしたいと思うのと同時に、もっと危険に晒した時、私に返ってくるリワードが楽しみでもある」
「狂ってますね」
「失礼ね。哲学よ」
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