第10話 ユーリル兄、オオカミいた?
診療所で父さんたちから足りなくなった薬を聞いて馬小屋へと向かうと、ちょうどユーリルたちが栗毛の馬を馬房から出していた。
「お待たせ。その子にしたんだ。言うこと聞いてくれそう?」
「うん、いい子だよ。持って行くのはこれだけ?」
ユーリルは私が抱えていた収穫用の籠をささっと馬に取り付けた。それも馬や人の邪魔にならないところに手際よくしっかりと。遊牧民だから? それとも隊商宿で働いたから? まあいいや、今度教えてもらおう。
あっという間に準備ができたので、私がまずは馬の一番後ろに座ったあとユーリルがその前にピョンと飛び乗り、さらにテムスを引き上げ一番前に座らせた。
「どっちの山?」
私たちが住むカイン村は、三方を高い山に囲まれている盆地の奥に位置していて、西側以外は全部山だ。
「東の方に街道があるから、とりあえずそっちに進んでくれるかな」
わかったと言ってユーリルが馬を動かす。
「すごい! ユーリル兄、上手いね」
この馬には初めて乗るはずなのに難なくこなしている。やはり遊牧民出身は違うね。とはいえ何があるかわからないので、落ちないようにユーリルのお腹に手を回す。いざというときは、ギュッと掴まっていたら振り落とされることは無いだろう。
「あれ、この匂い……」
馬が上下に揺れるたびに、ふわっと漂ってくるユーリルの匂い。どこかで……
「えっ、俺! もしかして臭い!? 昨日ちゃんと体を拭いたよ」
「うん、ユーリル兄の体、僕が拭いてあげた!」
「いや、全然臭くはないよ。ただ、なんだか嗅いだことがあるような感じがして……変な事言ってごめんね」
初めて会った時にも思ったんだけど、やっぱりユーリルにどこかで……
「それならいいんだけど……」
あれ? もしかしてユーリル落ち込んじゃってる? そっか、女の子からこんなこと言われたら、この年頃の男の子は気にしちゃうよね。失敗しちゃったな。よし、
「と、ところでユーリルが生まれたのはどんなところだったの?」
フォローのために、何気ない感じで会話を続けてみる。
「俺の? そうだな……見渡す限りの草原で、羊や馬に食べさせる草を求めて季節ごとに移動して暮らしてたぜ」
「ユーリル兄、オオカミいた?」
「いたいた。遠吠えが聞こえてきたら羊を守るために夜通し監視したりしてさ。それでも襲って来るときがあって、家族みんなで追い払うんだ」
たぶんユーリルが小さい時のことだよね。
「怖くなかったの?」
「あいつらに羊を食べられたらこっちが食べられなくなるから必死で……そんなことを考える余裕はなかったかな」
「兄ちゃんかっこいい!」
あはは、ユーリル照れてる。
「そ、そうだ。ここにはユキヒョウがいるんだろう。隊商宿で働いているときに聞いたことがあって、いつか見たいと思っていたんだ。カインに来る途中セムトさんにどこにいるのか聞いてみたら、このあたりにもいるって言うからさ。会えるんだよね?」
ユキヒョウか……
「僕、見たことないよ」
「うそ!」
「私も声だけかな。山で薬草採っているときに猫のような鳴き声を聞いたことがあるんだ。あんなところに猫はいないから、たぶんそれがユキヒョウだったと思う。でも姿は見えなかったよ」
「そんなぁー、期待してきたのに……」
山の神様の化身って言われているから、見ることすら難しいんじゃないかな。
「でも、鳴き声が聞こえたということはやっぱりいるんだ。いつかは会えるはず。楽しみだなぁ」
ほぉ、ユーリルってつらい目に遭っているはずなのに、意外とポジティブな性格なのかも。
「ところで、さっき言ってた街道ってここだよね。この先にも誰か住んでるの?」
ユーリルは、東に真っ直ぐに続いているむき出しの地面を指さしている。ここは舗装しているわけではなくて、馬や人が通ることによって自然と草が生えなくなった場所だ。テラで道と言ったらだいたいこんな感じのところが多いみたい。
「ううん、誰もいないよ。うちが一番端っこ」
これまでは一番だったんだけど、今は工房を家の東側に作っているからこれからは二番目だね。
「んじゃ、街道はどこに続いているの?」
「タルブク村。知ってる?」
「タルブクか……聞いたことある。こっちからも行けるんだ。隊商宿に来ていた行商人は馬で20日近くかかるって言っていたけど、ここからなら何日くらい?」
地球の地図で見たらタルブク村はキルギスのナルインあたりらしくて、ユーリルが働いていた町はカザフスタンのシムケントっぽいから、こことは違う山を越えているんだろう。
「8日くらいかな」
タルブクはセムトおじさんが生まれたところで、馬に乗ってならそれくらいかかるみたい。ちなみに隊商の人たちは歩くから12~13日かかるんだって。そういえば、チャムさんは馬に乗ってタルブクまで嫁いでいったけど、荷物を持ってだから10日くらいかかったんじゃないのかな。
「8日か……そんなに距離があるんだ」
「ほら、あの先の山を越えるから大変なんだよ」
私は体を前に寄せ、ユーリルの肩口から左前方に見える高い山を指さす。行ったことは無いんだけど、竹下たちと調べたら途中の標高が3000メートルを越えてるところが何か所かあって、あまり早く進めないみたい。
「そ、ソル、近いよ」
「あ、ごめん」
おっと、いけない。ユーリルってなんだか昔から知っているみたいで、つい友達みたいな感じになっちゃうけど男の子だった。
「そ、それで、薬草畑も街道沿い?」
「ううん、畑はあっち」
今度は右手奥の山を指さす。
「この先は誰も住んでいないって言っていたよね。どうしてそんなところに?」
「薬草の中には毒を持っているものもあるから、間違って村の人が採らないようにしているんだ」
「毒が! そっか、それなら仕方がないな……ところであとどれくらい?」
「もう少しで街道の分かれ道だから、そこから少し行ったところだよ」
地球なら分かれ道から5分とか10分とか言えばいいんだけど、こちらには時間を測るものが無いからこんな抽象的な言い方になってしまう。
「わかった。分かれ道についたら教えて」
馬はユーリルの指示通りに動き、街道を東にゆっくりと進んでいる。
それにしても本当に馬の扱いがうまいなー。三人乗っているのに安心して任せられるよ。
「あ、そこをまっすぐね。左に行くとタルブクなんだ」
「え? まっすぐ? ……ああ、かろうじて馬が通った後が。了解」
私たちくらいしかこの先にはいかないから、道もハッキリとはしてないんだ。初めての人はいけないと思うけど、間違って旅人さんが行くことが無いからちょうどいいんだよね。
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