第4話 空想と現実と

「あっしらにはその2人に何もせず、人間たちの元に送り届けると聞こえましたが――まさか本気で言っているわけではありませんよね?」


 剣呑な雰囲気でこちらに詰め寄ってくる部下たち。百合に夢中で部下たちのことをすっかりと忘れていました。どうしましょうかねコレ。


「…そうだ。一武人として捕虜には適切な対応を…」


「「「ふざけんなぁ!」」」


 部下たちの大ブーイング!静まりかえっていた渓谷に汚い大合唱が響き渡ります。


「何もせず即刻返還なんて聞いたことねーよ!」


「楽しみにしてたのに!何言ってくれてんだよぉ!」


「おかしいだろうが!一体何考えてんだテメエ!」


 あっというまに部下に取り囲まれてもみくちゃに。怒りの収まらない部下たちに取り押さえられてしまいました。

 痛い痛い!一応私隊長なんですけど!隊長徽章…?持ってるんですけど!

 四方八方から飛んでくる罵声に耳が潰されそうになりながらも、なんとか事態の鎮静化を図ります。


「お、落ち着けおまえら!さっきから楽しむだのなんだの言ってるが相手は人間だぞ!?異種姦になっちまうじゃねーか!そっちのほうがおかしいだろ!変態かてめえら!」


 オークが人間相手に性交渉することは無いわけではないのですが、一応オーク社会でも異端とされています。誰だって抱くなら同族のメスがいいのです。

 しかし、1ヶ月の行軍で鬱憤の溜まっている部下たちにはそんなこと関係ないのでしょう。


「うるせえ!もうどうでもいいんだよそんなこと!」


「ゲテモノ上等だコラァ!」


「イケない扉開けていこうぜ?!」


 マズいですね聞く耳無しです。興奮しすぎて本人たちも自分でなに言ってるか分かってなさそうです。

 このままの勢いでは百合を守り切れません。どうにかしなくては…! 


「まあ落ち着け。捕虜に寛大な処置を与えたという話は他の部隊でも語り継がれ、ゆくゆくはこの第7オーク小隊を称える美談として…」


「語ってどうすんだこんな話!」


「逆に笑いものだわ!」


「魔族が刹那的に生きなくてどうすんだ!」


 武勲作戦失敗。


「わ、分かった、帰還した後に特別褒賞出すように上層部に掛け合うから…」


「通るわけねーだろこんな功績!」


「軍からの指令忘れたのか!?見敵必殺だぞ!」


「どんな蛮族だよ!オークの俺たちでも引いたわ!」


 褒賞作戦失敗。というかみんな軍には不満持ってたんですね。私以外バーバリアンだと思っていました。


「じゃ、じゃあ作戦後に休暇を…」


「「「ふざけんなぁ!」」」


 ついに堪忍袋の緒が切れたのか、部下たちは拳や蹴りを見舞ってきました。めっちゃ痛い…。隊長でも戦闘力は並み程度しかないんですよね私。

 ボコボコにされながらも横目でリリアナとルカを見ると、お互いを抱きしめながら、警戒と失望が入り混じった目でこちらを見ています。

 当然ですね。2人の身の安全を保障した矢先にこの醜態。我ながら情けないです。

 殴られる痛みで薄れていく意識。脳裏に浮かぶのはこれまでの戦いの記憶や訓練の日々。故郷にいる家族の顔や友達と遊ぶ子供の頃の私…ってこれ走馬灯なんでしょうか。

 懐かしさを感じながらそれらを眺めていると、流れていく記憶の奔流の中である記憶に目が留まりました。それは子供時代、在りし日の記憶です。


                   ◇

 

 ある日、故郷の村に魔女が行商にやってきました。道端に広げられた大きな風呂敷の上には、見たこともないような玩具や何種類もの薬草、派手な色の果物などが並んでいました。

 村を出たことのなかった当時の私は、物珍しさに目を奪われて何時間も居座って眺めていました。

 その中で取り分け目を引いたのが書物です。

 私の村では文字を書くという文化が無かったので、当初は書物というものの存在意義がまるで理解できませんでした。

 そんな私に文字という存在を教えてくれたのが、行商の魔女でした。

 起こった出来事や知っている知識、自分の考えなどを記録して遠いところに住んでいる者にも伝えることができるものなのだと。そう彼女は教えてくれました。

 そんな文字を応用するとこんなものも作れる、そう言って書物の一冊を手に取って特別に私に読み聞かせてくれたのです。

 それは少し昔に人間が書き綴った書籍。筆者の空想練り上げ、多くの読者に楽しんでもらうために娯楽へと加工したもの。俗にいう小説でした。

 いくつかの小話をまとめた短編集だったそれは、原始的な遊戯しか知らなかった私にとって凄まじい衝撃をもたらしました。

 それぞれ毛色の違う寓話たちは、一つ、また一つと、私の心を絵画のごとく多彩に彩っていったのです。

 その中でとびきり私の心に響いたのが――


『人間の少女は吸血鬼の少女の手を取り言いました。どうぞ、私の血をお吸いなさい』


『どうして?なんで人間は血を吸わせたの?』


『おや、不思議かい?』


『うん。だって自分を食べさせるようなものでしょ?おかしいよ』


『ひひひ、そうかもね。だけど彼女は吸血鬼に死んでほしくなかったのだろう』


『…どうして?』


『簡単なことさ。愛しているからだ』


『え…っ。女の子同士、だよね?』


『ああ。おかしいかい?』


『う、うん。だってお母さんが、仲のいい夫婦の間に生まれるのが愛だって…』


『なるほど、普通ではないと。だけどね、愛って言うものはおかしなところからも生まれるもんさ』


『そうなの?』


『ああ。木の芽のように何処からでも生まれてくる。それを止めることは誰にもできない。それが愛ってもんさ』


『…い、いいの、それ?』


『…ああ。周りからおかしいと言われても。それを大事に育むことができたのなら――』


『…』


『――それはとても素敵なことなのさ』


                   ◇


「――ハッ!?」


 懐かしい言葉を思い出すと同時に飛び起きました。周りを見渡すと、今だ部下たちに取り囲まれたままです。

 しかしさっきとは打って変わって殴る蹴るなどの暴行は止まっていました。どうやら私が気絶したことで多少は冷静さを取り戻したようですね。

 少し離れた場所にはリリアナとルカの2人が抱きしめ合ったままこちらを伺っています。彼女たちがまだ無事ということは、私が気絶したのは一瞬のことだったようです。


「お、おい。大丈夫か…?」


 リリアナの言葉に軽く手を振って応えながら立ち上がります。膝は生まれたての子豚のように震えていて中々億劫ですが、今だけは何としてでも立たなければなりません。


「彼女たちに危害を加えることは許さん。これは命令だ」

 

 口の中が切れているようで、苦痛で歪む唇をゆっくりと動かしながら何とか言葉を紡ぎます。


「…どうしてそこまで。まさか武人として、なんて本気で言っているわけではありませんよね?」


「…私の親も人間の捕虜だったことがある。私が生まれる前にだ」


「…!」


「だが人間は捕虜として正当に扱った。私が生まれているのが何よりの証拠だ。…私はその借りを返す」


「…」


 部下たちはおとなしく私の言葉に聞き入っているようです。リリアナたちまで驚いたような表情でこちらを見ています。


 …まあ嘘なんですけどね。今考えました。


「…それはあんたの都合だ。俺たちの知ったことじゃない」

 

 部下たちは真剣な面持ちで身構えます。しかし先ほどのように興奮した様子は無く、場の空気は落ち着いたものに変わっています。少なくとも凌辱を楽しむといったものではありません。


「ああ。その通りだ。…お互いに譲れないものがあるなら、ぶつかるしかない」


 私も身構えます。痛む身体はもはやまともに動いてはくれません。ですがこちらも譲るわけにいかないのです。


「ま、待て!その怪我では…!」


 心配するリリアナに私はフッと笑いかけます。


「まあ見ていろ。私にはまだ奥の手がある」


 奥の手、という言葉に怪訝そうな顔をする部下たち。そう――隊長である私のみが持ちうる最後の奥の手。いまこそそれを解き放つとき!


「いくぞ!うおおおおおおおおッ!!」


 叫びながら部下たちへ駆け出します。守るべきもの――尊き百合のため。私は全身全霊を込め、それが握られた手を渾身の力で突き出しました。

 

 ――目を見開いて驚く部下たち。

 

 ――来たる衝撃に備えてお互いを庇い合う2人。

 

 ――突き出された私の手の中で輝きを放つ切り札。

 

 それは――。


「「「…チケット?」」」


 渓谷に響く部下たちの間の抜けた声。私の手には1枚のチケットが握られていたのです。しかしこれはただのチケットではありません。


「…!?いや待て、これってまさか…!?」


 やがてこのチケットが何なのか気づいたのか、部下が一人、また一人と焦ったように騒ぎ出します。

 そう、これは――


「「「高級サキュバス店の割引券!?」」」


 軍幹部御用達、上級淫魔が経営する高級風俗店の割引券なのでした。隊長特権ということで秘密裏に軍内部で出回っているんですよね。もちろんただの一兵卒では利用どころか入店することもできません。


「帰還したら!全員分!おごってやるよおおおおーーーーーッ!!」


「「「いよっしゃああああああああーーーーーッ!!」」」


 上がる大歓声。轟く隊長コール。熱くハグしてくる部下たち。

 

 ……。


 ふと彼女たちを見ると、じとーっとした呆れたような目でこちらを見ていました。


 ……オークって単純ですよね。



 









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