113話 聖剣と魔王


「クソックソックソッ……! どうして俺がこんな目にッ!」


 酒場の片隅で荒れる男が一人。

 彼はスマホを見るたびに憤怒していた。

 いつもなら彼が不満そうにしていると、大抵の冒険者が彼のご機嫌をとろうとするのが当たり前だった。しかし今では腫物を扱うかのような空気が蔓延しており、誰一人として近づこうとしない。


「ヤミヤミさえっ! 暴露しなければッ! 俺は、ヒーローでいれたはずなんだ!」


 彼のスマホには『人気パンドラ配信者【聖剣】、未成年と不倫』といった記事が書かれている。



『奥さんほんと可哀そう』

『聖剣さんの聖剣が暴れ過ぎたww』

『聖剣まじキモい』

『聖剣そのまま百人斬りしてくれw』

『その前に未成年淫行で逮捕されるだろww』

『奥さんにも訴えられるなw』

『さすがに聖剣もぽっきり折れるんじゃね?』


 といった嘲笑混じりのコメントで溢れており、彼のヒーロー像は完膚なきまでに壊されていた。


「……JKとの示談金に1億、妻への慰謝料2億……その他CM出演のキャンセルと、各企業への損害賠償金……5億円……くぅぅぅう……無理だ」


【聖剣】さんこと、真田さなだ清健せいけんは頭を抱える。

 彼の資産はおよそ5億円。

 現金だと3億円ほどしかない。


 そう、この大スキャンダルで彼の悪事が明るみになり、手持ちの資金ではやり繰りができない状況になっていた。


「クソックソッ……こんなのハニートラップだろ! 何か、何か、方法はないのか!」


【聖剣】は自分がしでかしてしまった犯罪行為は棚に置き、全ての責任を他人になすりつけることでギリギリ精神を保っていた。

 普段の思考力を持ち合わせていれば、冷静にほとぼりが冷めるまで問題と向き合い、後々じっくりとお金を稼げばいいといった案が浮かんだはずだ。

 なにせ彼は曲がりなりにも登録者100万人超えの配信者であり、冒険者としても凄腕の実力者だ。


 この大炎上で好感度はダダ下がり、再生数も軒並み下がっているとはいえ、またコツコツと再起を図れば十分に対処できるはずだった。


 しかし、多くの誹謗中傷が、世間の鋭い目が、彼の精神状態を狂わせてしまっていた。元々、プライドも高い方だったので、バカにされる耐性がついていなかったのだ。


「必ず、どんな方法を使ってでも見返してやる……! 金はキッチリ用意してやる! みんな、みんな、裏切りやがって! ちょっと前まであんなにもてはやしてきたくせに!」


 大切なリスナーも、冒険者仲間も、さすがに彼の所業には距離を置いてしまった。

 それがひどく彼の心を蝕み、もはや憎悪とも呼べる何かに変わっていた。


「俺を、絶対に裏切らない……従順なやつはいないのか!」


 事の発端は、妻を裏切って不貞行為に走った【聖剣】自身にあるが、今の彼はそれすら気付けない。

 

「俺を裏切らない奴隷がッ……奴隷?」


 彼は何かに思い至り、そそくさとスマホをスクロールしていく。

 そして彼が検索をかけたのは『エルフ姫みどり 奴隷』といったワードだ。



「いいじゃないか……【熊耳の娘ベアルック】の奴隷か。こいつらを奴隷にして、高く売りさばけば、ハハッ……聖剣なんて綺麗キャラで売るのはもう飽きたな……」


 どす黒い笑みが聖剣を染めていく。


「もういっそのこと、【熊耳の娘ベアルック】を使役する【魔剣】とでも名乗ろうか」


 クククッと不気味な声で笑い出す聖剣。

 そんな彼に一人の妖艶な美女が背後より近づく。


「あらぁ? 石よりかたーい、素敵な意志を感じるわあ」


 聖剣を見る彼女の瞳は、まるで地獄の深淵からこちらをのぞき込んでくるよどんだ何かだった。さらにおぞましいと感じさせるのは、彼女の髪が風も吹いていないのにうねうねと動き続けている点だ。しかも気付けば、酒場内で動くものは彼女の髪の毛と【聖剣】ぐらいしかいなかった。


「なんだ、女。俺に用でもあるのか?」


【聖剣】は酒場の異変を察知したが、その態度は強者のそれである。

 異質な女性を視認しても至極冷静だった。

 いや、内心は炎上のことがあって怒り心頭であり、八つ当たりができる相手なら歓迎だと好戦的になっていたに過ぎない。


「用事ねえ? 酒場で声をかけてきた女に、そんな質問は野暮じゃないかしら?」


「女はもうコリゴリだ」


「へえ。可哀そうに。よっぽどひどい女との出会いに恵まれていたのねえ。あなたのそんな不幸に乾杯しましょうよ」


「そういう気分じゃ……」


「あたしって誰よりもひどい女よ? でもひどい女って、時に誰よりもあなたの欲望を満たしてくれるでしょう?」


 そう言って、彼女は先ほどまで酒場内で動いていた人々を愛でるように見回す。客たちは一人残らず石像と化しており、微動だにしない静かなオブジェクトとして二人の出会いを飾る。


 魔王の一人である【石眼の姫メデューサ】は【聖剣】に、それはそれは友好的な笑みを浮かべた。


「あなたの欲望を叶えてあげるわ。勇者さま」


「…………」


【聖剣】はひとまずカウンターに置いてある度数の高い酒瓶を手に取り、それから無言で彼女のためにグラスへと注いだ。






「あの、さいさん。これは一体どういうことですか?」


「ナナが言ったんでしょ? 【エルフ姫みどり】と会うときは、【にじらいぶ】のナナシとしては会いたくないって」


「それはまあ……社長からも【熊耳の娘ベアルック】を奴隷にして配信するような輩と絡んで、事務所レベルで問題が起きないようにって言われてるから。でも、それとこれは違うような気が……」


 俺は今、白いお面に白いマントがついた白い全身ピタピタコスチュームに身を包んでいる。

 そうまるで戦隊もののメンバーのような、とにかくけっこうダサい恰好だと思う。というか恥ずかしいです。



「それならナナシちゃんだってわからないでしょ? それに万が一【エルフ姫みどり】の配信に映っても『ヘンタイ白マントマン』って名乗ればいいじゃない」


「やっぱ変態ですか!? クソダサですか!?」


「ナナは戦隊モノ大好きだったじゃん?」


「いつの話ですかー!?」


 そんなやり取りをさいとしながら、俺たちはエルフ姫みどりこと、ミドリーナ姫殿下が滞在していると言われるツリーハウスに赴いた。

 しかし、姫殿下はどうやら配信中のようで不在だった。

 代わりに臣下っぽいエルフの方が、ミドリーナ姫殿下がいる場所まで案内してくれるという運びになった。


「それにしても地球の、特に日本人の冒険者は『和』を尊ぶ優しき人物が多いですね。姫殿下も感謝と、そしてひどく感銘されております」


「は、はあ……先ほどのお話をまとめると、ミドリーナ姫殿下はわざと奴隷配信を行っていると」


「さようでございます。全てはパフォーマンスです。殿下の配信を見て抗議してくださったり、【熊耳の娘ベアルック】を助たいと申し出てくる者、すなわち信頼のおける冒険者ですので」


 文句を言ってくる=【熊耳の娘ベアルック】たちを心配してくれる=信頼が置ける。

 そんな冒険者を誘致して協力してもらう、と。


 エルフさんたちは予想以上に強かだ。

 いや、この現状をいち早く打破したいがために、強硬手段に出ているという可能性もある。いわゆる、SMごっこの苦痛から逃れたいがゆえのやけくそだ。


 

「しかしそうなると……どこまでが仕込みでどこまでが本気なのか、こちらとしてはわかりかねます」


 ずばり、こっちとしては信用できない相手となる。


「仰る通りでございます。ですが、姫殿下とお話しくだされば、きっとおわかりいただけるかと」


「はあ……そういえば、【エルフ姫みどり】さんのリスナーもやらせだったりするのですか?」


「当初、盛り上げ役はいましたが……今はわりと『ガチ勢』といった人々が多いようです……」


 案内役のエルフさんは少しだけ悲しそうに言う。


「最近では本物が・・・釣れたりもしますので、内々で処理することもしばしば」


 えーっと……【熊耳の娘ベアルック】のM気質につけこんで、本当に奴隷にしようとする輩を引き寄せて処理してるって話か。

 確かに【エルフ姫みどり】さんの配信を見て、良からぬ企みを持った連中がコンタクトを取ってくることもあるのだろう。

 そういった意味でも、エルフたちは事前に【熊耳の娘ベアルック】を守ろうとしているようだ。


「とはいえ姫殿下はご自身の配信スタイルが良からぬ風潮を流布させるのでは、と苦悩しておられます」


 今はこのいびつな形で、安全は成り立ってはいる。

 でもいずれ限界を迎える時がくる。

 それは裏事情を知った俺でもなんとなく察することができた。



「姫殿下はあちらで配信中でございます」


 案内されたのは、背に満月が浮かぶ小高い丘だった。

 そこで【エルフ姫みどり】は、多くの【熊耳の娘ベアルック】を四つん這いにさせていた。

 彼女たちは組み立て体操をするかのように、人間ピラミッドを形成しており、その頂点に【エルフ姫みどり】が座っている。


「はーいっ! 今宵もいい月夜で~っす! こんなに風情溢れる夜は、クマっこ椅子で月見酒で~す!」


 んー……生で見るとやはり混沌とした配信だ。

 そしてやはりというべきか、配信の画角外の【熊耳の娘ベアルック】たちは恍惚とした笑みを、配信の画角内に収まる【熊耳の娘ベアルック】は苦悶の表情を浮かべている。


 まさにシュールすぎる絵面だ。



「おーおー、エルフ姫みどりい! ガチで面白いことやってんなあ!」


 そんなエルフ姫さんの配信に突如として乱入してきたのは、見覚えのある異世界パンドラ配信者だった。



「えっ、えーっと、どなたでーすか?」


「おい、それ本気で言ってるのか? 登録者10万人ぽっちの分際で? リサーチ不足すぎないか、それ」


 苛立ちのこもった笑みを浮かべたのは、先日うちの【闇々ヤミヤミよる】によって不倫を暴露された【聖剣】さんだった。


「俺は登録者数100万人超えの【聖剣】だ! 登録者数が圧倒的に上の俺とコラボなんて光栄だろ!?」


「えっと、コラボなんてお話は、聞いてないでっすよ。突然は迷惑でっす!」


 アポすら取ってなく、勝手に名乗って勝手に配信に乱入とは……いよいよきな臭くなってきた。



「はあっ? 奴隷配信してるお前が人に迷惑を説くとか笑えるなあ。それにほら見ろ! 俺以外にもここに来てる奴らがいるじゃねえか!」


【聖剣】さんはまさかの、俺とさいの方を指し示してきた。


「俺が迷惑なら連中はどうなんだ? お?」


「え、えーっと……そちらの方も、どなたでーっすか?」


【エルフ姫みどり】さんは、【聖剣】さんの問いに釣られてこっちに話題を振ってきてしまった。

 突然のことでさいは配信に映りたくないのか、案内役のエルフさんの後ろに隠れてしまう。

 結果的に俺が前に出る形になってしまい、もはやスルーできる状況ではなくなった。




「あ、えーっと……俺は、へんた……あっ、その……『白マントマン』です」


 


 仮面をつけていて本当によかった。

 名乗りも恰好も、恥ずかいいぃぃぃっ!



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