10話 夕姫の秘密
3年前。
私がまだ中学1年生だった頃、父の
『
後継にはあまり興味がなかった。
私がダメでも
『できなければ、財閥の利になる良家と縁組むだけの人形であればよい』
つまりお見合いの道具になれと。
そんなのはごめんだわ。
人生のパートナーを選ぶ権利すら勝ち取れない屈辱は、到底受け入れられなかった。
親は選べなくても、せめて伴侶ぐらいは自分の意思で選びたい。
私たち姉妹を道具としか見てない父の鼻を明かしてやりたい、その一心で挑戦しようと誓ったわ。
私が生まれた
結果が出せるなら自由にやればいい。ただし父を超えられる業績、もしくは父の課題をクリアできるのであれば、という条件付きなの。
できなれば父に従う他なかったわ。
大半が父の言いなりで生きてきた私たちにとって、与えられる自由はとても少ない。
そんな希少なチャンスを逃すはずもなく、自由を掴み取れると確信した私は父に交渉を持ち掛けたわ。
『お父様。もし私が年商20億のビジネスを成功させた際、後継者任命とは別件の希望がございます』
『なぜだ?』
要望の内容は何だ? ではなく、なぜそのような申し出をするのかと疑問を抱くのがお父様らしい。
『
その時、お父様は平然と一番業績の良かった者以外は後継者の資格なしと見て、お見合いの道具にするのでしょうね。だからこそ、今のうちに年商20億を超えた時点で、それなりの自由を確約させたいわ。
『年商20億円以上の成果を出したのに、ただのお見合い人形になり果てるなどと納得がゆきません』
『……ふっ。それもそうか。嫁がせるだけが有用な使い方でもあるまい、か』
『どうかご留意を』
『希望内容を書面にまとめておくのだ。後ほど精査しておこう』
『ありがとうございます』
『それと
『承知いたしました』
それから私は学業の合間を縫ってどうにか二つの事業を展開してみた。
事前準備は入念にし、寝る間も惜しんで挑んでみたわ。
結果は一つが赤字、もう一つはぎりぎりで黒字……とても年商20憶、経営利益2億には届きそうもなかったわ。
ビジネスの世界は結果が全て。
どんなに頑張っていようと、どんなに工夫していようと、結果が出なければ従業員さんのお給料も支払えなくなるわ。
泣き言をもらすヒマなんてなかった。
息が詰まりそうだった。
何度も、何度も、逃げ出したいと、そう願うときがあった。
そんな時に出会ったのが【転生オンライン:パンドラ】というVRゲームだったわ。
VRゲーム産業に何かしらのビジネスチャンスはないかと、リサーチのために始めたゲームだったけれど、私はそこで不思議な少年と出会ったの。
『そんな眉間に
お節介だわ、と吐きかけた言葉を当時の私は飲み込んだ。
VR産業で自社製造の食品を広告として売り込む場合、参考になるかもしれないと思ったのよ。
『優しい————味ね————』
だけれど、彼が
ビジネスに関する思考は瞬時に溶けて、幸福感に満たされたわ。
それはゲーム内で何かしらのバフが付与されるわけでもなく、ボーナスがつくわけでもない紅茶。
それでも私の荒み切っていた心は満たされたの。
後から知ったのだけれど、彼は全く役に立たない料理
それでも自分の好きを貫き通して、【転生オンライン:パンドラ】を楽しんでいる彼が不思議と気になってしまったわ。
『どうして
『楽しいからだし、好きだからだよ』
『だからって、そんな
『そう? 楽しいことがあるから、がんばれるーって時もあるだろ?』
『それは……』
『好きなことなら徹底的に楽しむべきだ』
確かに私は彼が
この場があるから、嫌なことがあっても頑張れる。
効率が全てではない。
楽しいや落ち着く、が一周回って効率に繋がることもあるのだと知った。
そして人間の心がビジネスに通ずるのだと、今さらながら再認識できたわ。
ビジネスの基本は社会的貢献、つまり誰かの心を動かしたり、何かを便利にしたり、役に立つこと。
私の心を動かしたあの少年のように……。
『そう言えば、
『あー……まあ、クーさんにならいっか。俺さ、学校じゃ【いない方がマシ】って言われてるんだよな。ちょっと一言多いっていうか、ポロッと相手が不快に思う言葉をこぼしちゃうっていうか』
『だから【名無し】?』
『そっ。俺のあだ名は名無し。ムカつくあだ名だけどさー、なんか逆に
『ふーん』
そういえば同じクラスにナナシと呼ばれる男子がいたと思い出す。
彼の諸々の言動を精査した結果、彼がその男子本人だと気付いたわ。
現実の彼もやっぱり変わり者。
だって、いくら私が口汚く
でも私が【転生オンライン:パンドラ】のクーさんで、クラスメイトの
だって、そっちの方が楽しそうだもの。
そうして私は、自然といつも彼を目で追ってしまっていたわ。
『もちろん学校じゃ、ナナシなんてあだ名を
『私と同じで羽根を伸ばしてるってわけね』
ゲーム内では責任もなく、私は誰でもない。
自由な身分で、自由に過ごせる。
だから正直に色々と彼に話せる。
そんな空間が当時の私にとってどれだけ心地よかったか。
『あらあら、今日もいいゴ
『クーさんか。とか言いつつ、俺の紅茶をもらっていくんだろ?』
『当たり前じゃない』
『クーさんの身分は魔法少女だっけ。そういえば最近、やたら残虐性のある戦い方をする魔法少女がいるって聞いたけど……』
『好きなことは徹底的に楽しむべき、って言ったのは
『さいですか』
『現実でね、メンタルが不安定になった時はここでモンスターを
『メンヘラでサディスティック、刺激的だね』
『メンヘラ? メンヘラってイメージ最悪よね?』
私の質問に、彼は少し頭をかしげる。
『んんーメンヘラってさ、自分のキャパを超えちゃうからメンヘラになるってことだよね?』
『そう……かもしれないわね?』
『だったら可愛いと思うなあ』
『か、かわいい?』
『応援したくなるっていうか、守りたくなっちゃうっていうか』
『どうして?』
『自分のキャパを超える程ひたむきに頑張ったり、無理してるってことでしょ? 自分の限界を超えようとして、失敗しちゃって、病んじゃって。でもまた挑戦してみる。生きてみる。そんなの応援したくなっちゃうよ』
だから、と彼は言う。
『メンヘラって可愛いんだよ』
私の中で何かが煌めいた瞬間だったわ。
そう、彼は『こんなわたし』でも可愛いって言ってくれるのね?
残虐で、メンヘラで……ひたむき、かどうかはわからないけれど……。
こんな私を肯定してくれる人がいるのなら。
VTuber業界にも手を出してみようかしら?
そうして彼がいたから————
『手首きるる』という魔法少女VTuberが生まれたわ。
そんな事実を、彼はまだ知らないの。
だけれどきっとこれは、私と彼だけの秘密。
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