第20話 それぞれの思い

 ヒロトは既に海の上にいた。


 エンヒコの死は事前の打ち合わせ通り、長年賄賂を贈り続けている執政官ギルドの兵から伝え聞いた。ヒロトは父の死を客観的に受け止め、全く泣き崩れることもなく素早く行動に移していた。


 しかし、悔しかった。


 何もできない非力な自分に憤りを感じている。心から尊敬し、ずっと父の背中を見続けてきたヒロトにとって、その死は絶対に受け入れられるものではない。


 ただし、死んだという事実だけは認識している。


 ここに来る前に何度も何度もエンヒコから指示された最悪の想定が、実際に起こってしまったというだけである。


 エンヒコからの最後の指示は、絶対に生きて帰国しオオツキにその事実を伝えること。これが今のヒロトの使命である。

 しかし、これからどうなるのかという不安がヒロトの心を曇らせている。当然に何か不手際があったからエンヒコが殺されたわけで、大和国に対しても当然にお咎めがあるのではないかという怖さがヒロトの船を急がせた。


 

 この時、ザオ王朝大講堂は、当然に混乱状態であった。


 突然に皇帝が殺されたことに加え、その死は支配国の中で最も小さな国、大和国の使者エンヒコが犯したものである。過去何代も続いてきたザオ王朝にとって、天と地が変わってもあり得ない不祥事である。


 その事実を早急に根絶しなければならず、ザオ王朝の威厳をかけて直ちに大和国を討伐しなければならないのである。側近の兵達はみな悲しみを超えた怒りの中にいる。


「ウルフ皇帝さま、すぐに五万の兵を用意できます。大和国を討伐にいきましょう。」これは執政官ギルドの言葉である。


「・・・・・・・・」ウルフは黙ったままで何を考えているかも分からない。しかし、ギルドはこの沈黙が我慢ならなかった。


「今、大和国を根絶しなければ、ザオ王朝が成り立ちません。」


「ザオ王朝が成り立たないと?」

 ウルフの声が、気に食わないと言っていることに気づくとギルドはすぐに矛先を変えた。


「そもそもお父上の側近の者たちが許しません。」ギルドにとってはザオ王朝の威厳が全てであり、それを守りたかった。


 加えて、ギルドは目の前のウルフが真犯人であることを知ってしまっているのであって、それを感ずかれてはいけないという危うい立場にあり、それを隠したい一心からの言葉でもある。要は、早くこの場から逃げたかった。


「ウルフさま、ここは私にお任せください。ザオ王朝のため大和国を攻めます。」


「まあ、待て。ギルド。ザオ王朝皇帝が小さな国の使者に、しかも、ザオロン城内で殺されたとなると大問題だ。他の国に示しがつかぬ。」


「しかし、ウルフ皇帝さま・・・」


「ここは・・・急病で死んだこととし、絶対に情報を漏らしてはならない。」ウルフは極めて冷静にギルドを諫めた。


「し、しかし・・・・・わ、わかりました。」とギルドも応じるしかない。


 ギルドにとって、ずっと気になっていることがあった。それは、今もウルフの横にいる得体の知れないエビルの存在であった。ウルフ側近の部下も遠ざけて、エビルと二人きりで話すことが多くなっていたことである。それを咎めることは当然に出来ない。今、絶対君主であるウルフを咎めることは、即、自分の死を覚悟しなければならない。なんとかして、ウルフを前皇帝同様に自分の元へ取り戻したいという不安があったかもしれない。


 ギルドは執政官としての意地から、もう一度だけ、勇気を振り絞って、今度は少し語気を強めて進言した。


「前皇帝の護衛たちが殺気立っています。攻めないと彼らが暴走する恐れがあります。」

「ああ。今、大講堂にいる護衛兵達を、全員中庭に集めてくれ。俺から説得しよう。」


 この時、ギルドは今の状況をさっきよりも前向きに捉えていた。ウルフが言ったように大和国のような小さな国を討伐するのはいつでもできる。

 大事なことは、執政官という立場をこのまま維持することである。

 ウルフに忠誠を誓う一方で、ウルフを自分の思いのまま動かすという体制の維持を確立させれば、ザンバル国をより強固なものにできると考えていた。そのためにも、新皇帝ウルフのためなら何でもしようと考えていた。


 やがて、前皇帝の護衛兵達が百人ほど中庭に集まっていた。それぞれに皇帝を殺した大和国がある東の島について話している。

「東の島には船でどのくらいかかるのだ?」

「数日はかかるだろう・・・」

「東の島には五つの国があるというではないか。」「それは本当か。」・・・・


 みなそれなりに年を重ね、ウルフからすると年上ばかり、ウルフが小さい時から親しくしてきた顔でもある。

 

 間もなくして、騒然とした中庭に新皇帝ウルフと執政官ギルドが現れた。

 

 二人を見つけると前皇帝の護衛兵たちは我先にとウルフの前に集まり、次々と進言してきた。

「ウルフ様、すぐに討伐に行きましょう!」

「ギルド様、ザオ王朝のためにすぐに行きましょう!」

「討伐だ!」「討伐しかない!」「討伐だ」・・・・

「大和国をみな殺しにしてやりましょう!」

 口々に兵たちが叫び出し、ついにウルフの顔も怒りの形相に変化してきている。


 ザオ王朝に命を懸けてきた男達の言葉である。忠誠心の塊が、それぞれに思いのたけを叫び、ウルフはそれを黙って聞いている。


 一通りの具申ぐしんを聞いたのち、ウルフは、中庭から見える赤い三日月を見ながら言葉を発した。

「分かった。いつ出発するか、相談してくる。ここで少し待っていてくれ。」そう言い残すとギルドとともに奥へ消えていった。


 二人はザオロン城の奥へと黙って歩いていたが、ウルフが立ち止まり、背中を向けたままギルドに言った。


「ギルド、ザオ王朝執政官よ。どうすべきだと思う。」ウルフの声が恐ろしい。


「はい。ウルフ皇帝さま。我がザンバル国はザオ王朝とともにあります。何なりと申し付けください。今、攻めろと言われればすぐにも大和国に攻め入ります。」ギルドの本心であり、嘘偽りがない言葉である。


「何度も同じことを言わせるな。ギルド。東の島はいつでも討伐できる。俺は、あの島をエビルに任せようと考えている。今攻めてもよいが、父は病気で死んだこととする。小さな国の使者ごときに殺されたというのは許せないのだ。」


 ギルドはウルフからの願いのような話し方に少し戸惑った。


 一方でギルドはその思いを理解した。そもそも、ウルフ自身が前皇帝を殺し、自ら声高らかに大和国に責任を押し付けておいて、今はそれを広く知られることは避けたいという子供じみた精神すら気に入っている。

 皇帝は自分がなるために殺したが、皇帝という権威だけは守りたいし、皇帝とは決して殺されるような立場ではない特別な存在なのだというウルフの考え方が、ある意味ギルドの思いと一致しており、嬉しくさえ感じているのだ。


「ウルフ皇帝さま。この場は私にお任せください。あのうるさいじじい達を抑えてきます。」


「・・・・・。」ウルフは少し首を横に振ると振り返ってギルドを睨みつけた。


その目は人の目ではない。悪魔の目である。


「いや、ギルド。あの者たちの口を封じてこい。全員殺すのだ。」野太い声が、頭を鈍器で殴られたかのような感覚に陥った。


「い・今・なんと、言われましたか?」


「ギルドよ。執政官を辞めるか?」今度は心臓をわし掴みされたかのような痛みが走った。


「・・・ウルフ皇帝さま。」その声は既に震えている。


「あの連中を全員殺すのだ。」


「・・・わ・分かりました。・・・すぐに、中庭にいる反逆者どもを処刑いたします。」


 ウルフはようやく納得したようにその場を去っていった。


 ザオロン城中庭では、前皇帝の護衛兵達が、相変わらずに大和国を攻める方法を話し合っている。

 しばらくして、ギルド直轄であるザンバル国の兵たちがなだれ込んできた。みな何事が起ったのか不思議そうな顔になっていたが、理由も分からぬまま一気に弓矢が放たれ、前皇帝の護衛兵達はそこに重なるように倒れていったのであった。


 ウルフは中庭の喧騒を、ザオロン城最上階にある皇帝の部屋から見ていた。そして、全てが終わると、大きく息を吐いた。


 振り向いた部屋の奥には黄金の玉座がある。ザオ王朝皇帝の椅子である。そして、ゆっくりと玉座まで歩き、静かに座った。


「これが皇帝の椅子か・・・・・悪くない。」と言って目を閉じた。やっと叶った思いに浸っている。これまでに感じたことのない愉悦を満喫しているのである。


 やがて、皇帝の部屋に一人の男が入ってきた。


「ウルフ皇帝万歳。」


「ああ。・・・お前の筋書き通りに進んだ。やっとこの椅子に座れた。」


「誠におめでとうございます。」


「さて、次はお前が執政官になる番だが、ギルド・ザンビアをどうやって執政官から降ろすのだ。」


「すべては、各国の生贄を集め、前皇帝崩御の儀式が終わった後・・・・・今見た護衛兵達を虐殺した罪でギルドを処刑します。ザンバル国は私が引き継ぎますので、その時はよろしくお願い申し上げます。」


「ルーク。お前は本当に恐ろしいやつよ。はははははははは・・・」

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