第19話 皇帝謁見

 それぞれの国が、ザオロン城に続く大街道に行列をなしている。その日は既に多くの国の貢が城の中に運ばれ、皇帝に謁見えっけんする儀式が執り行われていた。


 街中に夜の灯りが華やかさを醸し出した頃、ザオロン城に通じる行列は途切れることはないが、後方に並んでいる国は、今日の謁見は諦め、明日になるだろうと考え始めている。


 その日、エンヒコは早くから行列に参加していたが、既に夜になり、翌日になるかと諦めかけていた。

「次、大和国が今日の最後の謁見となる。」ザオ王朝の使者が、忙しい一日がようやく終わったとほっとした表情で、エンヒコに告げた。


「・・・かしこまりました。」


 エンヒコの心が再び緊張の渦に巻き込まれていく。同盟国としては二年振りの謁見であり、エンヒコとしては初めての経験になる。次に並んでいた使者たちは翌日になったことを残念に思いながらも、それぞれに笑顔で夜の街へと消えていった。

 

 ザオ王朝への貢物の儀式はそう難しいものではない。持ってきた物を記録に残し、倉庫に納め、皇帝に謁見するだけである。


 既に、倉庫を管理する兵が言うままに手続きを進めていたが、少し奥の方から叱責する声が聞こえてきた。エンヒコも何か問題が起こったようであることは分かっていた。


「何かございましたでしょうか。」エンヒコは恐る恐る近くの兵に聞いた。


「あの声はウルフさまだ。次の皇帝さまだ。」兵の声は怯えている。


「ウルフさま。・・・あの、ウルフさまですか?」エンヒコもウルフの噂は何度も聞いている。


「そうだ。ウルフ・ザオさまだ。静かにしろ!」


 エンヒコは、ようやく事の次第を理解していた。今回嫌な予感をしていたのはこのことかと納得すらしているのである。しかし、もうどうしようもないと腹を括った。

 奥からウルフが厳しい顔をしたまま現れた。エンヒコも大きな体であるが、それよりも更に大きなウルフの体である。


「今日最後の貢がこのような粗末な物とは許せん。」野太い声が、何か喜んでいるように聞こえる。


「お前か。東の五つの国を代表してきた者は?」


「はい。大和国のエンヒコと申します。」顔は下を向いたまま、ウルフに答えた。


「今年はどこの国も豊作。どの国も昨年より多くの貢を持ってきている。お前らは、昨年は何も持って来ず、今年はいつも通りの量とはどういうことだ。」ウルフの癖が始まっていた。


「申し訳ございません。既に執政官さまへはご報告をしておりますが、昨年は狗魔族の襲撃により船を奪われました。また、不作、豊作が年によって違い、常に一定量をお持ちするようにと取り決めがありまして・・・」

 エンヒコの言葉を遮るようにウルフが吠えた。

「誰がそんな取り決めをしたのだ。」ウルフの癖に火が付きそうである。周りの兵達はエンヒコの死を覚悟し始めていた。


「・・・・・・・」エンヒコは次の言葉を発しなかった。何を言っても無駄と心が言っている。


 静かな沈黙がしばらく流れたが、やがてウルフが穏やかに言った。ウルフもここは皇帝のいる城の中という自制が働いたのかもしれない。


「まあよい。皇帝との謁見だ。ついてこい。」とエンヒコを城内奥へ促した。



 ザオ王朝の皇帝謁見の大講堂はこれまで経験したことがない広さであった。大理石で作られた城内は荘厳でかつ静かな時が流れている。壁際に灯されたランプが揺れ、不思議な世界に足を踏み入れたように感じられた。


 

 大講堂の一番奥、一段上がった壇上に黄金の玉座が鎮座している。玉座の向こう側の壁には皇帝の旗印が掲げられ、松明の明かりがおどろおどろしく照らしている。

 入口から玉座まで、真っ赤に染められた絨毯が永遠に伸び、その赤い道をウルフはエンヒコを従えて歩いて行った。ひたすら長い道を、二人はゆっくりと玉座へ向かうが、その間、ウルフは何も言葉を発しない。


 やがて、玉座の下まで来た時、ここで止まれと左手を出してエンヒコを制止した。


 皇帝が間もなく来るだろうと思われるが、しばらく静かな時だけが過ぎていく。


 ウルフはエンヒコを気にすることなく、黙って玉座を見つめていた。エンヒコからすると初めて見る大男であり、次期皇帝でもある。既に覚悟を決めてはいたが、この男だけは信用もできなければ、歯向かうことが出来ない絶対的な立場にある男なのだと理解している。

 万一、この男を怒らせることがあれば、自分の命はない。自分の命だけを守るのであれば、最後まで抵抗する肉体と精神は兼ね備えている自負はあるが、それを実行すると一番大切な大和国が危ういのであり、オオツキやセイラにも危害がおよびかねないのである。今はひたすら耐えることしか出来ない。今は皇帝とその息子ウルフの手の中にある自分自身の無力さを痛感している。



 その時が来た。


「皇―帝―陛―下―謁ー見ー!」


 静かな大講堂に侍従の高い声が響いた。


 ウルフは少し頭を下げた。


 エンヒコはその場にひざまづき、額を赤い絨毯に付けて待っていた。


 やがて、皇帝はゆっくりと歩いてくると、静かに黄金の玉座に座った。


「東の島の使者よ、よく来た。顔をあげなさい。」エンヒコは初めて皇帝の顔を見た。皇帝は五十代半ばと聞いていたが、肌艶もよく、それよりも若く見える。


「大和国の使者よ、東の島を任せているが、問題はないか。」

「はい。皇帝陛下さま。」これ以上の言葉はいらない。と、オオツキから言われている。

 

 皇帝は今日の謁見の最後にウルフが来ていることに喜んだ。


「おお。ウルフよ!!」と皇帝は満面の笑みを見せた。


「皇帝陛下。お久しぶりでございます。大和国の剣は素晴らしいので、是非とも見ていただきたいと思い参上したのです。」そういうと首を垂れ、剣を両手で高く持ち上げたまま壇上へ上がり皇帝の前まで進んで手渡した。


「おお。」


 息子から手渡された剣を見るよりも、立派に成長しているウルフをじっと見ている。


「ウルフよ、安心してこの玉座をお前に渡せる。」ウルフにだけ聞こえる小さな声で皇帝は囁いた。


「ありがとうございます。その言葉は一番うれしく思います。」とウルフも応えた。


 再び皇帝が目をエンヒコに向けた。

「台帳を見た。素晴らしい貢物だ、こちらに来なさい。この宝玉を遣わす。」と剣をウルフに返し、傍らにあった水晶で出来た玉を両手に取った。最近の謁見で皇帝が必ずする返礼である。   

 

 エンヒコが首を垂れたまま壇上へ上がりきった時、遠くにある大講堂入り口付近からエンヒコが聞いたことのある角笛が鳴った。この場には皇帝とウルフ、エンヒコ、執政官であるギルド、その他数名の護衛兵がいたが、その場にいたすべての者が入口に目を向けた。


 瞬時にウルフは持っていた大和国の剣を皇帝の胸に突き立てた。そして、すぐに向き直りエンヒコの肩から腰にかけて切り抜いた。あっという間の静かな動きであった。

 皇帝が手にしていた透明の玉が壇上から転げ落ち粉々に割れると同時に皇帝が玉座から崩れ落ちた。

「護衛兵!皇帝が刺されたぞ。大和国のこの者に刺されたぞ。」とウルフが叫ぶと、皇帝を抱きかかえるよう抱え上げ、口に手を充て、残っていた息の根を止めた。


「お望み通りにこの玉座をいただきます。」と小さく言った。


「・・・・ううう。」皇帝は息を引き取った。


 この様子を横目で感じていたギルドは恐怖のなかで何も言えない。何か言ったところで死しかないと理解している。というよりも、ウルフの突然の行動に関心すらしていたのであって、いずれそうなるかもしれないという潜在的な危機感をずっと持っていたようにも思うのである。


 ギルドは皇帝に恐る恐る近づき、心臓が止まっていることを確認すると、ウルフの前に膝まづいた。

「ウルフさま!新皇帝万歳!!」


 その場にいた護衛兵達が集まり咽び泣いている。エンヒコは大量の血を流し階段を転げ落ちていたが、かすれていく目にウルフの顔を見た。いや、ウルフとともにそこに居るのは異様な刺青をしているエビルである。そして、エンヒコは遠い意識の中でオオツキの優しい顔を思い浮かべていた。

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