第10話 赤い面
山国女王ハルは、よく赤い面を被っている。その面は鼻が高く、黒いひげを蓄えている。その面はハルの父、先代王を模したものであった。
山国の民は先代王をこよなく愛し、そして王も、山国の民を愛していた。民は、ハルがつけている面を見ると、王の在りし姿を思い出し、心の底から暖かい気持ちになったのである。
逆に言えば、ハル自身にまだ女王としての尊厳や信頼がなかったともいえる。ハルは王の面を被ることで、その威厳を保ちたかった。心細さを応援してもらいたかったのかもしれない。
ハルを心から支えるリュウは、面を外させたいと思っている。ハル自身に女王としての誇りを持ってもらいたいと心の底から思っていたからである。
しかし、リュウも王の面影を追いかけているのであって、ハルがつける面を、愛おしく思う自分と葛藤しているのである。
王は、身寄りのない子供を引き取り、我が子同様に育てていた。その中にリュウがいた。リュウは親を狗魔族に殺され、
ハルが父の面を付けるのはハル自身が父を偲ぶということもあるが、父は死んではいないと狗魔族へ見せつけるためでもある。
今日もハルが『ツル』の頂に座り、赤い面をつけ、在りし父の最後の日を思い出していた。
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ハルの父、山国王の最後の日は、暖かい朝であった。
「ハル、リュウ。狗魔族が『ツル』に入ってきているようだ。兵を連れて山の北側を見てきてくれないか。ワシは南側を見てくる。」
「はい。お父さま。」
「かしこまりました。」
身寄りのないリュウが宮殿に住み着いて15年目になる。二人を傍から見るとまるで兄妹に見える。
その前の日、ハルとリュウは二人のこれからについて話していた。これまで何度も話し合ってきたことである。
二人はお互いに信じ合い、お互いに命さえも捧げ合える関係になっていた。兄弟ではなく、夫婦になりたいと思うようになっていた。この日、山の調査がなければ朝のうちに王に話す予定であったが、王の命を受けて、今夜話そうと目と目で申し合わせるしかなかった。
王は身支度をしながら弓を担ぎ、二人の方を見てほほ笑んだ。
「気をつけてな。もし狗どもが現れたら、すぐに帰ってきなさい。」
父親としての言葉であったが、実際はそれほど心配もしていない。ハルとリュウにとって『ツル』は庭のようなものであり、どんな敵が現れようともその何倍もの速さで逃げ切ることを王は知っている。
「分かりました。」リュウは絶対にハルを守りますよという自信をもって答えた。
この時期、『ツル』の中腹には黄色い小さな花を持つ草が燃え盛るように咲き乱れている。ほのかな香りが二人を包み込み、幸せな時間を楽しみつつも懸命に狗魔族の痕跡を探した。
昼を過ぎたころ『ツル』に風が吹き出した。何かが燃えているような焦げ臭い匂いが北側の山に流れてきている。
「ハル!この匂いは南からだ。このまま回り込もう。多分、王とも会える。」
「わかった。みんなこのまま進むわよ!!」二人は二十名ほどの兵と先へ急いだ。
徐々に日は傾きかけていた。
ようやく南側の尾根に差し掛かった時、山国の兵が複数倒れている。大半の者は既に息絶えているが、生き残っている者もいた。わき腹を何かで刺され、血を流している。
「大丈夫か。」リュウが血を止めようと懐から布を出して抑え込んだが、既に息も絶え絶えの状態である。
「リュウさま。・・・ハルさま。王が、王が上に・・」
二人が『ツル』を見上げると、そこには確かに王が登っている姿があった。そしてその後ろに十人程の狗魔族が続いて登っている。そのうち一番後ろの輩は、夕陽が頭を照らし、赤い入れ墨が燃えているようである。首領エビルであることに間違いない。
「なぜ、お父さんが狗と一緒に?」ハルはどうしても納得がいかないというように囁いたが、すぐにその答えを理解した。
「あ、あ、れです。」兵は最後の力で眼下の村を指さし、そのまま息を引き取った。
ハルたちの眼下には小さな村があった。家々はすで燃え尽きている。その中央の広場に三十人程の民が一同にくくりつけられているのが見え、そしてその周りには複数の狗魔族が手に槍を持って取り囲んでいた。つまりは人質をとって、王を頂上まで先導させているようだ。
「王を助けにいく。」リュウは憤りのまま、登っていこうとしたが、ハルは止めた。
「待って。お父さんは村人を助けるために登っているはず。お父さんを助けるためにまずは村人を助けることが先よ。」
「・・・分かった。王は山の上では無敵だ。先に村を救おう。」
そのまま、急いで村へ突入すると、突然の攻撃を受けた狗魔族達は元々抵抗する気もなかったかのように早々に撤退し逃げて行ってしまった。
既に太陽は沈んでいたが、月夜が山頂を照らしている。山頂にはまだ誰も到着している様子はないことを確認すると、王を助ける為に再び上へ上へと登っていったのである。
しかし、その思いは届くことが無かった。
ハル達が『ツル』の一番目の難所、オオワシ達の巣のところまで急いで登ってきた時、王がうつ伏せに倒れているのが目に入ってきた。
「お父さん!!」
ハルは泣き叫びながら王の元へ走り込んだが、既に体は冷たくなっていた。背中に狗魔族の折れた槍が刺さっている。切先は心臓を貫き王の胸にまで到達している。
「お父さん。ごめんなさい。お父さん。どうしてなの。私が先に助けにくれば・・・お父さん・・・・」
ハルは王を抱きしめながら泣き通した。リュウもその横で泣き崩れ、冷たい土を叩き続けるしかなかった。
王の周りには、複数の狗魔族も屍となり死んでいる。オオワシ達に襲われたようである。しかし、そこに首領エビルの姿はどこにも無かった。
王はオオワシの巣のところまで来ると、そこでエビルたち狗魔族を襲わせようとした。しかし、それに気づいたエビルは王の後ろから槍を貫き、そのまま逃げたようである。
オオワシ達も王を助けられなかったこと、エビルを取り逃がしたことに、申し訳なさそうな目でハルを見ているだけであった。この日は朝までハルの泣き声が『ツル』の山々にずっとこだましていた。
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