第6話 黄色い帯

 遅い朝食を終えたカイトとレイがテラスに上り、陽光に輝く海を眺めていた。


 風は穏やかで、浜辺には絶え間なく優しい白波が寄せている。海鳥が盛んに飛び交い、獲物を探しているようで、時折垂直に海に突っ込んでは銀色に輝く魚を咥えて浮き上がっていた。


「お父さまとお母さまは、今どの辺でしょうか。」レイのひとり言のような言葉にカイトは応えた。

「もう山国の海は越えてザオ王朝に向かう大海原だと思うよ。」その言葉を聞き流しながら、レイはまた心地よい自分だけの世界に入り込んだ。


 カイトは真面目で大人しい性格であるが、このところは努めて積極的に行動するようにしている。

 一方のレイはおっとりとし、あまり外にも出ない日が多かった。それは母である妃の願いであって、常にレイを手元に置いておきたかったからであり、レイも母の思いに逆らうつもりは毛頭なかった。


 両親がザオ王朝へ向けて出発し四日目を迎え、二人とも母のいない日がいかに自由で、楽しいのかということに生まれて初めて気づき出しているのだが、そんな解放された至福の時が一瞬にして壊された。


 海国で執政官を務めるマイクがテラスへ走り込んできたのだ。


「カイトさま、レイさま、王とお妃さまの船が狗魔族に襲われました。これから兵を連れて助けにまいります!」

 怒りにまかせて今にも二人に斬りかからんとする素振りである。普段のマイクは優しい顔なのだが、血走った目でカイトを睨みつけていた。レイは既に泣き崩れ、その場にうずくまり、両手で顔を覆っている。


「マイク。落ち着け。・・・よし、助けにいくぞ。」カイトはレイを見ることもなく、マイクと一緒にテラスを走り出て行った。


 カイトは王子であり、次の王は自分だとずっと思っていた。王に何かあれば当然に自分が王になろうと覚悟もしていた。

 しかし、もし王に何かあれば、一時的に母が女王となることが告げられたことで、焦っていたともいえる。自分に何が足りないのかと、マイクに問いただしたこともあったが・・・

「何もご心配には及びません。」というだけであった。


 しかし、今、王も妃もいないのであって、この緊急事態に対処するのは自分以外にはいないのである。その思いがカイトを突き動かしているのである。

「マイク。すぐに兵を集めてくれ。父と母を絶対に助け出す。」

「はい。わかりました。」

「でも、・・・ちょっと待て。」さすがにカイトも少し考えた。

「なぜ襲われたことが分かったんだ?場所はどこだ?」カイトは矢継ぎ早に質問を浴びせた。


 マイクは怒りのあまり忘れていたものを思い出し、胸に閉まっていた帯を取り出した。


「近くで見ていた山国の子供が、その様子を知らせてくれました。お妃さまの大切なこれを持ってきました。」


「えっ!それは母さんの!」


 手に持っているのは、常に妃が身に着けている黄色の帯である。もともとは朱で染められた帯であるが、時を経て色が落ち、黄色になった帯である。

 

 それは妃の長女の形見であり、カイトにとっては亡き姉の帯である。妃は絶対に肌身離さない帯であり、カイトにとっても黄色い帯は母そのものである。その帯を手に取ると狗魔族への殺意は再び発火し、瞬間的に飛び出していった。マイクと二十名程の護衛兵達は、戦いの準備をする間もなく、走り去ったカイトを追いかけていくのが精いっぱいであった。


 そもそも、妃がレイを自分のところに置き続けるのには理由があった。


 長女を海で亡くしたからである。

 

 その時は王と妃、長女の3人で王宮の浜辺で過ごしていた。妃が王宮に忘れ物を取りに行くため、海辺で一人遊ぶ娘を王に託した時であった。想定もしていない大きな波が一瞬でさらっていった。

 王も妃も泣きに泣いた。悔みに悔やんだ。王が妃に何も言えなくなっていったのはこの時からかもしれない。


 海国から一日東へ進むと山国へ入る。


 そこから襲われたであろう現場まで一日、合わせて二日の距離にあるが、カイトは夜も走り続け、丸一日で現場近くまで到着していた。ここまで、必死に走り、何とかついてきたマイクであったが、既に後悔していた。


「ここで、もしカイト王子まで失うことになれば海国は滅んでしまう。なんとか兵が追いつくまでは我慢しなければ・・・」


 二十名程の護衛兵を連れていたが、狗魔族と戦うには心もとない人数である。


「カイト王子さま、はあ。はあ。ここで・・・少し・・・休憩を・・・させてください。」マイクの体も悲鳴を上げているが、それ以上にここで待機させたかった。

「はぁ。はぁ。分かった。ここで、休憩しよう。」カイトも一時の休息を望んでいた。

「カイトさま、後から兵も追いかけてくるとは思いますが。少しここで待って、体制を整えてから、参りましょう。さすがにこの人数では。」

「いや。急がないと手遅れになる。」

「ですが、狗どもの数が分かりませぬと我々も攻撃されます。」

「父さんと母さんが心配でないのか。お前の家族でないからな!」

「な、なにを!私にとっても大切なお方です。しかし、カイト様まで何かあれば、海国は大変なことになります!」

「かまわん。絶対に許さん。狗め。」

 カイトは右手に黄色い帯を握りしめ、怒りは既に沸点を超えている。ここまで現場に到着することのみを最優先に走り続け、完全に冷静さを欠いている。


「これが若さか。」マイクは天を仰いだ。


 その時、先に偵察に出ている兵が走り込んできた。


「カイト王子。この先の岩場に王の乗った船が着岸しています!」

「何!!よし行くぞ!!」カイトはまた怒りにまかせて飛び出していった。護衛の兵達も考える間もなく、またカイトを追いかけていくしかなかったのである。


 


 波の穏やかな昼下がりである。


 船は岸に横付けされているが、人の気配は見えない。船の周りに米や朱が散乱していることから、既に中の貢物は盗られたとみえる。カイトは真っ先に船に乗り込み船底めがけて走り込んでいった。


「お父さん、お母さん、カイトです。」大声を上げながら階段を駆け下りた。


 船底の薄暗闇のなか、人の気配はしている。


「お父さん、・・・お母さん・・・」今度は小さい声で暗闇の奥に聞いてみた。


「待ってたよ。王子。」


 狗魔族の首領エビルの野太い声が船底に響いた。暗闇に慣れてきた目には、船内にあるはずの貢物は当然にもうない。奥の薄暗い物陰に王と妃と思われる人影が横たわっている。いや、確実に生きていないことが分かる。カイトの目が怒りに燃え、剣を振り上げるとエビルに飛びかかった。


「絶対に許さん!・・」カイトの叫びが船内に響いた。


 が、しかし、カイトはそのまま前向きに倒れ込んだ。既にその体をエビルの槍が貫いていたのである。


 カイトからしばらく遅れて、マイクや兵達は次々に船に乗り込んでいったが、船底への階段を降りきる前に狗魔族達の槍で突かれ、瞬く間にその餌食となっていった。


 やがて、船の周りにどこともなく狗魔族が集まってきた。


 全てが決したあと、船底からエビルがゆっくりと階段を上り、陽光が反射する甲板に現れた。ひときわ体が大きく赤と黒が入り混じる刺青を多数入れ、多くの人を殺してきたことが分かる姿である。顔やスキンヘッドの頭は既に刺青を入れる余白は少なく、異様な幾何学的な文様が彫られている。他の狗魔族の刺青と違うのは、赤い刺青が多いということであろう。


「エビルさま王家の者をまた殺しました。今度はどこに朱を入れましょう。」エビルの部下が嬉しそうに言った。


「あああああ。最高に気持ちがいい・・・ははははは・・・」


 エビルが船首に立つと、船の周りに集まっている黒い輩どもが奇声を上げて首領の発する言葉を待っていた。


「王も妃も、そして今、王子も死んだ。海国をもらいに行く!ようやく我々の国が出来る!!まずは頂いた酒で今夜は前祝だ!!」

「うひゃー」「やったぜ!!」「オーーーーー!」


 狗魔族たちの異様な奇声がこだましている。あらゆるものを奪うという欲求を抑えられない鬼畜の叫びである。エビルは、船から神輿みこしに飛び移ると、担ぐ奴隷たちに鞭を数回入れた。黒い群れは、ゆっくりと海国がある東へと動き出した。


 その様子を遠くから見ていた山国の子供達は悔んでいた。


 親を殺され、狗魔族の言う通りに動かされ、海国王子までも死に追いやってしまったということに、耐えられなかった。

 王と妃、カイトを乗せた海国の船がゆっくりと海に沈んでいくのを見ながら呟いた。

「もう許せない。みんな、狗に殺された。」小さな目の奥は悲しみとともに復讐心で燃えている。

「このことを山国に伝えよう。」

「私は大和国へ行く。きっと助けてくれる!」そう言うと、それぞれに走り出ていった。



 狗魔族たちが進軍する時には大きな角笛つのぶえを鳴らす。その音はおぞましく、聞いたものに死を抱かせる地獄の音である。それを聞いた民は、恐怖の中に陥り、逃げるか隠れるしかない。

 この日は、特に空気が澄んでいたためか遠くで鳴る地獄の音が、海国王宮にも聞こえてきている。

 その地獄の音が意味する最悪の事態をテラスにいるレイは感じ取っていた。そして、海国の最後、自らの死すらも覚悟していた。


 狗魔族は遅くとも明日には攻めてくるであろうことが想定できた。


 レイにとっては長く苦しい夜を迎えている。


 これまで戦など考えたこともなく、何をすればよいかも分からないのである。


「お父さん。お母さん。カイト。帰ってきてよ。お願い。私どうすればいいの。」


 レイは一晩中押し寄せる恐怖の中にいる。自分の部屋に籠り、ベッドの中で只々泣き続けているのである。

 時折、部屋の外まで兵達が報告来るが、遂に何もかもが嫌になっていた。この状況から逃げたかった。


「もう来ないで!報告はいらない!」


 部屋の外に向けて叫んでいた。兵達はもう為す術がなくなっていた。

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