第5話 海国
海国の姫、レイは王宮のテラスから夕陽が沈むのを眺めていた。どこまでも続く海が朱色に染まり、水平線の端は淡いすみれ色の空と交わっている。
やさしい波の音と心地よい風がレイの心を優しく包み込んでいた。その階下にある部屋から父と母の声がかすかに聞こえていたが、その日もレイの大好きな世界から出ようとはせず、刻々と変化していく海を見続けているだけである。
レイの気持ちは他にして、王と妃の部屋は
「何も、あなたが貢物を持って行かなくともよいではないですか。」妃は少し苛立った様子で甲高い言葉を繰り返している。
「今回も朱、麻糸、米に酒、毛皮、たくさんの貢物がある。我々海国からは何もない。せめて私は同盟国のために役に立ちたいのだ。」
「だから、あなたが行くこともないでしょう?」今日の妃はいつになくしつこい。
「皇帝に会うのだから島の代表として、王が行くのは当然。なぜ分かってくれない。」いつものことながら、妃の面倒な対応に巻き込まれたと思っている。
「あなた、今回は私もザオ王朝に行きます。一緒に連れて行ってください!!」と頑なに自分の意見を言うのみである。
妃からすると、なぜ毎年王自ら貢物を持っていくのか、もしかすると王朝で自分に隠れて浮気しているかもしれないし、何か楽しいことがあるのかもしれない。嫉妬とも好奇心ともいえる感情が妃から冷静さを押しのけ、今回はどうしても王朝に行かねばならない、絶対に譲らないと思っているのである。
「海が危険なことはよく知っているではないか。」
「そのくらい、知ってますよ。」
「だから、もしものことがあれば困るんだよ。この前も言ったが、もしも私が死んだら、この国を守ってもらわないと。カイトもレイもまだ子供なのだから、分かってくれ。」
慌てた様子で諫めたことが余計に妃の決意を頑なにし、この後は収拾がつかない夜になってしまったのである。
王と妃の子供、カイトとレイは双子の兄妹である。まもなく二十歳になろうとしているが、甘やかされて育ち、まだまだ独り立ち出来ないというのが周りの見立てであった。
王としてもカイトを次の王にしたい気持ちは十分にあるのだが、自らに何かあれば妃を一時的に女王とするよう部下たちに伝えたところである。
もっとも、今のところ兄妹は独り立ちしたくとも出来る気がしていない。それほどに、母である妃の子供達への愛情と
その子供達の大人しい性格に王も悩んでいたが、妻である妃に強く注文を付けることはどうしても出来ないのである。このような歪な関係になったことを王自身も苦しんでいたに違いない。
夫婦喧嘩があった翌朝、五つの同盟国から貢物を運ぶ大きな船の上に王と妃の姿があった。
「どうやら王は折れたらしい。」
兵も子供達もそう理解していた。
「すぐに帰ってきますから、二人ともいい子でいるのですよ。」妃は満面の笑みを浮かべ、カイトとレイに手を振っているが、王は目の下に隈をつくり苦々しい顔をしている。
そんな王の気持ちは別として、穏やかな波の音と海鳥たちの鳴き声が出航を祝っているようである。
今回の航海は初めて妃が乗船することから、特に安全を期した航路となった。つまり、遠洋には出ず、岸辺が見える近場をゆっくりとザオ王朝へ帆を進めることになったようである。
この異例の行程は王が言ったものであり、真に心から妃を愛し、何事もなく帰国させたいと願っているからである。加えていうならば、ここまで妃のことを思っているのだから、もう少し自分を見てほしいとも思っているのである。
しかし、妃は自由奔放で天真爛漫。時に王をないがしろにし、子供達だけを見ていることが多く、王はそれが寂しかったのかもしれない。
王は、妃とザオ王朝を訪問することになって、当初は心配していたが、二日目の朝には少し気分が良くなっていた。というのも、久しぶりに子供がいない旅であり、否応なく夫婦だけの時間が多いことに心が浮いていた。事あるごとに妃が自分を頼ってくることが嬉しかったのだ。
初めての遠出であり妃も不安になってきたのであろう。王が海を見ながら細かく兵達に指示を出している姿に妃自身も王を見直していたようである。
しかし、二日目の夜にまた二人は喧嘩をすることになった。その日は少し風が強く、船がよく揺れたのである。妃は王に船を一旦岸辺に止めるように願い、王はこの程度の波で船を止めることなど通常あり得ぬと、従者たちの手前もあって、それを断った。船底にある王の部屋は王宮にいる時以上に険悪な空気となっていた。
そんなことがあった翌朝、山国の陸地から白い煙が立ち上がっているのが見えた。岸辺からはこちらに向かって子供達数人が何か叫んでいるようでもある。
「少し船を陸へ近づけてみよ。」
「しかし、ここは危険です!」
「いいから、近づけよ。」王は夫婦喧嘩で機嫌が悪い。
王の命令から間もなくして子供たちの顔までしっかり見てとれる所まで近づいた。山国の子供たちが手を振りながらこちらへ来てくれと手招きをしているようである。
「助けて。みんな怪我をしているの。助けて・・・」子供たちの声は一様に助けを求めている。
「王さま、これは何かの一大事ですが、今はお妃さまも乗っています。ここは見過ごしてそのままザオ王朝へ船を進めましょう。」
兵の一人が、絶対に譲るまいと、王の視線を遮るように乗り出してきた。
普段であれば、間違いなく王も聞き入れたに違いない。
が、しかし、この時は「お妃さまも乗っています」という言葉に、逆に反応してしまった。
王は妃が来たことをやはり許せないのである。そもそも妃は来てはいけないのに付いてきてしまった。
このような危険なことにも遭遇することを分からしめてやろうという思いを抑えられなくなっていた。一方で、それほどの問題もないだろうと思ってもいたからこその行動であり、妃に自分のいいところを見せ、昨夜から続く喧嘩を終わらせたかった。
「船を岸に着けよ!」
「しかし、王様。・・・これは危険です。何卒!」
兵達としても王と妃を守るという責務があり、この状況で船を岸に着けたくない。
「命令だ!船を岸に着けよ!!」
普段はあまり見せない王の高圧的な命令が下ると、兵達は渋々ながら船を岸に寄せるしかなかった。
しばらくして、船が山国の子供達がいる岸辺に着岸した。
その時、子供たちの背後にある岩影から数人の影が船に乗り込んできた。船が離岸しないように手際よくロープで船と岩を括りつけている。同時に、次から次へと奥に茂る森の中から影が飛び出し、一気に船へと飛びこんできている。
乗り込んできた影の正体は黒い刺青。狗魔族である。刺青の多さからすると相当に人を殺していることが分かる。
「うっひょうー。この船はもらったぞ。」
「大量大量!」
「死にたくなければ、海に飛び込め。」
「飛び込んでも上から槍でついてやるがな。ははははは・・。」
笑みから見える尖った歯が異様な不気味さを漂わせ、獲物であるこの船はもう俺たちのものだと言わんばかりの余裕を見せている。
兵たちは狗魔族を見るや、次々に剣を抜き切りつけようとしたが、その剣先が届く前に複数の槍が体を射抜いていた。
何人かの兵達もはじめは交戦したものの、あまりの敵の多さに徐々に倒れ、あっという間に王のみを残して全滅してしまった。王は自分が犯した浅はかな計画を悔やむ間もないまま、船底にいる妃の元へ逃げ込むしかなかった。
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