第3話 ネゴシエーション

 セイラとエンヒコを真ん中にして、二十人ほどの男達が集まっている。この男達の体もエンヒコ同様に筋肉質であるが、赤い粉で体中が汚れている。


「セイラ姫さま。また、申し上げたいことがあります。」

 長老の懇願こんがんにセイラも頷くしかない。


「・・・分かっております。そう何度も来なくとも。分かっておりますとも。」

 エンヒコはセイラに面倒を掛けたくない一心で、間に入って遮ろうとした。


「エンヒコ。話を聞きましょう!」セイラの鋭い声がエンヒコを制した。

「はい・・・・」エンヒコの心は既に沈み込んでいる。三日と置かず同じ陳情ちんじょうが続いていたからである。


「セイラさま。大和国で使う分には問題ないのですが、皇帝さまに献上けんじょうする量が多すぎます。」

 他の若い鉱夫こうふも疲れ切った表情で続けて言う。


「夜も掘り続けているんです。でも・・・、これ以上はもう・・。」


「すみません。」セイラは謝ることしか出来ない。

「・・・分かっているのじゃ。みなの苦しさはオオツキさまもセイラさまも十分に分かっているのじゃ。」エンヒコも返答に苦しかった。


 大和国の南側に位置する山に赤い顔料がんりょうとなるしゅを多く含む地層があった。その層に沿って縦横に穴を掘って採石し、その石を砕いて朱を取り出す。

 朱は神聖な場所や死者の弔いなどに使われ、祭事には無くてはならないものである。

 また、この世界を統治するザオ王朝、皇帝への貢物みつぎものにもされており、毎年大量の朱を税として納めなければならなかった。

 

 大和国女王であるオオツキも朱で染められた帯をこよなく愛し、朱を身に着けていることで神と対話ができると信じている。セイラはというと、朱で染められた赤い麻糸を髪に巻きこんでおり、オオツキが首からかけている鏡にその姿を映し出しては喜んでいた。


 しかし、近年この朱が採れなくなっていた。地層の大半は掘り尽くされ、朱を多く含む石が減少していたからである。

 朱が採れなければ別の方法で税を納めなければならない。


 奴隷である。

 

 若い子供を奴隷として献上することで、ザオ王朝への忠誠を示すのである。これだけは大和国としても受け入れるわけにはいかないと考えていた。

 

 大和国は大陸と海を隔てた東の果てにある島にある。その島には四つの国がある。西側半分を統治するのは山国やまこく。弓や槍で動物を狩る狩猟民族である。

 島の東側は三つの国に分かれているのだが、北側を治めるのは土国どこく、農耕民族であり米を作っている。

 最も南側は海国あまこく。海洋民族であり、船を操り魚を捕る。

 そして、真ん中に位置し一番小さい国が大和国である。島の東側にもうひとつ小さな島があり、そこは結国ゆいという。この五つの国は遠い昔から強い絆でつながり、運命共同体といっても過言ではない。


 ザオ王朝に納める税は朱や麻糸、米や酒、干し肉など5つの国が共同で納めなくてはならない。年々その量が増加しており、民からの不満も頂点に達しようとしているのである。


 しかし、皇帝の命令は絶対であり、服従するしかない。約束した量を納めなければ、より大きな苦難を課されるのは明白である。つまりは、それが出来ないとなれば、国すらも滅ぼされるのだ。


 エンヒコにとって大和国は命をかけても守りぬく全てである。が、これだけは、自分の力ではどうにもできないのであって、その狭間で心が引き裂かれそうになっていた。


「エンヒコさま、前々から頼んでいるけんど、皇帝さまにお願いしていただけんのかい?」


 いつものように長老が両手でエンヒコの右手を掴んで懇願した。ゴツゴツとした歴史を刻んだ手である。エンヒコは申し訳なさそうな顔を向けるしかない。大和国も当然に何もしていないわけではない。大陸を治めるザオ王朝に対して何度も願いを申し出ているのであるが、全く反応が無いと言えた。


 その手にセイラが両手で包むように重ねた。


「長老さま。海国の王さまが朱を少なくしてもらえるようザオ王朝と話していただいています。もう少しだけご辛抱ください。すみません。」

「すまん。もう少しだけ我慢をな。」二人の精いっぱいの返答である。


「わかりました。セイラ姫。きっとですよ。・・・」


 今日も同じやり取りを重ね、それぞれに諦めるしかない。鉱夫達もどうしようもないことは理解しているのであって、渋々と南にある山に戻っていくしかなかった。



 そのころ、セイラやエンヒコ達の思いを胸に、まさに海国王が遠い大陸にあるザオ王朝に出向いていた。そして、今回こそはその願いを絶対通すという強い覚悟を持ってきている。

 

 ザオ王朝において、皇帝に次ぐ地位にある執政官のギルドは、海国王といえども、そう簡単に面談できるものではない。しかし、今回は絶対に交渉を進めるため、門番という門番、護衛兵という護衛兵に対して賄賂を渡し、遂にギルドの執務室に来ていた。


 ギルドは、皇帝がいるザオ王朝の隣国、ザンバル国の王でもあり、この世界の国々を統制する立場にある。その権限は極めて大きく、それぞれの国から送られるザオ王朝への貢物の内容やその量を決められる立場にあった。


 ギルドの執務室はこれ以上にないという豪華な装飾が施され、そこに来る者を圧倒している。知らない者からすると、ギルドを皇帝と見間違うほどであり、黄金の玉座に座り、赤や黄色で刺繍ししゅうされた派手な服を着ている。その重厚な服は、丸々と太った体を窮屈に積みこんでいるせいか、ギルドは襟を右手で広げながら苦しそうに話し出した。


「東の国の・・・誰だ?」後ろにいる秘書にヒソヒソと再確認すると再び向き直った。

「東の島の・・海国王、今日はあまり時間が無いのだが・・・要件を早く申せ。」


「おそれながらギルド執政官殿。以前よりお願いをしておりますが、いよいよ私どもの島ではもう朱が採れなくなっております。何卒、量を減らしてほしいのです。」


 玉座に深々と座るギルドは少し考えている素振りをしたが、もともと聞く耳を持っていないという目をして言った。


「では、その代わりに何を増やせるのだ?」


「はい。麻糸なら増やすことができます。」


「麻糸のう・・・。」しばらく沈黙したが、ギルドのほうから別案を示した。


「・・・そういえば・・・・、今、朱より青が好まれる。はるか西の異国からラピス何とかとか言ってたが、お前の国にその青はないのか。」


「・・・青・・・ですか?・・青は、ございません。」

「そうか、では、難しいのう。」ギルドは朱を減らすことは絶対に受け入れない様子である。

 しかし、手ぶらで大和国に報告もできないと海国王も慌てて予め用意していた条件を提案した。

「ギルドさま、麻糸の量を倍に増やします。それで、何とかなりませんでしょうか。」

「麻糸を倍にのう・・。」それはそれで、魅力的な条件ではある。大和国で作られた麻糸は大陸でも評判がよく高値で取引されているからだ。


 しかし、ギルドは返答せずに、更に何か不満な目をしている。


「それと、ギルドさまへの麻糸も、これまでの倍にさせていただきます。」


 その言葉にギルドの眉が微かに動いた。そこまではなんとか量産可能とエンヒコから聞いていた条件である。また、朱も麻糸も同じ大和国の産物であり、同盟国に影響が及ばない策でもあった。


 ギルドはしばらく考えていたようであったが、ようやく決断した。


「まあ、いいだろう。但し、私には三倍にしてもらおう。」というと席を立った。


 海国王としても、想定以上の量であり苦しいが、ここに至ってはもうどうしようもない。

「ありがとうございます。」と言うしかなかった。


 しかし、この「麻糸を増やし、朱を減らす。」という報せは、大和国女王オオツキを大いに喜ばせた。この時、嬉しさのあまり、オオツキはある行動に出ている。


 海国王が、浜辺で船の修理をしている兵士達に指示を出していた時である。城から兵が走ってきた。

「何事だ。そんなに急いで・・・」

「はぁ、はぁ、国王様、大和国のオオツキ女王様が今、我が王宮にお見えでございます。」

「オオツキ女王が・・・え?・・嘘!・・・オオツキ女王が海国に?」

「はぁ、はぁ・・・・はい。今来られております。・・・・お妃さまが・・ご対応をしておられます。」

「え!・・妃が?・・それは!!すぐに行く!!」


 その時、海国王宮は大和国女王が突然に現れたことに騒然としていた。


 なぜならオオツキが海国へ来たのは二十年以上前に海国王が即位した時以来であり、海国の兵も何事が起ったのかと驚いているのだ。

 王宮広間では、妃が久しぶりに会うオオツキの美しい姿に驚愕していた。もともと甲高い声色であるが、気が動転しているせいか更に高い声になっている。


「オオツキ女王さま。お会いするのは何年振りでしょうか。」


「お久しぶりですね。お妃さま。お元気そうで何よりです。また、カイト王子にレイ王女も立派になられて、いつぶりかしら。」


「オオツキ女王様、五年ほど前に大和国に伺いました。」

「その時以来でございます。」王子と王女の挨拶は妃と違って落ち着いている。


 妃はオオツキの上から下まで改めて何度も見回した。


「また・・・美しくなられたようで。あの時より、あまり変わっていないような・・・いや、あの時より若くなられているような・・・」


「ありがとうございます。お妃さまもお変わりなく・・・」と言ったが、妃はそんな言葉には騙されない。


「・・・なにか秘訣があるのでしょうか?教えていただけませんでしょうか?オオツキ様・・・」


「いいえ。秘訣などは特に・・・。」


「なにか薬草などお飲みに?」


「いいえ。特に・・・・」


「では、何か塗っておられるのですか?」


「いいえ。・・・特に何も・・・」


 カイトもレイもこの応酬に堪えかねているが、冷ややかに見ている他ない。


 妃はオオツキの変わらない姿に納得がいかず、その周りをくるくると回りながら嘗め回すように見ている。ついにオオツキも居心地が悪くなっていた。


 そこへようやく海国王が駆け付けてくれた。

「オオツキ女王さま!」


 海国王は本当にオオツキが目の前にいることに驚いているのである。オオツキも妃の話を終わらせてくれたことにほっとしている。

「お知らせいただければ、こちらから伺いましたのに。」

「いいえ。海国王さま。エンヒコから聞きました。早くお礼を申し上げたかったのです。」オオツキは満面の笑みである。


「何を、そんなことで。」


「この度の交渉。誠にありがとうございました。我が大和国の朱は年々少なくなって、民を苦しめておりました。何とお礼を申し上げたらよいか。本当にありがとうございました。」


「オオツキさま。私共海国は貢物を何も作っておりません。大和国の麻糸に朱、土国の米に酒、山国の毛皮に肉、我々はそれらを持っていくだけです。みなさまのご苦労は十分に知っているつもりです。しかし、朱を減らす代わりに麻糸を大量に増やされました。お許しください。」


「いいえ。麻は植えれば、なんとか増やせます。これ以上にない交渉をしていただきました。本当にありがとうございました。」オオツキの心からの言葉であった。



 このオオツキの訪問は海国に大きな自信と誇りを取り戻していた。海国王が言った通り、海国は貢物を持っていくことが役割であったが、その貢物となる物がなかったからである。

 そのため、いつも他国のおかげで生かされているという劣等感すら持っていたのであって、今回の交渉事でオオツキから直接に礼を言われたことは、これまでの苦しさから解放され、ようやく同盟国の一員になったように感じられた。


 余談にはなるが、この時のオオツキの訪問は海国の虚言きょげんだという噂が流れた。何故なら、オオツキはどこの関所も通らずに海国へ行ったことから、関所を守る兵から疑念がもたらされたようである。


 大和国、海国、土国、山国は、谷や川で国境があり、それぞれ行き来できる峠や橋などの関所を通らなければ他国に渡ることはできない。大和国には数か所の関所があり、それぞれに兵が常駐し、民が安全に通行できるように見守っているのであるが、この時、誰もオオツキが関所を通るのを見ていなかったからである。


 一方の海国内では、オオツキの変わらぬ美しさと、どのように来て、どのように帰ったのかという不思議さが、より一層オオツキを神の使者と崇拝すうはいすることとなった。


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