第2話 鬼龍地
天空殿から東へしばらく歩いた山合に「たたらば」がある。幾重にも重なる山々が、そこを隠しているかのように煙や異臭、赤茶色く錆びついた小川を浄化している。
この「たたらば」を管理しているのは
桔梗は美しい。一目見た男どもには
最近、桔梗は機嫌が悪かった。
当人も根本原因は分かっていないようであるが、なにかに追われているような感覚が付きまとっている。そのことを誰かに相談したいと思うが、相談する相手がここにはいないのである。
そこで、桔梗は時々女王オオツキに会いに行く。そこでは大和国の未来や、「たたらば」のことなどを話すが、最後にオオツキからいつも言われていることがある。それはエンヒコのことであった。
エンヒコの妻はヒロトを生んですぐに病死していた。
エンヒコに見合う女性もいなければ、桔梗に見合う男もいない。二人が一緒になればと思うのは当然のことで、桔梗自身もそうなりたいと考えていたようだ。しかし、日々の忙しさに時間だけが過ぎており、そのことが桔梗の心を乱していたのかもしれない。
桔梗の屋敷に大和国の国境を守る兵が走って来た。
「桔梗様。山国からリュウ様が来られました。」
「ようやく来たか。
「は!!」
原料となる鉄石は大和国を流れる川にゴロゴロと落ちている。山国で採掘される鋼を加え、高炉で溶かし精錬するのだが、その配合や鍛え方が特別なのか、大和国で造られた剣はよく斬れる。
遠い大陸から持ち帰った剣が一とすれば、大和国のそれは九か十倍。軽く振り抜くだけで、柔らかな草も硬い木も、何の抵抗なく簡単に、そして鋭く斬ることができた。
やがて、桔梗が待つ屋敷にリュウが通された。何の色気もない部屋の中央に大きな机と無造作に酒を入れた樽が置いてある。
リュウは定期的にここへ来るのだが、桔梗に会うのがこの上なく苦手としていた。
桔梗の美しい容姿とは裏腹に、発せられる攻撃との狭間でタジタジになってしまうようで、なるべく留守を見計らって来ていたのだが、今回は当てが外れたようだ。
「失礼します。」(ヤバイ・・・これはマズイ・・・)
リュウは桔梗を見るなり感じていた。桔梗の目がすでに冷たい。
「リュウさん、お久しぶり。」
「はい。申し訳ございません。」
リュウも、桔梗が何を言いたいのかを直ぐに理解し謝るしかない。
「今回は多少多く持ってくることができました。」
咄嗟に返した言葉に桔梗の険しい顔が少し緩んだ。
「ふっ。そうですか。ありがとうございます。ところで、山国の王さまはお元気ですか。」
「はい。ほぼ毎日『ツル』に登り、鋼を削っています。」
「でも・・・・・もう少し増やしていただくと、ありがたいのだけど・・・」
桔梗の本音が飛び出すとリュウは気を引き締めた。これまでに何度も痛い思いをしており、緊張を解くことはしない。
「申し訳ございません。『ツル』は王家しか登れません。・・・・」
「難しいことは分かってるけどね・・・・。」
桔梗は二つのコップに酒を注ぐと、一つをリュウに手渡した。
「・・・ありがとうございます。」というと乾ききった喉に一口流し込んだ。
「リュウさん。ここをもっと大きくすることが出来れば、同盟国の繁栄は間違いないと思うのよ。オオツキさまもそれを望んでいる。王様には伝えてくれてるんですか!?。」と言いながら、パシッとリュウの頭を叩いた。
「イテッ!!」(ほんと痛い・・・)
リュウとしても、何とか量産したいと思っているのであるが、鋼を削ることができるのは国王だけなのであって、どうすることも出来ない事である。
「桔梗様、そのことについては、改めて国王に相談してみます。」
早くこの話を終わらせ帰りたかった。桔梗としてもリュウに言っても仕方が無いことは十分に理解している。
「リュウさま。よろしくお願いしますね。さてと、今回のお支払いはどういたしましょうか。」
「・・・はい。そのことなのですが、今回は剣と矢じりをお願いしたい。」
「剣と矢じり!。ふ~ん。山国は武器を集めて何をしようとしているの?」
「何って。
「・・・
桔梗にとって、いや、大和国にとっては、この『たたらば』を如何に大きく拡大させていくかが大きな課題である。もしも、大和国の「たたらば」がもう少し大きければ、この世界は違った方向に進んでいたことは間違いない。
一方、天空殿の麓では毎日のように市場が開催されている。日々の生活で必要な米、貝や魚、肉や毛皮、麻織物、鉄製品などが並んでいた。みんなが物を持ち寄る市場ということで、ここでは「
「寄市」を管理するのがエンヒコとヒロトである。毎日のように出仕しては揉め事を治めている。
もっともエンヒコからすると「寄市」は重要な情報収集の場である。同盟国や遠い大陸の情報が逐一入ってきており、その情報収集力が大和国の強みといえた。
「寄市」が発展してきた理由は、一言でいえば安心感である。エンヒコの剣の腕前は島一番と噂されており、大陸にも敵うものはないという評判であるが、それは試したことは当然にない。
誰しもが、硬い筋肉で覆われた身体を見ただけで挑戦しようとするものもいない。強いからこそ、老若男女が安心して集うことができるのだ。
しかし、商売には
「この肉は、そんなこんまい魚では足らんわ。帰んな!」山国から来た狩人が、海国の子供を怒鳴っていた。
そこへ丁度エンヒコが通りかかった。
山国の狩人は毛皮を身に纏い、槍を片手に威勢よく子供をいなしているところであった。
ここ数日は海国でも漁が出来ない日が続いていたこともあり、小さくとも魚を持ってくれば肉と交換できると思ったのかもしれない。
その日その日で持ち寄られた物の価値を変化させるのも、エンヒコの力が試されるところであり、どんな小さな騒ぎも抑えることが自分の仕事であると自負しているのである。
エンヒコも予想以上に小さな魚を見て困惑したが、ここまで持ってきた子供を応援したくなっていた。
「山国の民よ。今は海が荒れて魚は捕れんよ。どうだろうか。この麻糸もつけるから肉と交換してあげてくれないか。」エンヒコの鋭い目を見て狩人もすぐに諦めた様子である。
「・・・エンヒコ様に言われたら断れませんよ。ぼうず、ほらよ。」そう言うと、いくつかある肉の塊のうち一つを子供に渡し、また威勢よく次の交換に移ろうとしていた。
子供は嬉しそうに、そして申し訳なさそうにエンヒコに礼を言うと、これ以上にない交渉を成し得た喜びとともに、木陰に隠れていた父親の元へと走っていった。
「・・・これは、やられたわい。」エンヒコが苦笑いをしながら、次の喧嘩に足を運んでいった。
この賑わいは、だいたい昼前には終わり、それぞれの望みを叶え、心を躍らせながら自分の国や村へ帰っていく。「寄市」のほとんどの人が帰り支度をしているころ、ヒロトがいつものように最後の見回りをしていると、「寄市」の端で、行きかう人という人に言葉をかけている親子が見える。
「お願いします。お願いします。どうか。・・・」骨と皮だけになっている親子が誰かれにと頼み込んでいるが、誰も耳を貸そうとしていないようである。
ヒロトがピョンと二人の前に座り込むと、努めて笑顔で聞いてみた。
「どこから来たの?」
「北の村からです。」
「どうしたの?」
「村が襲われて・・・この子に食べ物を少し分けていただけないでしょうか。」
ヒロトの顔が曇った。狗魔族の襲撃がそこまで来ているということに恐怖を感じずにはいられない。子供は男の子か女の子かも分からないくらいに汚れてはいるが、家族を失った怒りと生き抜こうとする強い目をしている。
「おなかすいたか?」
「・・・うん。」
「分かった。腹いっぱい食わしてやるよ。」
「ほんと!?」
「ああ。もう大丈夫だよ。」
「おかあさん。おにいちゃんが食べさせてくれるって。」
母親は安心したのか子供と抱き合って大声で泣き出した。そこへエンヒコもやってきた。
「どうしたんだ。ヒロト。」
「あ。お父さん。また村が襲われたんだよ。この人たちを桔梗さんとこへ連れていってくるよ。」
「そうか。また狗どもが・・・。」エンヒコは歯を食いしばり怒りを押し殺した。
「お父さん。最近、増えてるね。」
「ああ。どうにかせんとな。」エンヒコも思案を巡らすが、妙案はない。
「じゃあ、この人たちを連れて行ってくるね。」
「ああ。頼んだ。」
ヒロトは二人を立ち上がらせると、東へ向けて歩き出した。
「この先に『たたらば』があるから、そこで暮らすといいよ。家もあるし、みんな優しいよ。心配しないでいいからさ。」
「ありがとうございます。・・ありがとうございます。」
「たたらば」は大和国の宝であり、日々の糧を得る源である。食べ物や住まいも十分に整っているが人手が足りていない。「たたらば」には、どうしても働き手が必要であった。その労働力確保もエンヒコやヒロトに課された責務であり、今日の親切もその一環ともいえる。
「たたらば」で暮らす人々は、自分一人では生きていけないということを知っていた。どのような民がきても、快く受け入れる風土が根付いている。
それは、みな自分がそうであったと理解しているからであり、それぞれに辛苦を重ね、行き場を失い、この山に辿り着いているのである。そして、山に生かされているという感謝の思いが、ここで暮らす人々の根底にある。
「たたらば」で働く人はみな楽しそうである。が、仕事は決して楽ではない。毎日のように朝も昼も夜も高炉の火を消すことがなく一年中動き続ける。
人々は交代で仕事をこなし、それぞれに役割も決まっている。川で鉄石を集めてくるもの、燃やす石炭を運ぶもの、鉄を溶かし精錬するもの。その鉄を鍛え剣にするもの。食事を作るもの。洗濯をするもの。掃除をするもの。病気になれば代わりの者が手伝う。どのような人も受け入れる懐の深さがあり、みなが助け合って生きている。「たたらば」そのものが、一つの家族であるといえた。
「泣くな。泣くな。もう着いたよ。こっちだよ。」ヒロトの声が微かに響くと屋敷から桔梗が走って出て来た。
「ヒロト!・・・エンヒコ様は?」桔梗は髪の毛を直しながら周りを見回している。
「お父さんは寄市の片付けだよ。」
「いないの!?」桔梗の残念そうな顔にヒロトは不思議そうに顔を傾けた。
「それよりさ、この人たちにご飯食べさせてよ。」
「ん!どしたの?」
「北の村が狗どもに襲われて、二人だけが逃げて来たんだって。」
「また!」
「そうなんだ。最近ほんと多いよね。」
「・・・さあ、お二人さん!こっちよ。」
桔梗が二人を連れて奥の屋敷へと消えていった。
ヒロトはその姿を見届けると眼前に聳える山を見た。「たたらば」を見下ろす小高い山、
ヒロトは天辺丸を見るといつも少し背筋が寒くなってくる。かつて、エンヒコから聞いたことを思い出していた。
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「ヒロト。あの山を見てみろ。」
「あの山はなんていうの?」
「天辺丸という山じゃ。」
「てんぺんまる。変ななまえ。」
「ああ。あの山の頂にな、祠があるんじゃ。」
「ほこら?」
「ああ。悪いものを閉じ込めている蓋じゃ。」
「ふた?」
「そう蓋じゃ。それは神さまじゃ。神さまが悪魔を閉じ込めてくれている。」
「神さまが閉じ込めたの?」
「そう神さまが閉じ込めたんじゃ。その昔、人を食うオロチがおった。女王さまが神さまにお願いをして、ご威光を受けた。そしてオロチを天辺丸の頂に閉じ込めたんじゃ。」
「オロチって?」
「わしにも分からん。大きな蛇かのう。」
「・・・人を食べるの?」ヒロトは首筋が寒くなっていた。
「ああ。一口さ。」エンヒコは面白おかしく答えたものの、自分自身も気味悪い山だと感じている。
「神さまの、ご威光って?」
「さあな。」エンヒコもよく分かってはいない。自分も父親から聞いた事をそのまま言っているだけである。
「お父さん!それ、本当なの。」
「本当さ。・・・・・。嘘じゃ嘘じゃ。子供が山に入り込んで、怪我をしないようにという戒めじゃ。」
エンヒコは笑って言ったが、全くの嘘とは思わない自分がいるのである。
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