第1話 雨乞の儀


「お父さん、オオツキさまは雨を降らせてくれるでしょうか。」


「あたりまえだ。オオツキさまは同盟国の安寧あんねいを誰よりも願ってる。全ては神のおぼし。お力添えをいただくしか方法は無い。」


 まだ朝だというのに、木々という木々から蝉たちが爆音を鳴らしてる。他の生きとし生けるものはというと動くことをあきらめているようだ。


 大和国の城、天空殿は山合の中腹にあり、下界と比べると暑さも比較的抑えられているうえ、女王が住む城というりんとした緊張感が、訪れた者にいくばくかの涼しさを感じさせる。

 大広間の高い天井には開閉式の窓がいくつかあって、そこから不定期に注がれる光が幻想な空間をつくっていた。

 この若い親子は昨日から同じ会話を何度も繰り返しているのだが、何か話すことで久しぶりに女王オオツキと会う緊張を隠したかったのかもしれない。


 大和国の大きな鐘が鳴った。

 カァーン・・カァーン・・カアーン・・・


 この鐘の音は、四方を山に囲まれた大和国に毎日のように響き渡る。女王が天空殿に来たという知らせであり、夏の山合に一時の爽やかな風を届けてくれる。

 灼熱に揺れる空気に鐘の残音が微かに響くなか、オオツキがゆっくりと大広間に入ってきた。

(あぁ、なんと、うつくしい・・・)

 エンヒコはその姿を一瞬見たが、すぐに目をそらした。薄い生地の向こうに柔らかな輪郭が透けている。


 オオツキは麻で織られたワンピースに朱色の帯をまとい、女王の証拠しるしである丸く小さな鏡を首にかけている。胸に光る鏡は天井から注がれる陽光を受けると金色に反射し、黒い床に煌めきを映していた。

 

 オオツキは大広間の中央まで進むと、緑石りょくせきの玉座に座った。


「エンヒコよく来てくれました。ヒロトも大きくなりましたね。」


 その言葉は部屋の構造のせいか、天井から聞こえてくるような錯覚に陥る。


「・・・あ・ありがとうございます。オオツキさまも麗しゅうございます。」


 窓から差し込む光を浴びているオオツキの神々こうごうしい姿に、二人とも完全に心を奪われ、それ以上の言葉を発することも出来ない。というのも、オオツキが着ている麻織物はエンヒコの村が織ったものである。

 

 夏前に、山合の畑に種を植え、やがて背丈ほどに成長した麻を刈り取り、一度蒸した後に、天日に干して乾燥させる。そのあと繊維を紡いで糸にしてから丁寧に織っていくのだが、エンヒコ達が作った麻織物は光沢があり、遠い大陸からの評判も良い。

 

 オオツキの透き通るような白い肌につやがある大和国の麻はよく似合う。エンヒコとヒロトは、自分達が作ったものを女王が着てくれているという矜持きょうじが心の底から湧いてくるのを感じずにはいられないのだ。


 汗だくだった親子の火照った体がいつの間にか冷えている。冷たい汗が背筋を流れ、エンヒコは「はっ」と我に帰ると、このまま心地よい時を過ごしたいという欲求を抑え込んだ。


 そして、心もち前に座り直すと、大広間の黒い床に大きな額をつけた。


「・・・おそれながら、オオツキさまにお願いしたいことがございます。」


「なんですか。あらたまって・・・」やはり声は天井から聞こえてくる。


「は。・・・」

 

 当初の威勢は消えていたが、息子の前である。父親としての威厳を見せなくてはならない。顔を上げると、しっかりとオオツキの目を見て訴えた。


「我々の大和国は川の水が豊かで何とかやっていけますが、北にある土国は川もなく、ずっと雨が降っていません。すでに溜池も干上がり、作物も枯れ果てました。このままでは民も飢えてしまいます。何卒、天の神さまに、雨を降らせて頂くようにお願いいただけないでしょうか。」


 再び黒い床に額を着けた。


 オオツキの返答にはしばらく時を要した。


 エンヒコの額からは、別の種類の汗が一筋、二筋と乾いた床ににじんでいく。


 もっとも、雨ごいの儀式はオオツキにとっては本業中の本業であって、代々受け継いでいる家業である。当然に同盟国のために雨ごいをすることには何の躊躇ちゅうちょもない。


 しかし、ここ数年は占いや魔法を愛娘であるセイラに教え伝えているところであり、その立場、つまり女王という地位を譲ろうとしているのだが、雨ごいの方法はまだ教えていなかったという後悔が先にめぐっていたのだ。

 どのようにセイラに教えようかという算段に時を要したのだが、良い機会を得たと納得すると玉座から勢いよく立ち上がった。


「エンヒコありがとう。すぐに『雨ごいの儀』を執り行います。」


「は。ありがとうございます。」


「みなに準備をさせてください。セイラにやってもらいます。」

「セイラ姫が・・・ですか。」

「セイラならきっとできます。」

「申し訳ございません。直ぐに準備に取り掛かります。」



 『雨ごいの儀』は天空殿から山を一つ越え、冷たい川を遡った深奥しんおうにある滝で行われる。神と会話する場所であることから神滝かみたきといわれている。

 大和国にとって神聖な場所であり、誰も近寄ることができないよう、途中に関所が二カ所設けられていた。

 

 山を越えた谷川に面したところに一つ目の関所がある。右側の谷川は深く、左側はどこまでも崖が続き、人ひとりがやっと通れるほどの道が奥へと続いている。


 おおよそ一年ぶりにオオツキがやって来たのであって関所を守る兵達も神経質になっていた。


「整列!」

 

 ひときわ体が大きい第一関所長の声が響くと、20名程の兵士が二列に分かれ、それぞれの槍を頭上で重ね合わせ櫓を組んで出迎えた。


「みなさん。ご苦労さまです。」オオツキの言葉は軽やかだ。


 セイラは久しぶりに神滝へ来ていることに加え、初めて雨ごいをするという緊張もあってか、どこか落ち着かない様子である。


「オオツキさま。本日は『雨ごいの儀』、何卒よろしくお願い申し上げます。」

 関所長の声は少し緊張しているが、オオツキ自身は少し気楽である。


「今日はセイラにやってもらいます。」


「よろしくお願い申し上げます。セイラ姫さま。」


「まかせてよ!」セイラは不安な気持ちを抑え込むと、努めて元気に応えた。


「ここからの道はとても狭くなっております。私が先導しますので、どうか慎重に進んでくださ・・・・・」

「りょうーかーい。」

 セイラは説明を聞き終わる前に、そのまま、真っ先に細い道を奥へと入っていった。追うようにエンヒコ、オオツキが続く。関所長も慌ててその後を追いかけていくしかなかった。

 

 谷川に沿ってしばらく登っていくのだが、途中で対岸に渡るため、つると木で編んだ吊り橋を通らなければならない。セイラは少し不安を感じたが、高いところは苦手ではない。


「お母さん。先に行きます。」意を決して一歩を踏み出した。


「足を踏み外さないように、気をつけなさい。」


「はい・・・・」


「キャー!」

「・うぇ!」

「・・ウギャー!」

「・・・ダ!」

「ゲャ!・」


 一歩進む度にセイラの奇声が深い谷に吸い込まれていく。その声を聞きながら後方で待つエンヒコは笑うしかない。


 セイラの後をオオツキもゆっくりと渡っていたのだが、橋の中央まで進んだあたりで二人の足が止まった。思いのほか、橋が大きく揺れ出したのである。二人が振り返るとエンヒコが渡り出している。


 エンヒコの体は重い。足を運ぶたびに大きく橋がきしむ。


「エンヒコ、揺らさないで!」セイラの顔が怒っている。

「も、申し訳ございません・・わざと揺らしているわけではないのですが・・・・。」

 エンヒコはどうしようもないという顔をしていると・・・

「私たちが完全に渡りきってから来なさい。」とオオツキの厳命が放たれ、さっきまで笑っていたエンヒコの顔から表情が消えた。


 橋を渡り切ると、谷川に沿って、さらに細い道を登って行く。川の流れる音が眼下から聞こえる中、これから行われる儀式に向けて、セイラの気持ちも浮いてきた。


「お母さん。神さまには雨を降らせてくださいと言えばいいの?」


「そうよ。民が困っていることを伝えること。そして、私たちがいつも感謝していることを伝えるのよ。」


「神さまは私のことばを聞いてくれるかしら。」


「ええ。必ず聞いてくれるわ。」


「なぜ分かるの。」


「そのうち、あなたにも分かるようになるわ。」


「ふーん・・・」(私にできるかなぁ?)


 やがて、セイラの目に小さな滝が幾つか連なっているのが見えてきた。


 そこは少し広がった空間となっており二つ目の関所が設けられている。落ちれば連なる滝に飲み込まれ、なかなか浮き上がることは難しいかもしれない。

 既に日が暮れそうで、奥深い森の中ということもあり、周囲は暗くなってきた。


 二つ目の関所から先は、滝から出される飛沫しぶきで一年を通して霧が絶えることがない。

 今度は、ひときわ体が小さい第二関所長が緊張した面持ちで、用意していた松明たいまつをエンヒコに渡した。

「エンヒコさま、ここから先は滑りやすくなっていますので、お気を付けてください。私共はここでお待ち申し上げております。」


「ああ。これから『雨ごいの儀』を執り行う。誰も通すでないぞ。」

「は!!」


「オオツキさま、セイラさま、ここからは私が先導します。付いてきて下さい。」エンヒコの声もいつになく緊張してきた。


 松明を持つエンヒコを先頭に、オオツキとセイラが続いた。蛇行する道をゆっくりと進んでいるが、霧が濃く数メートル先も見えない。一歩でも足を踏み外すと谷底へ落ちる危険な道である。


「オオツキさま、間もなく到着いたします。」


「ええ。ここは何度来てもいいものです。」


 オオツキの言葉であるが、エンヒコには理解できない。一歩一歩の緊張が全身の筋肉をむしばんでいくようで、これ以上にない疲れを感じている。松明を持つ手もプルプルと震えだしていた。


 やがて、最後の坂を上り切ると、ようやく滝の音が大きく聞こえてきた。


 すぐそこに滝が存在していることは解る。


 しかし、そこから先へは誰も進むことを許さないというように、垂直にそそり立つ一枚岩が、完全に行く道を塞いでいる。 

 ここまで来た誰もが途方に暮れ、来た道を帰るしかないと思うに違いないが、エンヒコが霧に包まれた壁に松明を当てると、人ひとりがやっと潜り抜けられる小さな穴が開けられている。

 オオツキとセイラは慣れた様子で、

「その松明貸して!」

「お先に!」と言うと、その穴にするりと入っていった。

「え、ちょと・・おまちください!」

「早く来なさい!!」

 穴の奥からオオツキの厳命が下ると、再びエンヒコの表情が無くなっていた。


 エンヒコは筋肉質で人並み以上に体が大きく、その穴に入るかどうか不安である。腰に付けた剣などを傍らに置くと、体の中にある空気やなにやらを全て吐き出し、力任せに潜り込んでいった。潜り込んでいったのはいいが、しばらく悶絶苦闘もんぜつくとうするしかない。

「くそ。こんなに小さかったか・だ・・」

「朝、食べるのをやめればよかっ・・くっ!」

「う~~・・・・・だ!」

「・・・う~・・・。」

 疲労困憊ひろうこんぱいのなか、ようやく穴を通り抜けると、そこに壮大な滝の姿を望むことが出来た。



 大和国の神滝である。



 霧の中から湧き落ちる水は豊かな恵みをもたらしてくれる。流れ出す水は、やがて大きな川となり、大和国全域の命の源となる。

 滝つぼ一帯は少し広がってはいるものの、周囲は完全に崖が天まで続いており、何人もここに近づいてはいけないという冷たい空気が張り付いていた。

 

 セイラは何度もこの地に来ているが、自ら水に入ったことはほとんどない。しかし、今回は自分が『雨ごいの儀』を行うという気迫が勝っており、そのまま勢いよく水の中へと進んでいった。


「ひゃ!・・・うーー。」

 

 冷たい水に足先から感覚が無くなっていくのが分かる。このまま進んでいいものかと怯んだが、大和国女王の娘という誇りが足を前へと動かした。


 夏の夜である。

 が、しかし、遠い氷った山から溶け出し湧き出ているもので、凍て付くほどの冷たさである。それを何時間も浴び続ける『雨ごいの儀』は通常耐えられるものではないのだが、オオツキやセイラは人間を超越した力を持っていると自他ともに認めているのであって、その尋常ならざる身体が大和国女王の血統たる所以といえよう。

 滝つぼにオオツキとセイラが降り立つと、それまで自由にしていた虫や動物たちも、何かを感じ取ったかのように、それぞれに物陰に隠れてしまった。


 二人は静かに滝つぼの中央まで進むと互いに向き合った。

 オオツキはセイラの頬に優しく両手をあて囁いた。

「セイラ、この雨ごいは民を助ける大切な祈りです。神にその思いをしっかりとお伝えしてください。」


「はい。お母さん。」


「さっき言ったように話すのです。」


「はい。・・・では、行きます!」


 セイラは滝に向き直ると、透き通る青い目に力を込め、これから行う苦行に覚悟を決めた。

 オオツキは、滝の中へ進もうとする愛娘の両肩に手を乗せると、最後に渾身の念を送り込んだ。


「エイッ!」「エイッ!」「エイッ!」


 オオツキの声が響き渡るその刹那、滝つぼを覆っていた霧が生き物のように崖の上へ逃げ、ようやく滝の全様を望むことが出来た。そこにあるはずの空気までもが凍り付き、あらゆるものが、その場に縛り付けられているようである。エンヒコは呼吸をすることすら苦しく、胸を締め付けられるような感覚に陥った。


 滝つぼの天井に見える空には、夏の星座が覗いているが、雨が降る気配は全くしない。セイラは滝の中へと入ると、冷たく尖った水圧に痛みを堪えながら両の手のひらを胸の前で重ね、そこから一心に念を送り始めた。


 セイラが着ている麻織物は重い水圧に堪えることができず、胸元まで白い肌を露わにしている。鋭い針で刺されているような激痛が徐々に白い肌を赤く染め痛々しい。 

 しかし、セイラの気迫がそれを凌駕しているのだろう、微動だに動こうとはせず、一心に念を送り続けている。

 しばらくその様子を見ていたオオツキもセイラの近くまで歩み寄ると、一緒に念を送りはじめていた。


 無数の星達が天井を通過していったが、やはり、雨が降る気配はない。


 オオツキの眼光は鋭いものの、今にも倒れそうに体が傾きはじめており、エンヒコはいよいよ心配になってきた。

 一方のセイラは当初の姿のままに、ひたすら念を送り続けている。滝の中にいて細かい表情を知ることができないが、徐々に赤い光が体を覆っている。


「ああ・・・。お願いします。神さま、二人を助けてください。俺はなんてことをお願いしてしまったんだ。」

 エンヒコは見守ることしかできない自分の不甲斐なさと、このように生死をかける雨ごいを懇願したという罪責感ざいせきかんから逃げ出したい気持ちになっていた。

 なんとかして、この張り詰めた空気を打ち破りたい願望から、持つ松明を左右へ激しく揺らした。

 暗い滝つぼ一帯が灯りに揺れる。凍り付いた空気を必死に解かそうとするが、あまりにも小さく弱い炎である。

 それでも、さっきまで凍り付いていた空気が再びゆっくりと動き出したのを感じると、何かに諭されたかのようにふと天を見上げた。今まで、思うがままに変化していた天井が徐々に暗い雲に消されていく。

 再び目を二人に戻すと、滝つぼ一帯が赤く染まり、周囲を明るく照らしだしていた。

「・・オオカミサマ、ドウカオミエクダサイ。ネガイヲキイテクダサイ。オオカミサマ、マモリタマエ・キヨメタマエ・ハライタマエ・・」


 それまで滝の音にかき消されていたオオツキとセイラの声が一帯に響き渡ってきた。

 やがて、赤い光がより一層の輝きを放ちだすと、いつものように濃い霧が立ち込め、光の雲のなかにオオツキの影を妖艶に映し出している。そして、滝つぼに閃光が走ると、雷が響き渡り、大粒の雨が降り出してきたのである。


 これまで冷たい氷った空気が完全に制圧していたが、暖かい夏の雨が、とげとげしい苦痛を洗い流し、鎖で固められた一帯を融かしていた。


 オオツキは冷え切った体を温かい雨が救ってくれたのを確かめると、倒れ込みそうになりながらも滝の中へと走り込んだ。そして、一心に念を送り続けているセイラを抱きかかえ、寄り添いながら岸辺まで連れ出した。

 セイラはもう一歩も歩くことが出来ないようであるが、その青い目は全力を出し切ったという達成感に満ちている。


「セイラ、本当に、よくやりました。」

 母として、はじめての雨ごいの儀を成しえた娘が誇らしかった。


「お母さん・・・やりました。・・・」


「神と話しましたか。」


「はい。・・・しっかりと話すことができました・・・」


「よかった。」


 温かい夏の雨が冷え切った身体を癒していくのが心地よく、二人はいつまでもそこで抱き合っていた。


 この時、エンヒコはその場に座り込んで泣くしかなかった。

「ありがとうございます。ありがとうございます。神さま・・・ありがとうございます。」


 母娘の抱き合う姿を見ながら、エンヒコは覚悟を新たにしていた。

「この国を守り続けます。神さま、ありがとうございます。神さま・・・・」


 雨が降り続くなか、夜が明けようとしている。虫や動物たちも久ぶりの恵みを浴びながら歓喜の歌を響かせる賑やかな朝となった。

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