第18話 アプレゲールと呼んでくれ 42

 「ドッペルゲンガーは三日もタイムリープできるんだろ?

そんなら空襲の三日前に送り込んで、何が何でも家族を避難させればよかったんじゃねーの」

円がそう口にすると夏目は顔を歪める。

「間に合わなかったんだよ。

母と妹が行方不明になったことを知ったのは、空襲から一週間以上経ってからだった。

・・・俺は動員されていてすぐ自宅に戻れなかったんだ」

正体を明かしてから、老成の澱を貯めたかのように大人びた表情を見せる夏目である。

だが、このときばかりは見かけなりの少年らしい頼りなさで面を伏せた。

夏目の瞳は今にも泣き出しそうな淋しげな色をたたえる。

それを見て、さずがに無神経に過ぎたかと後悔する円だが、ルーシーは容赦がない。

「ご家族を亡くされたことは、あくまで一般論としてお気の毒とは思います。

けれどもそれは、わたしたちに対する理不尽とどう関係があるのかしら?

あなたの悲惨な人生にわたしも円も全く興味はないわ。

これからあなたがどう生きようと何を望もうと。

わたしと円には一切関係ないこと。

まして、わたしを物か何かの様にご所望とは。

『笑止千万一昨日来やがれ』

というところね」

夏目という個人は、ルーシーと円にとっては。

『死のうが生きようがどうでもよい人間である』

そう言う強い意思表示だった。

 「・・・可愛いお顔をして錐をもみ込むような辛辣な仰り様ですね」

夏目はルーシーの挑発的な物言いに対しても、今や最初と打って変わってイラつく様子を見せない。

子供の悪態に苦笑する初老の男を思わせる余裕を面に浮かべる。

「さっきお話ししたように、僕には時間がたっぷりとありますからね。

そこの小僧を排除してから、じっくりあなたに取り組むことだってできるんだ」

「痴れ者め!」

ルーシーの体温が上がりその熱量は直ぐに円の背中へと伝わる。

同時に彼女の全身から立ち昇る怒りのオーラがひりひりと熱く、既に痛いくらいだ。

『先輩ってば時代劇のお姫様みたいじゃん!』

などと突っ込みを入れてる場合では無さそうなことも理解する。

『先輩のこのオーラはいわゆるひとつの殺気というものでは?』

そう思い至った円の心構えが思わず少し後退りする。

それは円が無意識の内に、この状況をルーシーVS夏目の戦いと見立ててしまったからかもしれない。

しかし、夏目の戯言でルーシーの腕にはいっそうの力がこもった。

そのおかげで円の身体は更にがっちりとホールドされる。

心構えが気押され退いても、円の肉体は最早後退ることなどできやない。

それどころか背中に当たる柔らかな胸の圧力が倍増ししただけだった。

もちろん、円の心構えに再び活力が漲ったことは言うまでもない。

 夏目の一連の発言を聞いて分かってきたことがある。

どうやら夏目は円と言う忌々しい小僧を、ルーシーの人生から切り飛ばしたがっているらしい。

そうした夏目の暗い意志が放つ悪意はここにきて一層鮮烈になった。

 この場でルーシーが支配し円に惜しげなく与える心地良さ。

例えば。

抽象的には円を包み込む巨大な愛情。

具象的には背中に感じる双丘の感触や甘い体臭。

そんなことどもが、夏目の悪意に対して化学反応を起こす。

その化学反応は、円に今更ながらのルーシーへの強い想いを呼び起こすのだった。

 『こいつって、本当にやばくね?』

ひとしきり冷汗が出た後。

『そこの小僧を排除って本当はどういう意味ですか~?』

と心の中で叫んでみる。

そうやって心の中で叫んでみて遅まきながら得心できたことがある。

ルーシーは自分の身に降りかかる危難より、円に対する夏目の害意に鋭く反応したのだった。

何があっても円ファーストなルーシーである。

だがしかし。

武装太鼓持ちたる円としては、ルーシーの盾となり矛とならなければならない。

円は自分の心に堅く誓っているのだ。

現況・・・少しく情け無い円ではある。

 

 「文字通り、時間はいくらでもあるんですよ?

あなた達にもあるへんてこな能力。

それって俺やあなた達が獲得した形質の一部に過ぎないんです。

俺にはたっぷり時間がありましたからね。

これまで随分と調査と研究を重ねてきたんですよ。

・・・種明かしすれば、ルーシーさんとそこの小僧。

おふたりともまず確実に不老という形質も獲得しています。

まだお若いので実感はまったくないでしょうけどね」

夏目はあえてなのか、軽薄そうな薄笑いを浮かべる。

「あなたに起きた若返りがわたしたちもおきると。

そうおっしゃるの?」

ルーシーの声はフラットで落ち着いたものだった。

「若返りでありませんよ?

思春期を過ぎたあたりから、肉体的には歳を取らなくなるんです」

「時間ならいくらでもあると言うのはそういうこと?」

「さすがご聡明でいらっしゃる。

今度は馬鹿げているとは仰いませんでしたね。

そこで間抜け面を晒している。

頭の中身も身長も寸足らずな小僧は、まだ半信半疑と言う顔をしていますよ」

図星を突かれた円は、自分が話の展開に付いていけていないことを確かに自覚していた。



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