第18話 アプレゲールと呼んでくれ 41

 何と言ってもドッペルゲンガーが勉強した逐一が本体のものとなるのは嬉しい。

勉強した内容がドッペルゲンガーに記憶されていれば、すっかり本体に転写されてくるのだ。明らかにチートな能力ではある

だが同一人物が時間をかけて、それなりに苦労しながら勉学に励んだ成果としての記憶である。

カンニングとは違うのだからズルには当たるまい。

夏目はちゃっかりそう考えた。

 試験を終えて帰宅した後。

前日か前々日の帰宅少し前の時間にドッペルゲンガーを自室に飛ばす。

そうして試験の内容をメモさせると言う手は何度か使った。

ドッペルゲンガーを飛ばした瞬間。

『帰宅するとニヤリと笑う自分が試験問題についての覚書を残して消えた』

という言う記憶がまざまざと蘇る。

それは奇妙な体験だった。

たった今。

『試験の失敗を悔やんだ自分がドッペルゲンガーを過去に飛ばした』

そのはずなのに、一瞬後には試験に大成功したという記憶が添え書きされるのだ。

試験に成功した記憶はある。

だか試験に失敗した記憶も併存するのは不思議なことだった。

 当時の夏目はまだ世を拗ねたニヒリストではない。

自分への言い訳は考えたがそれなりの良心の呵責もある。

家人に捕捉される可能性も大きい。

そのこともあり、これは余程切羽詰まったとき以外には使えない技であると自覚していた。


 「当時は我ながら純心だったよ」

現在の夏目が薄笑いを浮かべる。

「羨ましいだろう?小僧」

そう問われ、事実夏目の能力が羨ましくなった円は自分を恥じた。

円の素直さを肌に感じたルーシーはそれを好ましいと思う。

けれども、夏目が自分たちに関わってきた局面の計画性を覚って不快な気持ちが湧き上がる。

こちらの行動が夏目のドッペルゲンガーにより、事前に把握されていたことは明らかだ。

ドッペルゲンガーと言うからくりが夏目の能力にある。

そう告白されたことでルーシーは、自分が大切にしている円や仲間との絆を、汚されたようにも感じたのだ。

 

 ドッペルゲンガーの記憶を辿ると夏目自身の成績向上のために、彼が大いに張り切っているのが分かった。

ドッペルゲンガーが独立した個体として生きようという意欲は皆無だった。

考えてみればドッペルゲンガーの精神世界と本体のそれは同一のものである。

本体とドッペルゲンガーがそれこそ何年も別々に過ごせば、違った個性も芽生えてこよう。

だがもしそうしたことがあってもどうだろう。

転写統合された記憶のもたらす意識の在り方は互いに競合も拮抗もしないのだ。

彼我が程よく交じり合って夏目総司がリニューアルされるだけではないか。

 ドッペルゲンガーに肩代わりさせて試験前に本体が十分に睡眠を取ったり。

勉強量を増やしたり。

時には試験問題をドッペルゲンガーの記憶に託して過去に飛ばしたり。

夏目は普通の中学生や高校生が考え付きそうな他愛のない目的で能力を浪費し続けた。

 そうこうしているうちに泥沼化した戦争は、夏目から家族や係累をことごとく奪い去って行った。

戦争が終わると、夏目の平凡だった日常は命を懸けたサバイバルゲームへと変貌を遂げる。

 

 夏目の考えが浅すぎたのか。

歴史の慣性が個人の力では抗いようのない程に圧倒的な堅牢さをもっていたのか。

言い換えれば未来改変を可能にする夏目の能力はあまりに無力だった。

夏目個人の幸福や安寧のためには何の役にも立たなかったのである。

 夏目にとっての戦後は、生き馬の目を抜く様な修羅場を、休む暇もなく駆け抜けていく日々だった。

のんびりドッペルゲンガーの運用を考えていられるような、個人的な時間と空間の余裕など絶無だったのだ。

夏目は能力を応用して事をなす計画をいくつも思いつく。

だがドッペルゲンガーを時間遡行をさせる為に必要な、人に疑われずにすむ隔離環境をどうしても用意することができなかった。

 夏目は箱根で知った自分の若返りを左程には驚かなかった。

そのことが自分の不思議な能力と関係があると直感したからだろう。

だからこそ、長年温めてきた懸案を実行に移すチャンスであることにも、すぐさま思い至ったのだ。

 髭を当たり容姿が若返った夏目は、変装する必要もなく、新宿から姿をくらませることができる。

そうとなれば、夏目から利益をかすめ取ってきた地場の有象無象だって、手も足も出まい。

加えて新しい環境を構築する資金も潤沢である。

なんとなれば、酷薄な運命から長年の貸しを一挙に取り立てた結果に過ぎないのだと思えた。

それこそ日々神仏を呪い続けた甲斐もあろうかというものだ。

 夏目にとって千載一遇、好機到来とはまさにこのことだったろう。

 

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