第18話 アプレゲールと呼んでくれ 40

 夏目は当然のことながら。

ドッペルゲンガーは自分だけの秘密と考えた。

家族にも悟られないように細心の注意を払った。

夏目は合理性を重んじる論理的思考が好きな少年だった。    

当然。我が身に起きた非合理かつ非論理的な現象を何とか説明が付く形で納得したいと考えた。

夏目は帝大進学を目指す高等学校の専門学科は、文科ではなく理科を選択するつもりだった。

だからといって何ではあるが。

科学的な考察には仮説と実験による結果が必要であること位は知っている。

 夏目はまず初めに。

“ドッペルゲンガーは自分の意識を反映している。

自分と対面すると姿を消して、記憶をこちらに転送してくる”

という仮説を立てた。

このことは改めて実験するまでもなく、体験的に事実であると確信できた。

 次にドッペルゲンガーの出現は意志の力で制御できるのかを実験してみた。

その結果、ほぼ心に思うがままドッペルゲンガーを出現させることができることが分かった。

だがこのことについては、具体的な手順を書き記すことはかなわなかった。

それは自分の生理現象、呼吸や排泄の過程を逐次のフローチャートにできないのと同じだった。

 ドッペルゲンガーは現在より前の時間帯。

即ち、過去に出現するものと考えられた。

そこで少しづつ段階を追って出現時間を過去に遡らせる実験をしてみた。

ところがドッペルゲンガーを過去に送り込む実験には自ずと限界があった。

ドッペルゲンガーを知らない家族の目が実験の障害になったのだ。

 夏目の部屋は二階にあった。

一度など実験中、一階で小用を足している間に母親が部屋に入りあやうく修羅場になりかけた。

母親が階下に降りてきたところで厠から出た本体が出くわしたのだ。

自室にはドッペルゲンガーがいた。

だが母親に本体とドッペルゲンガーの見分けはつかない。

母親として見れば混乱の極みだ。

今の今まで二階の自室で会話を交わしていた息子が、いきなり階下に現れたのだ。

驚く母親への説明には大汗をかいた。

夏目は中学の寮祭で披露する余興の練習だと言い包めて、彼女の困惑を押し切った。

 母親以上にまだ小学生である妹が問題だった。

少々ブラコン気味の妹は兄のことが大好きだった。

ちょこまかと良く動き、いきなり襖を開けて夏目の部屋に入ってくることなどは日常茶飯だ。

もうすぐ高等学校へ進もうかと言う夏目にとってはそう。

未だ幼い妹は、神出鬼没の座敷童子みたいなものだった。

その妹がドッペルゲンガーに気付けば如何なるだろう。

まだ子供で気性が素直なだけに非常に厄介なことになりそうだった。

 そんなある日、母親と妹が本所にある叔父の家に一週間ほど泊りがけで遊びに出掛けると言う。

家族の目を気にせず実験をするチャンス到来だった。

夏目も誘われたが課題のレポート書きが終わらないと嘘をついて家に残った。

 夏目は家族の目を気にしないで済んだので。

ドッペルゲンガーを過去に飛ばす時間遡行を三日まで伸ばしてみた。

三日遡行は可能だったが、続けて試した四日遡行には失敗した。

これで遡行できる時間はどうやら三日が限界であることが分かった。

 ドッペルゲンガーの出現場所は色々試した末に、本体との距離が5mを超えると不可能になることが分かった。

 時間遡行したドッペルゲンガーが裸で出現するのは毎回のお約束だった。

裸については、自分の部屋から襖を隔ててドッペルゲンガーを出現させればよい。

勝手知ったるタンスから服を引っ張り出せばことが足りるからだ。

 ドッペルゲンガーと顔を合わせると、たちまち姿を消すことはごく初期に証明されていた。

夏目はこの問題についても条件を変えて実験を繰り返した。

その結果、互いに姿を見ても見られても、声を聞いても聞かれても。

ドッペルゲンガーは本体に記憶の転写をして、姿を消すことが明らかになった。

 仮説を立て実験を繰り返してドッペルゲンガーについて知り得たことが何の役にたつのか。

その時の夏目には皆目見当が付かなかった。

互いに姿を見、声を聞かなければ、ドッペルゲンガーは自分と同じ生理をもって独立して生き続ける。

 およそ三日は時間を遡行させることができることは分かった。

だが、ドッペルゲンガーは遡行時点で本体から5m以内でなければ出現させられない。

 任意の時点で三日後にドッペルゲンガーを時間遡行させることを決める。

すると襖を隔てた隣室にいきなりドッペルゲンガーが現れるのだ。

襖を開けるとこれから三日間自分が体験する記憶が流れ込んできてドッペルゲンガーが消える。

これは慣れるまで相当に意識に混乱を来す試行だった。

 試みに、ドッペルゲンガーを遡行させる予定の当日に実験を中止してみようと考えたことがある。

だがその遡行中止の結果がどうにも分からない。

おそらく遡行を中止する実験は以前に何度も試みたのだろう。

だがドッペルゲンガーの時間遡行が無ければそもそも実験中止を思い付くことができない

成り立たない実験の記憶が無いのは当然なのだろう。

 

 ドッペルゲンガー現象をまとめるとこうなる。

ドッペルゲンガーには三日の時間遡行をさせることができる。

ドッペルゲンガーと本体が、視覚的聴覚的にどちらかが相手を認識した時点でドッペルゲンガーは消失する。

ドッペルゲンガーは独立して自由に行動することが可能である。

その間に知り得た記憶はドッペルゲンガーが消失するときに、本体に転写される。

時間差をつけて、複数のドッペルゲンガーを出現させるのは不可能である。

ドッペルゲンガーがドッペルゲンガーを作り出すことはできない。

そうした事どもが仮説と実験で明らかになった。

 しかし、自分にどうしてこのような奇妙奇天烈な真似ができるようになったのか。

それについてはさっぱり分からなかった。

進化と言うことを考えればどうしてこんな形質が人に生まれたのか。

仮説を立てることさえできなかった。

ただ、高等学校の入試や定期考査のことを考えると、ドッペルゲンガーは有用であるとは思った。

ドッペルゲンガー使いであることを自分の属性として受け入れてしまえば、大層重宝な能力であることは自明だった。

 

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