第18話 アプレゲールと呼んでくれ 33

 「やっぱりお前か!」

「三年の先輩に向かってお前呼ばわりとは失礼な後輩だな。

ここでやっぱりってセリフが出てくるか。

いつから俺だと分かった?」

「姉さんに何しやがった、この腐れ外道!」

再び拳を固めた円が練鑑帰りの荒ぶるチワワと化す。

夏目の問い掛けなぞは歯牙にも掛けない。

「お待ちなさいマドカ。

少し落ち着きなさいな」

臨戦態勢に入る円にルーシーがふわりと手を掛けて正面を向かせる。

力を込めて抱きしめると円の顔が胸に埋まる。

「・・・先輩苦しい」

強張る円の身体から力が抜けくぐもった声が漏れる。

「夏目さん。

どういうおつもりか知りませんが。

こんなことをなさってただで済むとお思いですか?

いったい何が目的ですか」

ルーシーの腕にさらに力がこもる。

「・・・」

「・・・そのことを話そうと思ってここに呼んだのですよ」

夏目の瞳がうつろな穴となり、底知れぬ闇の様に黒くなった。

「呼んだだと?

こう言うのは拉致って言うんだよ糞野郎!」

身体を捻り円はルーシーの柔らかな圧力から逃れる。

けれども素早く体位を入れ替えた彼女に、今度は後ろから抱き付かれる。

ガッチリホールドされたままなので突撃はできそうにない。

円の背が伸びたと言ってもまだ頭半分、ルーシーの方が大きい。

どうやら円を引き止める為に少し能力を使っているようでもある。

 ルーシーは円の背中に胸を押し当てていることを意識してチョットとドキドキしている。

けれども円には、彼女のどさくさ紛れの企てが全然分かっていないようだ。

『マドカったらまだまだね』

こんな局面なのにニブチンマドカが残念でならないルーシーである。

やはり彼女に危機感はない。

ふたりで操る飛行能力への信頼が絶大だと言うことだろう。


 「口の減らない小僧だな。

君のお姉さんとは大違いだぞ。

安心しろ。

加納双葉さんには今のところ何もしていない。

今のところはね。

この時間ならもう大学から自宅に戻っている頃だろうさ」

ルーシーはホッと胸をなでおろした。

双葉の拉致については予想通りブラフだったのだ。

 西に位置する山の上ではまだ薄っすらと、日の名残が黄色い残照として星を隠している。

天頂から東はすっかり闇の装いに変わっている。

夜空は徐々に、都内では見られない星々の静かなさざめきに満たされつつある。

月のない夜だが庭の照明には、人の表情を判別できるくらいの明るさはあった。

 夏目の顔は不快そうで目には苛立ちが見て取れる。、

先の変態中年と同じ色がありありと浮かんでいるのがどうにも妙である。

「姉さんに何もしていないと言うのは本当だな下衆野郎!

さっきから小僧、小僧ってお前何様のつもりだ、カス!」

「その辺にしときなさい、マドカ」

更に言いつのろうとする円をルーシーが静かに制した。

「夏目さん。

わたしたちには、あなたが何をお考えになっているのか、全く分からないのですが」

ルーシーが氷の女王もかくやと言えそうな冷たい眼差しで夏目を眺める。

「おふたりとも俺が姿を現したときに驚きませんでしたね。

質問を繰り返しますが、俺ってことをご存じでしたか?」

「マドカのお友達とわたしたちたちの仲間がいろいろ手を回してくださいまして・・・」

「小僧の友達というと荒畑雄高君ですね。

それと東都警備保障の常務取締役、橘佐那子氏ですか。

この二人が俺の身辺をこそこそ嗅ぎまわっていたのは知っています」

夏目は唇をゆがめた。

「去年の新学期、そこの小僧が入学してから毛利さんの身辺に大きな変化がありました。

あなたのご交友関係も・・・。

なんなら、ふしだらな関係性に堕落なさったことも承知してますよ?」

夏目が暗い笑みを浮かべる。

「夏目さんが何をおっしゃりたいのかまるで分らないのですが」

ルーシーが当惑と言うよりは侮蔑をこめた口調で問い返す。

「そんなちんけな小僧に見目麗しい女性が四人も振り回されている。

他のお三方はともかく毛利ルーシーともあろう方まで。

あなたは孤高の麗人と思っていました。

そんなふしだらな女だったとは正直がっかりです」

『ああそうか』と円は胸の内でポンと手を打つ。

夏目とあの中年変態を染める、なんともいえぬ気味の悪い色彩は嫉妬なのだ。

夏目の妙にじじむさい口ぶりと背を丸めた様子から“あきれたがーるず”にはにぶちんと笑われる円にもそれが分かってしまう。

だがルーシーが反撃の口火を切った以上、しばらくは自分の出番がない事も分かっていた。

 



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