第18話 アプレゲールと呼んでくれ 34

 「やはりわたしには、夏目さんが何を意図となさっているのか、まったく想像もつきません。

ふしだらな女ですか?

一方的で寒気がするほど不気味な価値観に基くお言葉ですわね。

宜しいでしょう。

わたくしが仮にそのような女だとしたら。

論理的に考えれば対応する一人以上のクズ男がいるはずですわ。

夏目さんはもしからしたらマドカのことをそうお考えなのかもしれません。

けれども残念でしたわね。

マドカはわたしと生涯を共にするこの世でたった一人の殿方です。

わたしはマドカのオンナですし。

マドカはわたしの・・・。

正確に申せば・・・。

遺憾ながらわたしたち皆んなのオトコです。

更にあなたがお好きそうな気持の悪い死語をあえて使わせて戴けるなら・・・。

わたしはマドカに対して生涯変わらぬ愛を誓い何ものにも動じない、み・さ・お、操を立てております。

それでもわたしのことをふしだらな女と仰るのであれば、上等です。

夏目さん。

あなたの円に対する侮りとわたしの円に対する恋情は決定的に相入れません。

そこに歩み寄る余地など全くございません。

ふしだらで結構です。

夏目さんがそう仰るのなら、それはわたしの全身が震えるほどに嬉しいお誉めの言葉。

誉め言葉が嬉しすぎて、あなたのことが吐き気がするほど気持ち悪くなってまいりました」

ルーシーはさらに力を込めて円を抱きしめ、思わず振り返ったその唇にこれ見よがしのキスをする。

夏目は言葉を失い、夜目にも歪んだ顔の色が紫に変わるのが分かった。

 「先輩、こんな時に敵を挑発してどうするんですか。

僕はご馳走様ですけど。

夏目のあの只事じゃない怒りの切っ先って・・・。

もしかしたら殺意?

そいつが向いてる先ってば間違いなく僕ですよ?」 

「夏目さんの真意が読めないわ。

デッセバロンよ。

何か情報が引き出せるかもしれない。

でも、汚い言葉使ってしまったわたしへのお清め代わりのキスは本当のこと」

ルーシーは円に囁く。

「マドカへのわたしの想いは今あなたがご覧になったまま!」

ルーシーは嬉しそうに言い放つと蕩けるような笑みを夏目に向ける。

 付近には高い建物も頭上で交差する電線も無い。

こうして円を抱きしてめている限り準備は万端である。

何が起ころうとも身の危険を感じれば一瞬で空中退避できるという自信がある。

その自信が一見無謀とも思える挑発をルーシーにさせた。

どさくさ紛れに思いのたけをぶちまけた。

ついでに久しぶりの口付けにも及んだ。

ルーシーに最近溜まり気味だった鬱屈は雲散霧消し、心身機能はマックス迄跳ね上がる。

 瘧(おこり)に罹った様に震え始めた夏目が、井戸の底からうめくような口調で言葉を紡いだ。 

「俺って何歳に見えます?」

「はぁあー?」

どこからでもかかってこい。

頭の中でファイティングポーズを取っていたルーシーは思わず間抜けな声を漏らす。

そうして意図せず、可愛らしく小首をかしげてしまう。

円に至ってはルーシーに抱きつかれていなければ、ドリフよろしく盛大にズッコケるところだった。

 

 夏目の語り始めた夏目の事情にはルーシーも円も度肝を抜かれた。

奇妙奇天烈驚天動地な現象に対しては、いささか不感症となり始めている円やルーシーでさえ想像の埒外にある物語だった。

 状況を一気に覆せそうだったルーシーの高揚と、そこから派生した示威行動=キスで生じた円の多幸感は行き場を失う。

夏目が突然始めた素っ頓狂な自分語りで、ふたりの攻勢は完全に水を差される形になった。

まるで蕎麦を茹でるうち、吹きこぼれようと泡立つ鍋にびっくり水を差す塩梅だ。

ふたりのテンションは一気に盛り下がってしまった。

 


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