第18話 アプレゲールと呼んでくれ 32

 隙を見てはアイマスクをずらし、位置情報を知ろうと苦労する円である。

何度かの試行で青梅街道を西に向かっていることは確信できた。

道筋と走行時間を考えれば、ここが秩父や丹沢ではなく奥多摩であることは確かだろう。

 円はそんなこんなの振る舞いでそわそわと落ち着きがない。

変態中年に何度も叱責された。

「あなたのような方に、わたしのマドカが叱られる道理がございません。

身の程を弁えて頂ければ幸いですわ」

ルーシーはと言えば、円の保護者のように落ち着き払った様子で、舌鋒鋭く彼をかばう。

 ルーシーは円の手を握っているだけで、自宅のカウチに収まっているように安心だった。

変態中年からどのような言葉を投げつけられ不安を煽られても心の動揺はおきない。

荒天下のジャイロスコープかと見紛うほどにブレのない平常心を保っている。

 そんな“何があってもマドカに一途な、わ・た・し”を臆面もなく繰り出し始めたルーシーがいる。

控えめに評しても太々しいルーシーの態度に、変態中年は明らかに苛立ちをつのらせる。

主犯でもあるまいにいったいどうしたことだろう。

たかが小娘がアピールする愛の赤裸々に、なぜ変態中年がムカついてイライラしているのか?

ルーシー同様円も、変態中年が膨らませ続ける不機嫌を不思議に感じていた。

 

 やがて車は街道から脇道にそれ、しばらく傾斜した山道を登った所で停車する。

変態中年に促され、円とルーシーはアイマスクを外して車外に出る。

 春分を過ぎたとはいえ山が夜を迎えるのは平地より早いらしかった。

そんな山の黄昏時に車が到着した場所は、どうやら奥多摩の何処かで間違いなさそうだ。

 脇道はアスファルト舗装だが、駐車したのは車回しの様でここは全面が贅沢な石畳になっている。

山の中にしては立派な舗装道路と車回しだが、どうやら道はここで行き止まりらしい。

付近に他の家は見られない。

するとこの道は私道だろう。

 白樺の木立に囲まれる車回しの横にはバラの生け垣がある。

その内側に目を向けるとよく手入れをされた芝庭が広がっている。

二百坪以上ありそうな庭の奥には洋風の建物が立っている。

駐車場を兼ねているらしい車回しと建物が立つ敷地全体は山の中なのに広々としている。

全体で五百坪ほどだろうか。

綺麗にならされた平らな地面である。

山の斜面に造成されたと思しき土地だった。

 建物は二階建てで、住宅街に良くみられるお仕着せの家とは見るからに異質だ。

存分の費用をかけて依頼主の意向を最大限に取り入れた注文建築と思われた。

横浜の山手にでも行けば見られそうな洋館風のデザインは、不本意ながら住人の趣味の良さを伺わせる。

 「門を入って庭に入りなさい」

変態中年は人の悪そうな笑みを浮かべると車に乗り、来た道を戻って行った。

後に残された円とルーシーには戸惑いしか残らない。

「何なんですかね、あの変態中年。

人をこんなところまで連れてきたと思ったら、今度は置き去りですよ」

円が肩を回しながらぼやく。

「ほんと。

何がしたいのだかさっぱりね。

このままぴゅーっとひとっ飛びして、お家に帰りましょうか?」

ルーシーも長時間同じ姿勢で車の後部座席に座り続けていたせいだろう。

円に合わせてフェミニンな装いには似合わないストレッチをはじめる。

こうした人目をはばからぬ気取りのなさは、円や仲間と居る時だけに見られるルーシーの特別だ。

 西の空が茜色に燃え上がり、門と駐車場の間に設えられた街灯に火が入る。

思いの外、明るい光だ。

同時に生け垣の向こうに広がる庭の照明にも明かりが灯り、先ほどまでは誰もいなかった場所に人影が現れた。





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