第18話 アプレゲールと呼んでくれ 26
ルーシーは先程より度々夏目に笑いかける。
だがその笑顔も、取って置きの笑顔から数えて十番目くらいのお愛想笑顔に過ぎない。
ルーシーはそんな戦力外の笑顔であってさえ。平素は円以外の男子には決して見せることがない。
モブな男子たちが御相伴に預かれるのは量産型笑顔が精々だろう。
だが円に対して一途な気持ちを持てるルーシーだからこそ。
夏目に笑い掛ける気遣いが発動するのだ。
『夏目先輩には恩義があるので非礼を働けない』
そう思い込むルーシーの純情はあざとさとは別次元にある。
それは彼女の優しく正直な、ありのままの真心だったろう。
とは言え夏目の現実は無惨である。
たった三秒でも。
意中の少女と目を合わせることができれば、恋を誤解するのがティーンな小僧である。
少女ルーシーが澄んだ瞳の光芒で、少年夏目のまなこを射抜けばどうなるか。
<そこのお嬢ちゃん。
坊やのお目目を覗き込んではなりません。>
礼儀正しくはあるが、ルーシーは無自覚におもわせぶりな小娘だった。
画材屋は大学通りから路地に入ると、ロージナ茶房から何軒か奥に店を構えている。
通りから道を折れると、美少女と対峙した一匹の男子高校生として乾坤一擲。
天晴れ。
清水ジャンプに相当する決死のチャレンジを試みる夏目ではある。
おそらく男夏目は路地に入り、ロージナ茶房に気付いたのだろう。
そこで画材屋の前に喫茶店に寄ろうと、神来のごとく思いついたに違いない。
夏目はその電撃的天啓の刹那。
ルーシーに対してここ一番。
のるかそるかの勝負を仕掛ける決断を下す。
夏目のスペックを嫉み羨む級友たちも。
もしこの豪胆な試みを間近で目撃したならば思わず息を吞んだろう。
そうしてたちまち積年の恩讐を忘れ去り、彼を勇者と誉め称えたに違いない。
ルーシーとしては、夏目に付き合って画材店でプレゼントを選ぶ手伝いをする。
その道ゆきまでは想定している。
当然のこと。
夏目に誘われて喫茶店に入るというオプションには、一瞬躊躇いを感じた。
これを言っては身も蓋もない。
ルーシーとて国府高校の女子を少なからず敵に回すことになるだろう。
それでもルーシーの本音を晒せばこうだ。
「夏目先輩とお茶するなんて超面倒!」
それ以外の何ものでもない。
恩義云々のことはあるにせよ、それとこれは別だろう。
ルーシーの頭にはうんざりな思いがよぎる。
それでもどっこい、運命の女神による恩寵はまだ有効だった。
『これも乗り掛かった船だからなー』
と、ルーシーは大人の対応で分別臭く考え、ここは譲歩することにした。
夏目は国士無双リーチ一発ツモクラスの幸運を引き当てたことになろう。
ルーシーは上から二十五番目くらいの微笑みを浮かべて夏目の瞳を再びのぞき込み、こっくりと肯く。
純情な男子の目に再三視線を合わせるばかりでない。
仕上げにホッコリはにかんでみせるのだ。
もしギャラリーがいたならば。
「あざとい!」
と、非を鳴らしても無理からぬ景色だろう。
無意識な仕草ながらルーシーはけしからんほどに罪作りな娘だった。
その後の展開は円と雪美が知っての通りである。
帰り際の夏目の不手際で、運命の女神がルーシーに開かせた親愛の扉はピシャリと閉じられた。
ルーシーは今まで夏目に見せていた現し身を。
親しみ易く愛し気なご令嬢風の外貌を。
瞬き一つで楽屋に引っ込める。
そして清楚でありながら理知的で近寄りがたい高雅な美貌へと。
がらりとその面差しを変えて見せたのだ。
ヤレヤレと肩をすくめ苦笑を浮かべる女神様が目に浮かぶようだった。
夏目には気の毒なことだった。
だがこの佇まいに移行したルーシーに、かろうじて太刀打ちできる男がいるとすればである。
おそらくは世界広しといえども、ダイダラボッチと円くらいのものだったろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます