第18話 アプレゲールと呼んでくれ 25
夏目にとって休日のおしゃれな大学通りで、ルーシーとばったり出会う。
そんな見かけ上の好機に恵まれたのは、果たして幸いだったのかどうか。
好機ではあるはずだ。
そうではあるが、事ここに至っても夏目は凡庸な立ち回りしかできない。
好きな女子を前にした恋する男子レベルの、肝っ玉が縮み上がったヘタレぶりではあった。
それこそ円から目移りをさせるどころではない。
真に夏目らしからぬ体たらくではあるが是非もない。
「まだ中学生なのに油画に凝っている妹がいるんです。
生意気でしょ?
誕生日が近いので画材を買いに来たんですよ。
絵の具が良いかな筆が良いかななんて。
アッ、誕プレにしようと思ってまして」
夏目は赤面しながら、まるで言い訳するような早口でルーシーに話しかける。
しかも時折かみながら。
愛想笑いを浮かべてドンびく女子に、いきなりな問わず語りを始めてしまう男子である。
ルーシー以外の女子が相手だとしても如何なものだろう。
それはスマートでクールと評判をとっている夏目らしからぬ無様なふるまいだった。
日頃から夏目に憧れる親衛隊の皆さんが、彼のこんな姿に行き合えば、それこそ目も当てられない。
幻滅すること請け合いの無残ではある。
それでもである。
『気軽な気持ちで国立にやって来たものの、妹の行きつけの画材屋が分からず途方に暮れています』
そんな夏目の切実さは、円以外は眼中にないルーシーにもなんとなく通じた。
「あの夏目さん?
わたし駅の近くに画材屋さんがあることを知っています。
宜しければご案内しましょうか?」
「ほ、本当でござりましようか」
夏目の声が見事に裏返り語尾が恥ずかしいことになる。
ルーシーは夏目の親衛隊でもファンでもなんでもない。
だから彼の慌てふためく様を“らしからぬ”とさえ感じなかった。
思えば“夏目や憐れ”である。
運命の女神にだって気前の良い時はある。
ルーシーはたまたまロージナ茶房の並びに画材店があることを知っていた。
そのルーシーが『帰り道の途中でもあるしな』と。
まるで電波を受信したかのように夏目を自ら案内するプランを思い付いたのだ。
この辺りの事情はルーシーの自由意志と言うより運命の女神の退屈しのぎと考える方が上手く説明がつく。
その画材店が夏目の妹の行きつけかどうかは分からなかった。
だが困り果てている彼の様子が気の毒になってしまった。
ルーシーの同情心は、運命の女神様が面白半分で煽ったにせよ真心から来たものである。
そのことに間違いはない。
何のことはない。
ルーシーにとっては女神様の気紛れなぞ思いもよらない。
夏目に対する親切など街角で道を尋ねるお年寄りに、優しく応対する気立ての良い娘さんレベルのノリでしかなかった訳だ。
常のルーシーならば、画材店の場所を口頭で説明する程度で済ませる案件に過ぎない。
そうとも知らず夏目はルーシーの親切に陶然となる。
ルーシーと連れ立って歩きだす夏目は、チャンス到来と浮かれる。
それどころか第七天国に舞い上がる勢いでテンションを上げた。
だがあろう事か夏目の自律神経は内心に染み付いた不安に忠実だった。
ルーシーの思いがけない申し出に、夏目はここぞとばかりに饒舌になる。
けれども赤面から一転。
夏目は少し顔色が青ざめ笑顔が真剣に過ぎるほどに強張ってしまう。
額に冷や汗が浮かび唾液を飲み込む。
自律神経は嘘をつかない。
円へのルーシーの思いを知る“あきれたがーるず”の面々なら、痛ましさにふと目をそらしたろうか。
ルーシーには、歯牙にも掛けて貰えなかったこの一年が、夏目の脳裏を走馬灯の様に過ぎる。
暴走族との一件で好感度は増している筈だ。
それを頼りの必死の饒舌は、反転攻勢を狙う男一匹としては無理からぬところであろう。
片思いの辛さ虚しさを知る男子諸兄であれば、夏目の哀れを笑う事なぞ誰にもできはすまい。
色々な意味でスペックの高い夏目である。
毎年バレンタインデーには級友の並才ボーイ達から、全身に怨嗟の声を浴びせかけられる。
だがそんなボーイズから一頭地を抜く夏目ですら、好意を寄せる特選女子と親しく会話が楽しめるとなれば別である。
ホルモンをボイラーで焚いて驀進する機関車ソージ以上にはなり得ない。
ルーシーは道行く誰もが振り返る、可愛らしく感じの良い美少女なのだ。
嫌でも人目を引く少女と近しく交際し、自分の機知と言葉次第で彼女の受けも笑いも独り占めである。
もしかしたら好意さえ引き出せるかもしれない。
そんなシチュエーションに酔い痴れて高揚できない唐変木なぞ、最早物語の脇役や端役どころかエキストラにさえ採用されないだろう。
夏目は頑張った。
自分があの風采の上がらない一年のチビより、ルーシーに相応しいことを証明するために。
この一年間傷付き続けてきた自尊心を宥め焚き付け、怯える自律神経を説得した。
この日この時のルーシーは何処からどう見てもさもありなん。
同時代少年なら誰もが夢見る理想のガールフレンドにしか見えなかったのだから。
ルーシーを目にするだけで少年という少年はことごとく生き締めにされるだろう。
そんなルーシーの飾らない立ち居振る舞いと笑顔を楽しめるのは、本来円だけに許された特権だった。
そうしたある意味特別な恩恵に浴する栄誉を、ルーシーは今回特例として夏目にさし下した。
ルーシーが先年に続いて先日もまた、夏目に危機を救われたことへの気紛れな御褒美だろうか。
夏目の卑屈はそうとも考える。
この点で夏目は森要とは対極の立ち位置をとる。
ルーシーの夏目への感謝の気持ちと彼の善行に対する好意。
それが彼女としては珍しく、リアルアクションとなって顕現したということになろうか。
現実を紐解けば、ルーシーにとっての夏目は、あくまでその程度のモブに過ぎない。
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