第18話 アプレゲールと呼んでくれ 24

 ルーシーは結局、変態中年の尾行に気が付かないままだった。

そんなルーシーの視点で、昨日を振り返ってみればこうなる。

 ルーシーは、お師匠の出稽古を手伝った後のこと。

寄り道せず駅に戻ろうと大学通りを一人でスタスタ歩いていた。

そこで夏目にたまたま行き会ったのだ。

彼女にとっては文字通り全くの偶然と言える。

 前から歩いてくる夏目に気付き、先に声を掛けたのはルーシーである。

ルーシーに突然声を掛けられた夏目は驚きうろたえた。

その夏目の姿から察するに、彼にとってもルーシーとの邂逅がサプライズであることは明らかだったろう。

 だがルーシーは夏目の慌てぶりの意味を多少なりとも訝しみ、その意味を知りたい。

などとはまったく思わなかった。

少女らしい思いやりと感性を発動して“彼の心情を忖度”・・・なぞもしなかった。

“忖度なし”は円以外の男性に対しては徹底して無関心なルーシーだからこその、身も蓋もない脊髄反射的脳内処理と言える。

 夏目自身は常日頃どんな女子に対しても隔意なく、どちらかというと八方美人的にまめな方である。

だから例え好みではない相手であっても「好きです!」と告白されれば興味のきの字くらいは湧く。

凡百の男どもと同様、無意識のうちに投資物件としての将来性を値踏みしてもいる。

 当人は与り知らぬことながら。

トップカーストの玉座に収まり君臨していると目されるルーシーのことである。

男子高校生が好き好んで玉砕戦を挑みたがるアイドルJKとは一線を画している。

ルーシーは告白が最早伊達や酔狂にしかならない女子高生なのだ。

控えめに論じた所でもルーシーは皆が誉めそやし、容姿も人柄も非の打ちどころの無い少女であるのは確かだ。

 そんなルーシーが街中で指呼の距離に在るとくればどうだろう。

夏目にしてみれば、ルーシーとは森要の事件をきっかけに特別な絆ができたと思える縁がある。

その縁に暴走族相手に勇気を振り絞って見せた姿を加算すれば、強力なアドバンテージになりはしないか。

吊り橋効果だって少しは期待できるかもしれない。

ここまで条件が揃えば事前審査なぞすっ飛ばして、是非にでもお近付きになろうとするのは男子としてむしろ自然だろう。

これはチャンスだと夏目の心の中のダイモンが叫んだのも無理からぬところだった。

 

 実のところ夏目は、森要事件が終息した直後からルーシーにアプローチを始めている。

清楚で儚げで極上の容姿をまとった女子が目の前で佇んでいる。

彼女は犯罪に巻き込まれた直後ではあるし強くて優しい庇護が必要に思える。

そうであるならば、夏目総司程のものなれば必要十分以上の役に立てるだろう。

そんな夏目の強烈な自負心は恋心を醸成するに足るきっかけと成ったろうか。

 ハイスペック故、モテの自覚がある夏目としてはモブが持つ怯えなどもとより無い。

根拠と実績のある慢心が、イケイケどんどんを進めるのは極めて自然な成り行きだったと言えよう。

ところがどっこいである。

そうは烏賊のなんとやら。

他の女子ならイチコロで落ちるモテ男の手練手管もいっかなルーシーには通じることはない。

何をどうしようとも。

夏目はただの先輩と言う立ち位置から、上がることはおろか下がることすら出来ない。

夏目は過去に一度も振られた経験がない。

その夏目が持つ上から目線の認識でさえ、ルーシーはあっという間に高嶺の花へと舞い上がった。

 世界は不思議に満ちていて思いも掛けないことが起きる。

自他ともに認める夏目ほどのハイスペックなイケメンに門前払いを食らわせた美少女がいる。

その高嶺の花となった美少女をこともあろうに。

ちびで風采の上がらないぽっと出の一年坊が横からかっさらっていったのだからもういけない。

夏目の聳え立つ鼻は根元でぽっきりと折れた。

屈辱に怒りを覚えるより先に戸惑いを感じ、イミフの女心に深淵を見た。

Confusion will be my epitaph.

混乱が私の墓碑銘になるだろう。

双葉では無いが夏目の頭の中でキングクリムゾンの“エピタフ”が鳴り響いた。

 夏目はそうして、どう手を尽くそうと自分になびかなかったルーシーが怖くなった。

彼女はいつだって、こちらの気持ちが浮き立つ程友好的でにこやかなのだ。

それなのに金城鉄壁難攻不落で不沈鑑な美少女として、夏目に生まれて初めての失恋トラウマを打ち込んできた。

男子ながら、ある意味ルーシー的魅力で女子に君臨してきた自分である。

あまつさえ、その自分がモブで風采の上がらないチビに完敗したのだ。

 ルーシーがチビと親しくなってからも、夏目が話しかければ彼女の態度は今までと何一つ変わらない。

ルーシーは自分が無関心な相手にも満腔の善意をもって応接する。

それは夏目にとり、ひりつくトラウマに礼儀正しく塩を擦り込まられることと同義になってしまった。

もう何をか言わんやである。

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