第18話 アプレゲールと呼んでくれ 19

 偽装工作で始めた茶道ではある。

ところがルーシーは許状種目の小習から茶箱点(ちゃばこだて)までのお点前を、あっという間に納めてしまったのだ。

お師匠がルーシーの才に惚れ込んだのも無理はない。

今や東都警備保障の職務を他所に、ルーシーを実の孫の様に可愛がっている。

出稽古のお供は、そのお師匠の内々のお願いということだった。

もちろんこのお願いは、佐那子も承知の上でのお誘いであることは言うまでもない。

 佐那子にとっても慌ただしい決断であったことは確かだ。

毛利邸から帰宅して、着替える間もなくお師匠からかかってきたお伺いの電話である。

それにはお師匠の一計も加算されていた。

お師匠は佐那子の作戦要員の一人であり東都警備保障の嘱託職員なのだ。

当然、ルーシーの事情を熟知している。

その上でのお伺い、出稽古と一計の提案である。

 お師匠には、ルーシーに出稽古の共をさせることで、膠着した現状へ一石を投ずると言う腹積りがある。

一計とはその腹積りのことだった。

お師匠の腹積りに対して佐那子は即決を下した。

多少の迷いは感じたが佐那子の戦術脳はこの機会をチャンスと捉えたのだ。

 例の変態中年の動向がルーシーのイレギュラーな行動でどう変わるか。

変態中年が、何らかの手段でルーシーの監視を続けているなら必ず動きがある。

それがお師匠の考えた一計だった。

 もし変態中年が現れなければ現れないで、その方が佐那子としては都合が良い。

変態中年がルーシーを常時監視している可能性が減る。

そうであればルーシーへの脅威度も現状、少しは割り引けようというものだからだ。

 休日の外出は、家に閉じこもりストレスの溜まっているルーシーの息抜きにもなるだろうか。

併せて、『何か黒幕への糸口でも見つかればラッキー!』くらいに考えた佐那子の観測気球的差し手となる。

 佐那子の置かれている立場からすると、お師匠の提案は渡りに船と言える。

変態中年のアジトを突き止めたにもかかわらず、少々手詰まり感がある今日この頃である。

即興のアクションは、ルーシーサイドから仕掛ける、攻勢防御の切っ掛けとなる可能性を秘めているのだ。

 

 日曜日の朝、果たして変態中年は現れた。

それも吉祥寺の駅に。

まるで中央線を使うルーシーの外出を、あらかじめ知っていたかのようなタイミングである。

 真っ先に盗聴が疑われた。

すぐさま別動隊により関係各所の検査が実施されたが、盗聴器の類は発見できない。

昨晩の関係者の遣り取りから考えるとどうだろう。

変態中年が何らかの手段で毛利邸の盗聴をしていることは、残念ながらほぼ確定と言える。

佐那子の家とお師匠の家に施されているセキュリティを考えるとそう結論せざるを得ない。

お師匠から佐那子への電話。

これは除外できるだろう。

佐那子からルーシーへの電話。

お師匠からルーシーへの電話。

すると何れかもしくは両方の通話を聞かれたことになる。

だが現時点で変態中年が如何なる手段を使って通話を聞いたのかは不明のままだ。

 変態中年は中央線吉祥寺駅の改札を少し入った目立たぬ場所で、一人静かに佇んでいた。

アジトを監視しているチームから、変態中年が家を出たという連絡はない。

 東都警備保障から派遣された人員の配置は相変わらず手厚い。

自宅から井の頭線の三鷹台駅、乗り換えの吉祥寺駅へと、連携を取りながらルーシーに張り付いている。

それだけに予期せぬ形で変態中年を発見した刹那、チーム一同には動揺が走った。

 変態中年はなぜ絶妙なタイミングで吉祥寺駅に現れたのか?

なんとなれば今日のスケジュールは、東都警備保障関係の限られた者しか知り得ぬ情報であるはずだ。

お師匠が出稽古にルーシーを誘った一件は計画性の無い、正にイレギュラーなイベントだ。

佐那子が警備の計画立案に掛ったのも急なことだった。

東都警備保障のスタッフでも佐那子直率の手下しかルーシーの外出を知らされていない。

そのスタッフは、ここが崩れれば佐那子として後は成す術がないという位に信用の厚いメンバーである。

付け加えれば雪美や円さえも、今日のルーシーの予定は知らなかったのだ。 

 緊急に関係各所の検査を実施しているが今の所、盗聴器の類は見つかっていない。

情報漏洩の事実がある以上、残るは人的要因が考えられる。

だが、スタッフの信用査定については統制と士気の維持のため佐那子の決断によって捨て置かれた。

自衛隊幹部学校仕込みの状況分析と女のカンで、子飼いの手下に対しての信頼は盤石である。

佐那子はその強いメッセージを、コアスタッフから末端の手下に至るまで素早く周知した。

この辺りの佐那子の胆と腰の据わりようは、時間ループを延々と繰り返した苦労人ならではの真骨頂だったろう。

戦いは一人ではできない。

そのことを、繰り返された円の死をもって、佐那子は骨の髄まで知り尽くしている。

 変態中年の情報源は不明のまま事態は推移したが、彼の行動は驚きの連続だった。

吉祥寺駅では井の頭線からの乗り換え口でルーシーの姿を確認すると、彼女を目で追うことも無くただそのまま電車に乗り込んだ。

変態中年は国立で下車するまで、ルーシーとは乗り込む車両も違えば、様子を伺う素振りも一切見せぬままだった。

国立で下車した時も、変態中年は予めルーシーが下りること知っていたかのように振る舞った。

 変態中年は一切迷うことなく多くの一般客と同様、何を考えているのか分からないむっつりとした表情で下車する。

変態中年は島式ホームの狭い階段を降りる。

視界の先でルーシーが改札を出るのを確認したのだろうか。

そのまま構内の公衆電話に足を運んで短い電話をかけた。

変態中年は受話器をフックに戻すと、改札を出ることなくホームに引き返し、上り電車に乗って国立から姿を消した。

 


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