第18話 アプレゲールと呼んでくれ 18

 翌日、月曜日の生物室は少し賑やかになった。

またまた、どんな口実で来客証を手に入れたのか、佐那子がお持たせ持参でやってきた。

それを知った時には円も驚いた。

荒畑と話し込んでいて少し遅れた円がドアを開けると、すでにコーヒーの香りが室内を満たしている。

やけに賑やかだなと室内を見回すと、三人娘が姦しくおしゃべりに興じていたのだった。

 

 昨日は結局、外が暗くなるまでロージナに居座ることになった。

ルーシーと夏目が去った後、ズルズル居座るのは、円はともかく雪美にとっては自然な流れである。

そこに夏目の元から舞い戻ったルーシーが再度加わったのだ。

円としてみれば、仕切り直しからの時間が長かった。

 

 日曜日にルーシーと夏目が二人連れでお出掛けした。

その理由を知ることについては、記憶の並列化による効果は絶大である。

雪美はまるで見てきたかのような経験譚として円に話すことができる。

『これは胸に仕舞っておきましょう』

雪美には元よりそうした考えは無い。

ルーシーも円に秘密するつもりはない。

ルーシーと夏目が立ち去るやいなや雪美は円の方へ身を乗り出した。

そうしてキラキラ目を輝かせながら。

雪美はルーシーと共有した記憶を、円に洗いざらい面白おかしく語って聞かせた。

 並列化の後でも雪美の様子には目に見える変化が無い。

ルーシーの心に夏目への傾斜が生じれば、雪美はきっと動揺するだろう。

そのこともあり円にとってルーシーと夏目のことは、どうでもよい些事になった。

 謎の人物に呼び出されルーシーと夏目の逢引きを目撃させられた。

謎の人物にどう言った意図があったのかはまったくの謎だ。

けれどもルーシーは夏目を小うるさそうにしているだけだった。

二人の間に円の人間関係を複雑化して、煩わしさを醸成する様な景色は見当たらない。

そうとなれば、ゴシップネタに昂る雪美の気持ちに応えることは、円としては時間の無駄に過ぎない。

「早く家に帰りたいな」

円は心の底からそう思った。

男の子と言うのはそう言う生き物だ。

だが是非にでも今すぐ話したい。

そう主張する雪美のわくわくが滲み出る熱意から逃れる道が見えない。

 「お茶しながらゴシップを楽しむ女心を理解するのはね。

マドカ君の恋愛レッスンには必須要綱なの」

円は嬉しそうに顔を上気させる雪美に、溜息まじりで付き合うことにした。

そうして、あれやこれやと長っ尻(ながっちり)で話し込むはめに陥ったのだった。

しばらく雪美の熱演につきあっていると、そそくさとルーシーがロージナに舞い戻ってきた。

「喫茶店でお茶したばかりか画材店にもご一緒したの。

夏目さんへの義理は果たしたわ。

大幅な貸し越しでね」

そううそぶくルーシーが座に加わった。

テーブルは円をお供えに据えた女子トークの宴に様変わりした。

 円の中で夏目が糞野郎であることに変わりはない。

だが二人から舌鋒鋭く繰り出される人物評価のそのあまりの容赦なさはどうだろう。

夏目には同情を禁じ得ず、少しく憐れみさえ覚える円だった。

 結局のところ夏目とルーシーの、雪美が言うところの“逢引き”は、偶然の要素が強かった。

雪美がルーシーの目の前で、さり気なくしかし楽し気に再引用した“逢引き”という語彙にはさすがにドンびいた円だった。

意味を知ってしまった以上、もう挽肉ボケはかませない。

刺激的な言葉で円の反応を見て楽しむ。

そんな雪美の悪趣味はいつものことだったので、そこは耐えられる。

それより円はルーシーの反応が気になった。

雪美は恥ずかしげもなく“逢引き”などと言うレトロながら煽情的とも言えそうな語彙を使う。同席する円の手前、ルーシーがさぞや気色ばむかと思いひやひやするがそれは杞憂に終わった。

夏目のことなど鼻であしらう程度のことらしい。

ルーシーは華麗なスルーを決めて見せたのだ。

少しおろおろしかけていた円にとってはほっとする肩透かしだった。

 ルーシーが計らう、男性として遇する夏目への扱いは、円へのそれと比べれば天と地程の差がある。

雪美に言わせればルーシーにとって夏目の存在は、日記の一行にも値しない軽さであるらしい。 

 

 生物室での今日の集まりは、佐那子の持ち込んだテーマが主題となった。

メンバー各自、特に自分と他の三人の情報をすり合わせることが必要だと佐那子は主張した。

「私もユキさんとルーさんのリンクに参加できれば面倒がないのにな」

常日頃そうぼやく佐那子である。

佐那子がふたりとリンクを組むと情報の開示が一方通行になってしまう。

個人情報保護の観点からも緊急時以外は佐那子を“読み込まない”と言うのが暗黙のルールになっている。

「ねえ僕の個人情報は保護してくれないの?」

それを知った円が『僕も読み込まないで』と意気込んだものである。

だが誰からも相手にされなかったのは言うまでもない。

 

 円と雪美をロージナに呼び出した電話の主は不明のままである。

ルーシーと夏目の邂逅は偶然である可能性しか見えて来ない。

しかし円と雪美がいるロージナにルーシーと夏目が現れたのは偶然では無いだろう。

そこには電話の主と思しき何者かの意図が確かにある。

 本来ならば生物室より毛利邸に集まる方が会合としては適当ではある。

だが屋敷とその周辺は東都警備保障の専門家によって、盗聴や監視機器のロンダリングが行われている最中だった

 

 事の次第を起承転結の起から説き起こすのであればこうなる。

土曜日の夜“あきれたがーるず”と円の定例会が跳ねた後のことである。

茶の湯のお師匠さんからルーシーに電話が入った。

電話は日曜日の出稽古の際、ルーシーに助手として付いてもらいたいという依頼の件だった。

いつものお供である娘さんが急用で時間が取れない。

そこで新人ながら筋が良く見栄えも比類のないルーシーに、白羽の矢が立ったと言う訳だ。

日曜日の偶然は土曜日の偶然にその発端。

起承転結の起があったことになる。

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