第15話 練馬の空はショーシャンクと同じくらい青い 11

 円は“あしたのジョー”を愛読していた頃のことを思い出している。

あの時、何気なく読み飛ばした鑑別所の件(くだり)を、もっとちゃんと覚えておくのだった。

いまは心の内に居る中の人、ダイモーンに向かってぼやくことしきりの円である。

 生まれてこの方・・・高校に入学するまでは、不良や暴走族の知り合いなんていなかった。

知り合いの知り合いにすらいなかった。

そんな魑魅魍魎みたいな連中は、自分の身近では見ることも聞くこともなかった。

深夜の国道を爆走する暴走族の集団なぞ、現代の百鬼夜行じゃ無かろうかと怪しんでいた位だ。

 円は、安全第一で御身大切かつ順法精神に富む顔見知りが群れ成す狭い世間を、生きてきたのだ。

肉食恐竜のような、欲望に忠実な脳筋系クリーチャーが支配する少年世界のダークサイドは、円にとっては異世界だった。

それは漫画や小説、映像作品上だけでお目に掛かる絵空事にすぎなかったのだ。

 円は日々、食っちゃ寝する合間に通学して、余暇は趣味に費やすモブの王道を歩んでいる。

そんな自分の実人生を考えれば、まったくアレだ。

能筋系クリーチャーに恐れ慄く現在進行形のリアリティなんぞは全くの想定外である。

 加納円は何処と言って取り柄のない自他ともに認める凡俗なのだ。

多少の起伏は有るかもしれない。

だが、自分は高校から大学へと延びるまずは見通しの良い道を、大過なくひょうひょうと歩いて行ける。

凡俗の自覚故、円はそう信じそのことを全く疑いもしていなかったのだ。

この春国府高校に入学するまでは。

 

 思えば小学生の時、ついうっかり防空壕の向こう側へ彷徨(さまよ)い出るという大失態をしでかしたのがケチの付きはじめだったろう。https://kakuyomu.jp/my/works/16817330648319304938/episodes/16817330652962281259

のほほんとタイムスリップしてしまったことが、今生に波乱を呼ぶ切っ掛けだったのだ。

スリップ先はあろうことか大戦中のイングランドだった。

 円はスリップ早々に、妖精と見紛う美少女と仲良しになってしまった。

男子としては一生涯に於けるチェックメイトに比肩する本懐といえようか。

美少女ジュリアとの逢瀬はたった三日間のいわば白昼夢ではあった。

だがしかし、浦島太郎の玉手箱による老人化は、乙姫様に出会ってしまった太郎の余生を比喩的に表現したものなのだ。

ジュリアとの永訣の後、子供ながらに円はそう生悟りもした。

 そんなこんなで知らず知らずのうちに、円はお日様の下で善男善女が行き交う人生の銀座通りから道を逸れた。

そうして常識の埒外にある不思議横町の路地へと足を踏み入れて、そこが存外居心地のよい袋小路であることに気付いた。

袋小路の入り口には“この先抜けられません”の看板が立っていたにも関わらずだ。

 小学生の円は明晰な言葉で、ジュリア以後の人生を表現も展望もできなかった。

それでも円にとってジュリア以降の余生は、散文的で詰まらない日々になることは分かっていた。

まさにジーサン太郎的な余生。

そう口にしても決して言い過ぎとは言えないくらいの詰まらない未来が見えていた。

それ程までにジュリアとの出会いと別れは、円の記憶に深く鮮烈な刻印を残し未来を生きる気力に影を落とした。

 ありていに言ってしまえばこうだ。

ジュリア以降の円は国府高校に入学するまで、まるで御隠居さんのような平坦な意識と、人生を拗ねたような無意識を使い回して生きてきた。

 



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