第15話 練馬の空はショーシャンクと同じくらい青い 9

 驚いたことに秋吉晶子は三人のことをほとんど覚えていなかった。

現場でルーシーに厳しく糾弾されたり、丸の内警察署で雪美に突撃を喰らって激しく罵倒されたのだ。

それにも関わらず、晶子はふたりをしかとは記憶していない。

少なくとも今日、三人が晶子に接触した時の彼女の振る舞いを見ればそうとしか思えない。

 物理法則を無視した形で飛び降り自殺を阻止された。

あまつさえ自分を助けた少年を冤罪に陥れたのだ。

そのことが原因して、あの日晶子は心神耗弱の状態に陥ったのか。

あるいは記憶に何らかの障害が生じたのか。

理由は分からない。

だが女三銃士にとっては、はなから過剰な敵意を持たれないと言う点で有利な出だしとなった。

 

 「お急ぎの所、失礼しまーす。

バイオリニストの秋吉晶子さんでいらっしゃいますよね?

初めましてぇー。

わたくしこう言うモノですぅ」

佐那子が俯いて歩く晶子に気さくな感じで声を掛け、すかさず東都警備保障の名刺を差し出す。

「警備保障会社の役員さんですか?」

晶子は訝しげに佐那子を見る。

 下校時に見知らぬ、なんだか舌足らずな若い女性から声を掛けられた。

その女性からいきなり名刺を渡されると、それが名の知れた警備保障会社のものだった。

警備保障会社の表記に驚いてよくよく名刺を見れば、まだ年若い彼女の肩書が常務取締役となっている。

バイオリニストという仕事柄、晶子は会社の重役などと言う人士とも接点が多い。

だが晶子の交流関係では、二十歳そこそこの会社役員など見たことも聞いたことも無い。

晶子の緊張は高まり軽めだった警戒感が一挙に強まる。

妙な女の背後にはどこか見覚えのある少女がふたりいる。

晶子はそのふたりの少女が、じっとこちらを見つめているのにも気付いた。

 一人は赤毛で緑色の目をした美しい外国人だ。

もう一人はどうやら日本人らしいが、人形の様に整った顔立ちなのにこちらに投げかける視線がとても恐ろしい。

総合すれば怪しさ満点の三人組だった。

声を上げて助けを求めるか。

このまま走って逃げ出すか。

二つに一つの窮地に立たされたことを晶子は意識せざるを得ない。

だがどちらを選ぶにせよ強い意志が必要そうなことに変わりはなかった。

 

 自殺を企てそれが未遂に終わって以来のこと。

晶子を助けようとした見ず知らずの少年が、彼女の冷え切った心に住み着くようになった。

最近は暇さえあれば少年のことを考えているような気がする。

そうしてふと気が付いてみれば、ここ数年来晶子の頭を離れることが無かった死への願望がほぼ払拭されていた。

 心の内で日に日に存在感を増す少年の面影に励まされた。

おかげで生きることについては以前と比べて格段に前向きになった晶子だった。

しかしこの時点では、自分を守るために攻勢防御を実行するほどの意気地はまだまだ希薄である。

現在に於いてもなお、晶子の立ち位置は生よりも死に近い所にある。

 晶子は微かに早まった動悸や身体の震えとなんとか折り合いをつけ、改めて三人の風体を注意深く観察してみる。

今のところ全く持ち合わせのない闘志を使わずに、この危地を脱する方策を見つけたい。

晶子はそう考えたのだ。

良く見れば、三人の身嗜みは上品だし視線は少し怖かったものの剣呑と言うほどでは無い。

そのことに気付けて、晶子は少し安堵する。

 当面、彼女たちと対峙しても、どうやら差し迫った危険はなさそうに思える。

そこでとりあえず話だけは聞いてみようと小さな勇気を振り絞る。

晶子は白旗を上げる代わりに自身の緊張を少し解いてみせる。







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