第15話 練馬の空はショーシャンクと同じくらい青い 7

 『パラシュート降下なんて二度と御免』と思っていたルーシーである。

だが、ひたすらに円を目指す今日の空は気持ちよく澄んでいる。

今のルーシーには恐怖も不安もない。

 

 これまで空を飛ぶ時はいつだって円と一緒だった。

日々の暮らしの中や学校、放課後のオフタイムでも、ルーシーが円に衒(てら)いなく抱き着いたり密着できるのはフライトの時だけだ。

だから空中に身を置くことで、条件反射の様に脳の報酬系にドーパミンが溢れかえるのかも知れない。

 最近は航法担当の雪美が同航することも多い。

雪美は不公平だと膨れるが、時折強行する円と二人きりのフライトは、ルーシーにとってはうっとり甘美な時間だった。

 

 寄ると触ると減らず口ばかり叩いている。

そんなチビで生意気な年下の小僧にどうしてここまで魅かれるのか。

今回の晶子の件と合わせて、同病相憐れむ女三人で散々愚痴りあった。

あげく、円への愛情の傾斜には能力が大きく影響していると言うことには、皆で一様に理解も納得もできている。


 ルーシーにとっては階段の一件が嚆矢となった。

階段以降、自分の中に満ちた円への信頼と愛情は不思議な戸惑いだった。

だが戸惑いは森要の襲撃で理解に変わりやがて揺るぎの無い確信と成った。

自分が円の強い気持ちで守られたと実感して胸を熱くした記憶は日々強まるばかりだ。

円に聞かせれば「なんだよそれ」と言いそうだ。

確かにそこに男女の愛が具体化する兆候は、雪美の力をもってしても今の所見えてこない。

 だが円の言葉や仕草や時折見えてしまう思考のどれをとっても、自分の好意をいや増す方向にしか働かないのはどうした事だろう?

それは当初からルーシーの心に潜む疑念だ。

自分や雪美や佐那子に、不可解な能力をもたらした円を怪しむ気持ちと同根でもあったろう。

このことを深く考え始めるとまるで哲学している気分になってしまう。

だからいつもほどほどで打ち切ることにしている。

どうやら雪美や佐那子もルーシーと似たような思考の袋小路に嵌まっているらしい。

女三人で愚痴りあって痛いほどそれが分かった。

『ああ、わたしたちは円への恋慕を能力の副次作用とは認めたくないのだ』

認めたくない本音に思い至り、自分が捕らわれた懐疑の意味もストンと腑に落ちた。

それは雪美も佐那子も同じだったろう。

 

 この流れで晶子までが円同好会に入会となれば、佐那子ではないがますます手に入るパイが小さくなることは必定だ。

それはルーシーの幼い恋心にとっては一大事のはずだ。

だがどういう訳だろう。

そのことで生まれそうな嫉妬心や不安が自分の心の中に見出せない。

それもいかさま不思議なことではある。

どうやら円を独り占めしたいと言う思いは、円を含めていつも皆で一緒にいたいと言う思いよりは余程軽いらしい。

 だからライバル関係に相当する雪美や佐那子の存在は他人から見れば不可解極まりないだろう。

もしかしたら、彼女たちとは同病相憐れむと言う関係では無いのかも知れない。

それよりは、同志的な友愛意識や血族的親近感で強固な基礎固めが成されているような気がしてくる。

中でも雪美については今のところ特別だろう。

雪美とは円を介して意識が同化してしまう状況がちょくちょくある。

溶けて混ざり合った本心を自分と雪美に分かつのはいつだって混乱の元だ。

だからふたりの間で飛び散るヤキモチの火花は自己言及の一種と言えなくもない。

 いつかその心地良い混沌に佐那子と晶子が加わる時がきたらどうなるだろう。

もしかすると今の自分たちには想像もつかない世界が見えるようになるのかもしれない。

個体でありながら群体としての意識も持つようになる。

そんなパラダイムシフトへの妄想が広がり、少し寂しい期待感に何故か胸が躍る。

 

 「マドカだ!!」

前方の地表に近い低高度から、両手を広げてこちらに視線を固定した円が急上昇してくるのが見える。

ルーシーは自分の全身に喜びが満ち溢れるのを感じる。

佐那子から円に抱き止められるまでは絶対に押すなと釘を刺されていたリリースボタンを、思い切りよく瞬時に開放する。

パラシュートから自由になったルーシーは重力に強く引かれながらも、満面に笑みを湛えて円の胸に飛び込んで行く。


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