第14話 堕天使は嘘をつく 4

 ルーシーと雪美が、手すりの外へジャンプする円の姿を目にして上げる悲鳴は、両者とも絶叫に近い。

 円が少女を救うことに失敗する。

そうとすればどうなるだろう。

円の能力を考えれば、彼の心はともかく身体にダメージを受けることはまずない。

叫び声を上げながらふたりともそこにはすぐに思い至る。

だが、目で見て瞬時に脳が作り出した恐怖は、ふたりの身体をこわばらせ悲鳴は振り絞られる大音声となった。

 「だ、大丈夫ですよ。

マ、マドカ君はなんたって当代きってのグラヴィティーウイザードですよ?」

雪美が差し出す咄嗟のジョークなど耳に入らぬとばかりに、ルーシーはエレベーターに向かってダッシュする。

ゲート前に辿り着くとホールボタンを連打しながら階数表示に目をやる。

吹き抜けに二基設置されたエレベーターが、両方とも上向きの矢印を点灯させているのに苛立つ。

らしからぬ舌打ちをしたルーシーは思い切りよく踵を返して走り始める。

ルーシーを尻目にエレヴェーターには目もくれず階段を目指して急ぐ雪美の背中が見える。

 ふたりの判断と行動はそれぞれに迅速である。

だがしかし、両者が階段を駆け下り息せき切って現場に辿り着いてみれば、予想外の状況が展開していた。

ふたりは暴れる円が数人の大人に引き倒され、路面に押さえつけられる場面を目の当たりにしたのだ。

 「マドカ君!」

先行した雪美が状況を理解できず悲鳴を上げるように円の名前を呼んだ。

「あなたたち、何をしているのです!

マドカはバルコニーから落ちようとした人を助けたのですよ!」

円へ仇なす人間に非を鳴らす、ガラスの破砕音の様に鋭利なルーシーの声が続く。

「お嬢さん達は、こいつの知り合いかい?

こいつはとんでもないやつだよ。

ほらそこの女の子をビルの上から突き落としたんだよ。

被害者本人が突き落とされたと言ってるんだから、これほど確かなことはないだろ」

円を取り囲んでいる群集の内の一人、くたびれたスーツを着た初老の男が視線を向ける先に、真っ白な顔をしたセーラー服姿の少女が立っている。

バルコニーから奈落へと、円が追いすがったセーラー服と漆黒の長い髪は、ルーシーに先ほどの驚きと恐怖をまざまざと思いださせる程に印象的だった。

「あなた、マドカに命を救ってもらいながらどういうつもりなの!」

雪の女王ならかくやと言うばかりの冷たく澄んだルーシーの叱声である。

その言葉が少女に届いたかどうかは分からない。

だがルーシーの美しいソプラノは、氷の刃となって聞く者の信念をざっくりと抉(えぐ)る。

そのついでに辺りの空気をも丁寧に切り刻んだ。

 少女を叱りつけるルーシーの言葉で、野次馬の一部は明らかに戸惑う様子を見せる。

「あの人が私をバルコニーから突き落としたんです」

だが続けて少女の感情を失った抑揚のない言葉が放たれる。

すると彼らの感情はたちまち前にも増した円への義憤に変わったようだ。

 「ほらみろ、俺の言ったとおりだろ」

何が嬉しいのか、先の男が嘲りに似た形で口を歪める。

「警察を呼んだしもうすぐ救急車も来る。

殺人未遂の疑いもあるのだから後は司法に任せなさい。

お嬢さんたちはその少年の知り合いかな。

悪いことは言わない。

下手な庇い立てなどせず、警察には見たありのままを正直に証言しなさい」

サラリーマン風の上等なスーツを着た紳士が、分別臭い大人が口にそうな如何にもな忠告で、ルーシーと雪美をイラつかせる。 

「待ってください。

わたくしたちはその子がバルコニーから飛び降りようとしているのを、四階のエレベーターホールで目撃したんです。

マドカ君は・・・身投げするその子を助けようとしたんですよ。

それで・・・誤って一緒に転落したんです」

雪美が憤然とした面持ちで紳士に食って掛かる。

真実を語れないだけに最後は尻すぼみだが論理に破綻は無い。

「君も分からない人だな。

その子は突き落とされたと言っているんだ。

そうして訳の分からない事を言っていると、君も共犯の疑いを掛けられることになるぞ。

私は君達のことを心配して言っている」

薄っぺらな大人の偽善的言質が垂れ流された。

「馬鹿な事を言わないでください!

マドカ君は・・・」

「ユキ!

おやめなさい!」

エキサイトする雪美の肩にルーシーが手を掛け耳元で囁く。

「どうも様子がおかしいわ」

 この時点で、騒ぎに驚いた佐那子がふたりのもとに駆けつけた。

佐那子は引き倒されて小突かれる円を見て反射的に殺気を放ち、走る速度を落とさないで、そのまま戦闘モードに入ろうとする。

このままでは怪我人はおろか人死にがでる。

ルーシーはとっさにそう判断する。

バーサーカーへとメタモルしつつある佐那子に必死でしがみつくルーシーの形相は、もはや悲壮と言えたかもしれない。

「ストーップ!

止まれーっ!」

佐那子の聴覚にルーシーの金切声が咆哮のパワーで突き立てられる。

瞬時にブレーカーが落ちたのか、佐那子の動きが停止する。

「今は自重しましょう!

わたしに考えがあります!」

ルーシーはわらわら押しかける見物人の背後に逸(はや)る雪美と虚脱した佐那子を引き戻した。

そうしてルーシーはふたりをなだめるような調子で自身の胸に湧き上がる疑念を口にする。

「わたしだって双葉さん風に言わせれば、さっきから頭の中で“テンペストの第三楽章”が繰り返しフォルテッシモで流れてる。

でもね、わたしたちがここで暴れても恐らく意味がないし、マドカの為にもならない。

この道理の通らない異様な雰囲気。

本当はユキも薄々気付いているのでしょ?」

 「・・・やはりですか」

 「多分」

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