第14話 堕天使は嘘をつく 3

 「あの子何してるの!」

ルーシーが大きな目を見開いて悲鳴を上げる。

 

 この日円たちいつもの三人組は、橘佐那子に招かれて東都警備保障の役員室を訪ねていた。

事件は用向きを終えて辞去したところで起きた。

さんにんはパラシュート降下について、佐那子のレクチャーを受けに来ていた。

佐那子はメーカーのテキストと教育用スライドを使い、得意満面の顔を上気させながら先生役を務めた。

空挺降下のあれこれは、軽井沢から戻った後も、ルーシーの家を訪れる佐那子から自衛隊の教材を使って嫌というほど叩き込まれている。

今回に限っては「メーカー謹製の最新教育機材が届いたので、実地演習に備えた特別講座を開講しますぅ」と張り切る佐那子から招集が掛かったのだ。

そこでこうしてわざわざ有楽町にほど近い東都警備保障のオフィスまで、三人で雁首揃えて出向いて来たと言うわけだった。

 佐那子のオフィスはスタイリッシュな高層ビルの四階にあった。

ビルの前面には植栽を見栄え良く配置する石畳の広場がある。

広場から続くなだらかな勾配の先で一段下がった半地下には、こ洒落たカフェやレストランが入居している。

四階までのエレベーターホールは、このビルのロビーに当たる中二階から大きく空間を取った吹き抜けに向かって、各階ごとに張り出す構造となっている。

日が差し込む大きなガラス面を介して各階の外側には、金属の格子を組み合わせたバルコニーが設えられている。

エレベーターホールから外へは、吹き抜けに掛かる橋を渡って出るようになっている。

雨ざらしのバルコニーには、凝った作りのベンチや花壇が、幾何学模様を見せるように張られたガラスブロックの上に美しく配置されていた。

 佐那子はわざわざ都心くんだりまで、レクチャーという口実を設けて三人を呼びつけたことになる。

本当のところは、最近入居した高級感が溢れる役員用のオフィスを自慢したかっただけに違いない。

佐那子はひとり年長者ではある。

だが、時折見せる子供じみた無邪気さは、三人にとって馴染みになりつつある。

こうした振る舞いもまた、彼女が晒すピュアな色彩の内の一色と言えたろう。


 「落ちちゃう!」

ルーシーに続けて雪美の悲鳴が上がった刹那。

飛ぶように橋を駆け抜けた円は、すでにバルコニーまで辿り着いている。

目を閉じて両手を十字架の様に広げ、手すりの上に直立している少女の長い髪がふわりと揺れた。

セーラー服の襟が白く光り、そのまま瞬時の躊躇いも見せずに身体がゆっくりと後ろ向きに倒れていく。

逆光で判然としないが、間合いを測ろうと円が見つめた瞬間。

少女が大きな目を見開きそこに薄い微笑みが載ったような気がする。

身体が傾(かし)いで行って靴底と手すりが作る、少女と現実を繋いでいる小さな伝手(つて)が絶たれるかに思えたその時。

円の必死がかろうじて間に合った。

 ベンチに飛び乗り手すりに利き足を掛けて少女に向かってジャンプする円は、少し加速して両の手に少女をしっかりと捕まえることができたのだ。


『ふーちゃんが昔履いていたハルタの靴だ』


思い切りよく背面ダイブする少女の靴を見て脳裏をよぎる記憶は、至極つまらないものだった。

 局面がシリアスであればあるほど思考が明後日の方を向きがちな円である。

そうして緊張感に肩透かしを食わせると、円にだって存外に良い仕事ができる。

円は落下速度を制御しながら少女の身体を引き寄せて胸前で彼女の頭部を庇う。

計算された衝撃を自分の背中で受ける為に彼女と体を入れ替える。

その一部始終を目撃する者が居たならば、大層不思議に感じたことだろう。

円と少女は物理法則に逆らって、まるで映画のスローモーションの様に転落したのだから。



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