第13話 ファム・ファタール 4


 橘さんの顔に張り付いた、各種陰惨無惨を取りそろえたアソートみたいな笑い顔は心底恐ろしい。

僕たちさんにんは膝を揺さぶられるように震え、屠場に曳かれていく子牛みたいな涙目になる。

橘さんが体験したタイムリープとリプレイの記憶は、ベトナムにおける過酷なジャングル戦を遥かに凌駕する程惨烈だったのだろう。

僕はそう思い至る。

橘さんの鬼気には、僕が出せる程度の気合じゃとても張り合えない。

僕の意気地はしょんぼりとうな垂れた。

 

 「アッ、やだな~。

言い過ぎちゃいましたね。

ごめんなさいです。

年増女の罪のないやきもちですよー。

そんなに怖がらないでくださいな。

本当の意味で怖がってるのは私なんですから。

考えてもみてくださいよ~。

仮にですよ?

仮に、まどかさんが八十歳で天寿を全うするとしますよね。

男女の平均的寿命を考えたら姉様女房の私は、枕もとでまどかさんを看取る確率大です。

もし“まどかさん御臨終”の一瞬後にバックトゥザベーゼってことになったら、いったい私はどうすりゃいいんですか?

愛する夫を失ったら、普通の人なら自分のお迎えを待つだけで良いのに、私ってばバックトゥーザベーゼですよ?

そんな状況で花も恥じらう生娘に若返ったって嬉しくなんかありゃしません。

それなりに重くて長くて嵩張る自分史抱えて、また初めからやり直しってことですからね。

生者必滅会者定離なんて言いますけどね。

私は何がなんだってまどかさんとは一緒にいたいんです。

・・・もしかして、私が歳九十で振り出しに戻るなんてことになっちゃったらですよ?

その時の私はすっかり不貞腐れてしまうに違いありませんよ?

邪魔で目障りなルーシーさんと雪美さんなんか早々に排除しちゃいます。

その後しかるべき手段を講じてまどかさんを篭絡して取り込んじゃうでしょうね。

そしたら、次の繰り返しまでの余生をですよ。

愛欲にまみれる爛れきったふたりに成って過ごしちゃうかもです。

それもまた一興かもしれませんけどね~」

先輩と三島さんの身体が仁王像の様に硬く強張る。

けれども、フォリー・ベルジェールのバーテンダーみたいに、ふたりの表情だけは虚ろで悲しげなままだった。

「冗談ですよ、冗談。

でも駄法螺を少々吹くくらいは赦してくださいな。

姥桜のですね!

赤裸々なたわ言ですよ。

どう転んだって難儀な人生を、私はこの先いったい何回繰り返さなきゃならないんでしょう?

だからです。

私の人生の大目標は、まどかさんが亡くなる5秒前に死ぬことなのですよ。

その時を見極めなければならない私の安心安全はですね。

ひとえにまどかさんの安心安全に掛かっているんです」

 僕は必死の愛想笑いを浮かべながら『愛欲にまみれて爛れきったふたり』の実態を想像してたじろいだ。

図らずも僕が橘さんに押し付けてしまった能力ときたらどうだろう。

結果として、小市民の生涯を根こそぎ蹴散らす勢いの色即是空で空即是色な大問題を、橘さんに預けることに成っちまった。

一緒に背負うにしろ、僕には重過ぎる命題だよ?

気の利く冴えた正答があるなんてとても思えない。

尻をまくって逃げ出す算段を立てたい僕だった。


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