第13話 ファム・ファタール 3
「まっ、とにかく先輩の戯言はそのまま脇に放り出すことにして。
確かにセーフティについては橘さんがおっしゃる通りです。
一つ間違えると石橋を叩く前に橋から蹴落とされるって言う現状は、いささかやばすぎるかも知れません。
正直そこまでは考えていませんでした」
「言っておきますけどね、戯言ではないことよ。
恋も愛も情も超越してしまったわたしの内なる何かがそう囁くの。
『マドカと一緒に死ねるなら本望』だとね。
わたしはただその囁きをこうして言葉に変えて代弁しているだけ」
「わ、わたくしなんか恋も愛も情も全部ひっくるめてこうやって抱きしめながら。
じ、地獄の底にまでだってマドカ君のお供をする覚悟です、ですよ?」
先輩の頭の中にも僕みたいにダイモーンがいるだなんて驚きだった。
面白いのは、先輩の淡々と事実を述べると言った趣に比べた三島さんの風情だ。
コアラみたいな恰好で僕に抱き着き、内心の葛藤にのたうつ狼狽えぶりには笑った。
「ちょっと、ちょっと、三島さん。
胸、当たってるって」
「どさくさに紛れて何やってるの。
離れなさい!
バカな子ね。
マドカも鼻の下延ばしてるんじゃなーい」
先輩は僕から三島さんを引きはがすと手を取らせて、有無を言わせず例のサークルを作り同期に持ち込んだ。
すると三島さんはたちまち落ち着きを取り戻す。
しばらくすると繋いだ手を静かに放して、数多あるピエタのマリア像に共通するあの澄んだ笑みを浮かべた。
「その通りですよねルーさん。
わたくしもまだまだですね」
なんだそりゃと思うが、僕だってそれを口にするほどの間抜けじゃない。
「あ~あなんだかな~。
これってご馳走さまですか~。
結局私だけ仲間外れですものね」
三島さんは僕を介して橘さんの心を読むことはできる。
けれども先輩の時と同じ回路形成をしても、今のところ情報の並列化はできない。
理由は分からない。
「でもいいですよーだ。
・・・まどかさんの個人史に関する事実上の生殺与奪権は私がガッツリ握ってますから~」
橘さんが極めつけという凄惨な目をして、唇を引き結んだまま口角を上げて見せる。
戦場帰りの兵士がどのような有様なのかは知らない。
だがその時の橘さんの目はいつか立川駅で見かけた米軍兵士の目とそっくりだった。
詳しい事情など何も分からないがMPに両脇を抱えられたその兵士は、酔っ払っていたのかあるいはドラッグを極めていたのか。
彼は満足に立っていられない様子だった。
けれども真っ青なその目は、僕には想像の及ばない恐ろしい深淵を湛えている。
その様にしか見えなかった。
時期を思っても彼がベトナム帰りであったのなら、戦場で見て体験したことはいかばかりのことだったか。
ベトナム戦争のニュース映像は毎日ブラウン管に映し出されている。
戦場でどんなことがおきているか。
そんなことは当時の人間であれば、子供にだって容易に想像できることだ。
大きな戦闘があったと伝えられた数日後には、ヘリコプターがひっきりなしに頭の上を通過したものだ。
コンボイの様に連なって横田基地を目指すヘリコプターの腹には、でかでかと赤十字がペイントされていた。
まだ小学生だった僕でさえ、ヘリコプターが何を運んでいるのかということくらいはまる分かりだった。
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