第13話 ファム・ファタール 2


 蛇の道は蛇とはよく言ったものだ。

橘さんは、その容姿と品の良い声音からは想像もつかない経歴を持つ。

防衛大学を出た後レンジャー徽章まで取った元二等陸尉だからね。

今は退役してお父さんが経営している警備会社で働いているけどどうなんだろう。

メスゴリラと言うよりはキャリアウーマン?

キャリアウーマンと言うよりは新卒の女子アナみたいだよ?

つい先日、ギンレイホールで観た片岡千恵蔵の多羅尾伴内は、決め台詞の最後に「しかしてその実体は、正義と真実の使徒、藤村大造!」なんて言ってたけどね。

橘さんも決め台詞の後で仕舞いには、「しかしてその実体は、正義と真実の美少女、橘佐那子!」って言い出しかねない感じがするよ。

古の映画には学ぶべきところが実に多い。


 「こんなこともあろうかと」

そんな決め台詞を得意気に口にして、橘さんは自室から大きなトランクを運んできた。


 飛行訓練は主に夜間行うことにしている。

夏でも空の上はかなり気温が低くなることが予想された。

そこで僕たちは、防寒のためジャンプスーツタイプのスキーウエア―やゴーグルを用意している。

その上で互いの体をザイルとカラビナを使って繋ぎ合わせれば、細工は流々後は仕上げを御覧じろってなものだ。

大空へと船出する準備は万端、進路はオールクリヤーで、全速前進“宜候(ヨウソロ)”と思っていた。

 「皆さん本気でおっしゃってます?」

レンジャー過程で嫌になるほど空挺降下の訓練をしたと言う橘佐那子退役二等陸尉があきれると言うよりあからさまに不安だと声を上げた。

「いくら空を飛べると言ったって、重力に逆らう能力をもっているのは、まどかさんひとりだけですよ?

ルーシーさんも雪美さんもカラビナが外れるとかザイルが切れるとか。

何らかのトラブルが起きて一度まどかさんの身体から離れてしまえばですよ。

9.8m/s²の加速度で地上に落下して、それこそ“アッ”て言う暇もなくお陀仏です。

ある意味未来を覗き見したとも言える私が知っている限りでは、おふたりにリセット特典はありません。

6秒も落っこちれば新幹線並みのスピードになっちゃって、東京タワーよりも高いところからダイブしたのと同じ距離がでちゃうんです。

『ついうっかり落ちました、テヘペロ』みたいな冗談ごとでは済みませんよ?」

僕たちは正直何の反論もできない。

「佐那子さんのおっしゃる通りね」

「確かにそこまで考えが及びませんでした」

先輩も三島さんもオニグルミの梢で突然高所恐怖症に襲われたリスのように声と身体を震わせる。

「僕たちのはたいした速度が出る訳でもない飛行術式ですよ?

カラビナが外れたりザイルが切れることなんてありますかね?

・・・ザイルを二本にしてみたらどうでしょう?」

それでもちょっと僕は意地を張ってみる。

「飛行術式って・・・能力は魔法じゃないんですよね?

仮に魔法だったとしてもですよ。

もしまどかさんが滞空中に気を失ったら?

想定外の難事が持ち上がって能力の発揮を続けるのが難しくなったら?

もしこの世界にそんな者が居ればの話ですけど、魔女だって箒から落ちれば一巻の終わりだと思いますよ」

「・・・心中になっちゃいます、か」

少なくとも先輩とは必ず一緒に飛ぶ訳だから、イカロスとは違ってトラブって死ぬ時に一人と言うことはないだろう。

運命を共にするという意味であれば飛行機事故と同じだ。

「それならそれでわたしは本望かな。

マドカの居ない人生なんて、わたしにとってはまったく無意味だもの」

「わ、私だって」

三島さんが気色ばむ。

先輩は時に、こういう恥ずかしいことをシレッと言ってのける。

そんな先輩に掛かると、僕はいつだって自分がチョウチンアンコウの雄にでもなった気分になる。

 「私に関して言わせてもらえればですよ。

まどかさんが命を落としたら、またまたまたまたいきなりバックトゥザベーゼですよ。

対森要戦をもう一度やり直すなんて、ちょっと勘弁です」

「またまたまたまた・・・ですか?」

なんだろう。

橘さんが時間の巻き戻しに、全身全霊でうんざりしている。

そのことは僕も知っているけど“また”の強調に少し違和感がある。

「いやですよ、まどかさん。

額に皴なんか寄せちゃって。

そう深刻に受け取らないでくださいまし。

言葉のアヤですよ。

言葉のアヤ」

橘さんが憂鬱そうに言葉を吐き捨てたのは妙に印象的だ。

そうした彼女の“訳”に思い当たる節もないので僕は話を切り替える。


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