第13話 ファム・ファタール 1


 夏とはいえ信州の空は寒い。

夜間飛行なのでなおさらそう感じるのだろう。

ラジオからはフランク・プゥルセルの“ミスター・ロンリー”が流れ出し城達也の渋いナレーションがそこに被さる。

零時を回り、新しい今日が始まる。

・・・そう言うことだ。

 

 「先輩も結構シチュエーションに酔うたちですよね」

寒さもあって僕の声は少し震えていたかもしれない。

「なに?

マドカはわたしにキスでもしたくなってしまったの?」

先輩はいつにも増して上機嫌だ。

「先輩まで三島さんみたいなからかい半分の挑発はやめてください」

 軽井沢に来てからというもの、先輩は日に日に機嫌が良くなってきている。

それは僕にとって、まずまず悪いことじゃない。

「今夜は久しぶりにマドカと二人きりの飛行訓練なのだもの。

見てごらんなさい」

先輩に促され、僕たちはつないだ手をゆっくり伸ばして、少しづつ高度を上げながら背面飛行に移る。

 目の前には満天の星空が横たわっている。

星の数が多すぎて目に映る範囲に星座を見つけるのは、マネの“草上の昼食”にカエルを捜すくらい難しい。

「夜空に横たわる天の川なんて多摩地区でももう見られませんもんね」

軽く頷(うなず)いた後、先輩は感嘆のため息を漏らす。

「すごいでしょ。

思いつくどんな言葉をもってしても・・・。

今わたしの胸に広がるこの大きくて細やかで・・・。

古くて新しくて・・・。

冷ややかでありながらどこか温かい。

この気持ちの充実を的確に表現することなんか出来やしない。

城達也もさっき言ってたでしょう?

“夜の静寂(しじま)の、なんと饒舌なことでしょう”って。

星々のおしゃべりはいつまで聞いていても、決して飽きることがないわ」

『先輩の感受性は宮沢賢治だって舌を巻くほど、瑞々しいと思いますよ』

僕はこんなことを決して口に出して言わない。

それでも固くつなぎ合わされた手と手を通じて、僕の中には先輩のおおらかで優しいロマンティシズムが余すところなく流れ込む。

先輩の美しい心映えが、僕の心と体の隅々まで温かく浸透していくのを感じる。

例え三島さんみたいな能力を持っていなくても不都合はない。

僕にはこと先輩の心なら、分かることについてはかなりのところまで分かるような気がした。

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