第12話 「失敗したらやり直せば良いと思います」とお姉さんは微笑んだ 12


 「・・・ごめんなさい。

年甲斐もなく取り乱してしまいました。

つらくて悲しかったいろいろが急に頭の中に溢れ出してしまって・・・。

こんなに泣いたのって幼稚園の時、日本橋の高島屋で迷子になって以来のことです」

ルーシーと雪美は改めて佐那子の献身をねぎらう。

そうして彼女の痛みにあるがままの真心でとことん共感を寄せ、思いは共にあることを誓い合った。

ルーシーと雪美の間に嘘偽りが成立しないように、ふたりと佐那子の間にも表裏のない誠実な関係性が生まれたのだった。 

 とは言うものの、事をあらためるまでもなく、円の命を救い皆を時間ループから解放した佐那子の知恵と勇気には驚嘆しかない。

そのことにさんにんとしてどう感謝の気持ちを伝えたらよいのか。

気の利いた言葉の一つも思いつかない有様だった。

 「胸に秘めていた重い秘密を棚卸しさせてもらって、心の出納帳の見通しが大分良くなりました」

再び運転を始めた佐那子は、少年少女が繰り延べる世知の回りの悪さに気を使ったのだろう。

初めて出会った頃に見せていた大人の顔で綺麗に笑ってみせる。

「・・・けれどもですよね。

今更ながらですがおふたりの疑問に話を戻すとですね。

円さんは刮目すべき快男児なのですが、同時にただのセニョールでもあると言う事なんですよ」

「「ただのセニョール??」」

「そうです。

ただのセニョールです。

・・・人工呼吸の事もそうですけれどね。

時間が巻き戻る度に、もう数えきれないくらいの局面でです。

快男児の円さんは、私を害そうとする森要の魔の手から、何度も何度も守ろうとしてくれたんです。

薬物の影響で頭が朦朧として身体の自由も上手く利かないとは言えですよ。

玄人で大人のわたしを、背の低いまだ子供っぽい所をいっぱい残した男の子が、身を挺して必死で守ろうとしてくれるんです。

自分も失血でフラフラだと言うのにですよ。

私だって木石じゃありませんからね。

そんな局面が何百回となく繰り返されるうちにいつしか、女の喜びと言うか愛される恍惚感とか、ほらあるでしょ?

ほだされちゃったんですよ。

胸キュンってやつですよ。

きゃーっ。

何、言わせるんですか!」

「あぶない!

橘さんちゃんと前見て前。

痛いー。

何すんだお前ら」

円の受難は続いた。

「・・・正直、私の気持ちがほんのちょっぴり入っていたことは否定しません。

否定しませんけれど・・・円さん・・・御免なさい! 

黙っていようと思ったのですが晒します。

・・・私がちょっと演技過剰な位にお色気を出すと桁違いに円さんの生存率があがったんですぅ。

死にそうになっていたのがシャキシャキッと元気なセニョールになるんですぅ。

過剰お色気路線を採用してからです。

二人でお家に突入して、円さんが廊下で倒れ伏す雪美さんの所に辿り着くまでの状況を、ほぼほぼ固定できるようになったんですぅ。

エッチなセニョールと化した円さんは、俄然やる気が出て、対森要戦を安定的に戦えるようになったんですぅ。

初戦に勝利する鍵は円さんへのエロ注入だったんですぅ」

「痛い、痛い、僕は、僕は、何にも悪くないぞ!」

円はルーシーと雪美の理不尽を本気で責める。

だが、佐那子の媚態をたった一回分しか覚えていないことが酷く残念に思えて仕方が無い。

それもまたセニョール円の偽らざる心の真実だった。

 

 少し早めの昼食は下界の最終地点である横川で済ませた。

駅弁として全国的に有名なあの“峠の釜めし”を、国道沿いにあるドライブインに似た販売所で購ったのだ。

 ところで、峠の釜めし本体はとても美味しい、凄く美味しい。

円もそれに異論はない。

異論はないのだが、飯の上にはいつだって甘酸っぱい杏子の実が、結構大きな顔をして居座っているのが気になる。

付け合わせなのかデザートなのか良く分からない。

だがそれは、釜めしを食すどの過程で口に入れても、円にとって味わい的に違和感がありありなのだ。

 旅先のご馳走をだいなしにする、そんなストレンジャーたる杏子の実のことが、円は子供の頃から大の苦手である。

だが今回はそのことを表明する間もなく「貰い―!」と嬉しそうに箸を伸ばした雪美に強奪されてしまった。

内心ほっとしたのだが、円から奪い取った杏子の実を巡って「ズルい!ズルくない!」と女性陣の間でひと騒動あったことには正直驚いた。

『んっな訳の分からないもん、欲しけりゃいくらだってあげるのに。こいつら余程の味覚音痴かはたまた変態的杏子好きなのか?』と、円は本心から呆れた。

 男なぞ幾つになっても、見えるものだけを見てそれで分かったつもりになっている生き物ではある。

事程左様に、ちょいちょい円がやらかす“男女の親密感を侮(あなど)る言動”が、女心からズレまくっていることは佐那子ですら既に承知している。

今またお三方に、杏子にまつわる円の心の声を聞かれたならば『乙女の気持ちを全然理解できていない』とそれはそれでひと悶着ある事だろう。

雪美が指の届かないテーブルの向かい側に座っているのは、円にとって僥倖だった。

 女心の機微の何たるかに辿り着くには、円も事あるごとに、まだまだ訳の分からぬ理不尽の嵐に晒されねばなるまい。

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