第12話 「失敗したらやり直せば良いと思います」とお姉さんは微笑んだ 6
「わたしたちは電車で行くつもりなのですけれども」
ルーシーはポーチから特急あさまの指定席券と乗車券を取り出して佐那子に突き付ける。
「払い戻しはうちの者が代行いたします」
佐那子は助手席に乗っている若い黒服に目配せすると、ルーシーから切符を受け取らせる。
若い黒服はそのまま改札へと姿を消し、さんにんは佐那子に促されて車に乗り込んだ。
先日、円と雪美が拉致された時とは違う車である。
やはり大型のドイツ車で、トランクスペースは充分広く三人分の荷物も楽々と収まる。
お先にとばかりに、佐那子の物であるに違いないボストンバッグやトランク類が鎮座していたのはご愛敬か。
佐那子は「ぜひ右隣のナビシートに座って下さいまし」と円に懇願したが、大天使二人の許しが出るはずもない。
哀れな下僕はルーシーと雪美に左右をがっちり固められて、リアシート中央にちんまり納まることと成った。
円としてはゆったりとしていて眺めも良いナビシート希望であるのは言うまでもない。
だがそれを素で口にするほど愚かでは無い。
円も少しは学習したのだ。
円の本当の希望はと言えば。
美少女二人に挟まれて座ることでも。
高級車の助手席に座ることでもない。
電車に乗って目的地に向かうことだった。
8両編成の181系信越特急あさまが横川で重連のEF63に繋がれて、あえぎあえぎ碓氷峠をよじ登る。
それを重連の機関車が連結されるところから実体験したい。
それが円の望みであり本音だった。
一眼レフだってそのために用意したのだ。
円は避暑地の休暇より何よりもワクワクしながら、最大66.7‰の碓氷峠超えを楽しみにしていたのだ。
円はそのことが残念でならない。
「歳甲斐もなく高校生の間に割りこもうだなんて、橘さんも大概になさるとよろしいわ」
ルーシーが腹を立てているのは傍目にも明らかだ。
だが、佐那子は佐那子でルームミラーにちらりと目をやると全く動じる風もなく涼しい顔で微笑んだ。
「まあ、人聞きの悪い。
お嬢様。
私もお仕事でしてよ?」
「・・・しらじらしいですわね。
それならばもっとお仕事らしい装いをされてはいかがでしょうか。
上下を白で合わせたブラウスとロングスカートでは運転すらままならないのでは?
それにテニスのラケットがトランクに積んでありました。
佐那子さんはいったいどんなお仕事をなさるのでしょう?」
ルームミラーに映る佐那子は、小さな白い歯を見せて、満面の笑みを湛えている。
「だって皆さん軽井沢で避暑。
もとい、合宿だと言うのに私だけまた仲間外れなんてずるいじゃないですか。
父に談判して弁護士さん経由でおじさまにご提案させていただきました。
おじさまも今回の合宿に男子が、それもよりにもよって、曰く因縁ありきの円さんが加わっている。
それを酷くご心配なさってらして、弊社からの提案には二つ返事でご了承を戴きました。
その場ですぐに正式のご依頼を承りましたし契約書のサインもほれこの通り」
佐那子はダッシュボードの上にあったホルダーを取り上げて後ろに寄こす。
「あっ、ちなみに弊社の社長は実は私の父なのですよ。
父とおじさまは古くからの知り合いです。
実は私も小さなころからおじさまとは面識があります」
書類を確かめていたルーシーの肩ががっくりと落ちる。
「そのようなことひとことも・・・」
「ボディガードはお仕事でしたからね。
公私は分ける。
社会人なら当たり前のことですよ?
でも、諸事情と何より私の気持ちが変わりました。
公私の一致です」
佐那子は大成功の悪戯を明かした小さな子供のように目を輝かせる。
「そう言えばもう先(せん)に「知り合いの子供に防衛大に進んだ男勝りの娘さんがいてな。そいつが孫の顔を見ることができんかも知れんとぼやくことしきりだ」なーんて父が申していたことがありましたっけ。
あれって橘さんの事だったのですね」
ルーシーは佐那子の肩越しに助手席へホルダーを返した。
「・・・確かにわたしたちと橘さんは共に死地を潜り抜けた仲かも知れません。
けれどもわたしたち“さんにん”は申し訳ないですけれども、貴女にはご理解もお考えも及ばない固い絆で結ばれているのです。
失礼ながら、わたしたちの間に事情を御存知ない方が入り込む隙は、毛ほどもございません」
「御事情なら存じ上げてますとも。
円さんとルーシーさんは空を飛べて、雪美さんは円さんを媒介にして人の心が読める。
私知っているんです」
『秘密がばれた!』
さんにんは息を呑んで凍り付き、藪から棒の緊急事態に竦(すく)み上がる。
そうしてさんにんの想像が及ぶ範囲を遥かに越境してのける、奇妙で壮絶な佐那子の体験談に、そのまま耳を傾けることとなった。
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