第12話 「失敗したらやり直せば良いと思います」とお姉さんは微笑んだ 5

 「ところで、なぜ橘さんが運転席に収まっているのかしら?」

ルーシーの眉間に皺が寄る。

カーキ色のダッフルバッグを肩に掛けた円と、何が入っているのか巨大なサムソナイトを足元に置いた雪美も、目を丸くして口を半開きにしている。

さんにんともこれからいかにもバカンスに向かいますという出で立ちである。

変わり映えのしないジーンズにポロシャツという円さえどこか小奇麗である。

ルーシーと雪美に至っては、まるで申し合わせたかのように、清楚な単色のサマードレスに、つばの広いサマーハットをコーディネートしている。

「ルーシーさんのお父様の許可と言うか。

たってのご希望で運転手兼お目付け役の任につきました。

東都警備所属、橘佐那子退役二尉であります」

佐那子は澄んだ目をして、そこに呆然と佇むさんにんを見据える。

それから花が咲いたような笑顔になり、本職めいた敬礼を寄こしてみせた。

 

 ルーシーと雪美が鬼軍曹の職務を全うしたおかげだったろう。

ブートキャンプは大成功に終わった。

担任と教務主任を十分満足させる高得点を持って、円は追試を乗り切ることに成功したのだ。

 本当を言えば、教頭絡みの停学騒ぎを嚆矢に、森要事件での期末試験欠席についても、情状酌量の余地があると言う事で無処分となるはずだった。

だが規則破りの事実は事実として、円の処遇については複数の教員間でかなり問題視されていたのだ。

 裏事情を知る校長や生物教師、なぜか肩入れをしてくれる教務主任や担任の取り成しもあって処分の拡大を防げはした。

そうではあったが例年それこそ夏休みを潰す勢いで開講される、赤点タイトル保持者を対象とした補習授業に円が放り込まれるかどうか。

そこは微妙なところだった。

各教科の教員の苦言もあって、試験なしで放免と言うミラクルな恩赦はない。

補習授業を受講するかどうかは、八掛けになる追試の点数次第という落としどころで話が付いた。

 円的には事の経緯を考えれば補習への参加も致し方なしと、半分諦めの境地に入っていた。

だがそれではルーシーと雪美が治まらない。

何しろさんにんで過ごせる初めての夏休みである。

 俯瞰してみれば、円が経験した地獄のブートキャンプの意味は何だろう。

なんとなれば、思い出に残る楽しい休暇を切望するルーシーと雪美の執念がそもそもの根底にあるのは確かなことである。

即ち、ブートキャンプはふたりの望みを叶える。

ただそれだけを目的とする怒涛の連続一夜漬けがその実体と言えたのだ。

「夏休みに補習を受ける方がまだましだよ」

そうぼやくハードラーニングと幸運の女神がもらす苦笑に支えられて、円はからくも追試に及第した。

 一方どうした訳か、円がルーシーと雪美に猛特訓を受けていることは、生徒間で広く知られる事実となっていた。

そのことで荒畑にもからかい半分で随分といじくりまわされた円である。

 嫌な予感はしていたが案の定、終業式の日には外聞の悪い状況が待ち構えていた。

今更気にしても仕方がないと言えばその通りではある。

だが、さんにん組が昇降口を出る頃合いだったろうか。

補習の招待を受けている男子共の放つ怨嗟の叫びが校内に殷々(いんいん)と響き渡ったものだ。

そのことには、さすがの円もいささか閉口だった。

もちろんルーシーも雪美も哀れな男子どもの怒号なぞまったく意に介さない。

ふたりは突き刺さる視線もガン無視して、明日から始まる合宿のあれこれについて、楽し気にやり取りしている。

二人の間で身を縮める円はといえば、ひとり市中を引き回される咎人のような了見で目を伏せるしか術がない。

 

 加納円、こうして堂々の・・・と言うよりは逃げ隠れしたい夏休み入りは、まさにルーシーと雪美居らばこその快挙である。

この上、生物部の合宿と称する避暑地行きが件の男子共に知られようものなら、三度(みたび)の病院送りは必定だったろう。

 朝焼けの美しい今日のこの良き日。

畢竟(ひっきょう)、加納円がのほほんと旅装を整え、こうして美少女二人と、集合場所である国分寺駅南口駅頭に立つことができた。

そのことは、惨禍と紙一重である僥倖以外の何物でもないと言えよう。

 

 

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