第12話 「失敗したらやり直せば良いと思います」とお姉さんは微笑んだ 2


 「それにしても暑いわね。

少しばかり風が入って来ても全然涼しくならない」

ルーシーは、一番上のボタンまできちんと止めたパステルピンクのブラウスを白衣から覗かてせいる。

彼女はビスクドールめいた硬質な表情で独り言ちると、ドリップポットをウサギ柄のランチョンマットの上に置いた。

 緊張のない日常が戻り平穏が心身に満ちれば、それはそれで、考えないようにしていた憂いが瞳の奥に忍び込む。

そうして新たに生じた屈託が眉間の翳りとなって映じているのかも知れない。

ちなみに身嗜みにはうるさいルーシーだが、さすがに暑いのか、白衣の前は全てのボタンが外されている。

 このところのコーヒーブレイクと言えば、先日の功績を讃える意味もあってだろう。

円好みのマンデリン細引きフレンチローストが定番となっている。

ルーシーはアルコールランプの炎を断つと、それぞれのカップをそれぞれの前にサーブする。

 「マドカ君、そろそろ切り上げましょう。

三角関数も一次関数もマドカ君の容赦ない調教の甲斐あってか、素直に言う事を聞くようになりましたね。

見たところ一学期の範囲内に限ってですけれど、マドカ君の鞭は彼女達をすっかり手懐けておしまいになった感じですよ?

まるでわたくしを手込めになさった時のような仕上がりです」

「ミ・シ・マーいい加減にしろよ!

そうやってまた根も葉もないデマを飛ばしやがって!

ミ・シ・マが性的暗喩を駆使して僕を虐めようっていう魂胆はお見通しだぜ。

けどな、脳筋な正義漢や倫理の旗を打ち振るう偽善女がこっそり聞き耳を立ててたらどうすんだ。

この国は性犯罪の被害者が加害者より辛い目にあうクソったれな場所なんだぜ。

僕だってミ・シ・マを庇いきれるかどうか分からないし、最悪、一蓮托生ってことで雁首揃えて袋叩きだよ?

少しは考えろよ。

それに数学が、いったいいつから僕の鞭で調教される彼女達になったんだよ!」

「ナーマギリって言う数学に肩入れしてるインドの女神様がいるんですよ。

ほら、マドカ君ったら女性を誑(たら)しこむのも躾けるのも本当にお上手だから。

それにもうわたくしの一生は、マドカ君とそれこそ一蓮托生ですよ?

責任取ってもらうんですから、よそ様に何をどう思われようが言われようが、わたくしはなーんの心配もしてませんよ?」

雪美はいっそあどけないくらいの笑顔でけらけらと笑う。

円は憂鬱そうな顔で天井を見上げ、幸せがチームで逃げて行きそうな大きなため息をついた。

 円をからかうのはもう飽きたとばかりに、雪美は鉛筆を放り出すと可愛らしい伸びをしてルーシーに薄く目配せする。

「こんな身体にされちゃった訳だし、責任云々についてはわたしもユキに同意。

それにしても、中間試験の時と比べて格段に要領が良くなってなにより。

この調子なら追試も難なくクリヤーできそうね」

「先輩までそうやって僕の未来に、道理から外れたべらぼうな額の抵当権を設定するんですね?

その揚げ句の果て、僕が借りた覚えのない借入金から法外な利息を取り立てようって腹ですか?」

ルーシーは雪美の隣に並んで座ると、円の悲嘆をサラッと無視する。

ルーシーは優しげな片笑みを浮かべながら、カップにそっと唇を近付ける。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る