第11話 綺麗なお姉さんは好きですか? 19
「警察への通報や事後の段取り、関係各所への手配は、橘さん?警備会社の方がダイダラボッチの弁護士さんまで呼びつけて全部やって下さったの。
『本当は円さんの傍にずっと居たいのですけど』ってぽろぽろ涙をこぼしながら、『私は大人ですから今は自分のできることを精一杯やらなくちゃ』っておっしゃって。
・・・あとね。
橘さんったら『円さんは命の恩人で私のファースト・・・』って言った切り真っ赤になっちゃったんだけど。
『私のファースト・・・』って、あなたまたいったい何をやらかしたの?
どうしてかしら。
その時“ゴリウォーグのケークウォーク”が流れたわね」
橘さんとの一件のどのあたりがドビュッシーであるのかは皆目見当がつかなかった。
だが円は、双葉の話しに力なく相槌を打ちながら、だんだんと憂鬱な気持ちに成って来るのを止められない。
もうしばらくすると双葉と交代する形でルーシーと雪美がやってくるらしい。
橘さんの事については当然追及を受けるだろう。
橘さんの件について円は、消防庁から表彰されても良い位の救命活動だと思っている。
だが自発呼吸が再開されてしばらく、橘さんが見せたあの妖艶な振る舞いは何だったのか。
発情を演じる女優みたいな橘さんのコケットリーはどうしたことか。
清楚と言うよりはどちらかというと幼げな橘さんのかんばせが、蕩けるようなエロティシズムの芳香を放ってヤバい感じだったのだ。
それは人格崩壊を疑う程の嬌態だった。
彼女が見た目通りの嫋(たお)やかな形(なり)であれば、宥(なだ)め賺(すか)して距離を置くこともできたろう。
だが彼女の対人戦闘で鍛えられたレンジャー上がりの膂力(りょりょく)は半端ではない。
男子とは言えろくに運動もした事がない15歳の少年としては、一方的な蹂躙としか思えない仕儀とあいなった。
呼吸が出来なくなる位の力で抱きつかれ、切なげな吐息を耳元で洩らされた。
あの時は、失血と混乱による朦朧と訳の分からない官能の焔に脳が焼かれた。
円の頭の中ではオラトリオとカリオンの輻輳音が狂気を孕んで反復反響したものだ。
橘さんがもたらした、なんとも名状し難いカオスをふたりにどう説明?釈明?したものか。
目蓋を閉じると“修羅場”と造形されたネオンサインが、暗黒街の街角でジッジッと音を立てながら明滅する幻影が浮かんでくる。
そのことに、円は慄(おのの)きを感じざるを得ない。
「あんたはあたしたちの命の恩人。
精々感謝されることね!」
息を切らしながらドアからいきなり飛び込んできたのは雪美だった。
キャラクターが一変したかと思うような物言いだったが、下顎が震えているのが分かる。
「待ちなさい。
廊下を走っちゃダメでしょ。
ごめんなさいね。
ユキったら突然走り出して・・・。
それにあなた、腰に手を当てていきなり何を言い出すとかと思えば。
御覧なさい。
マドカってば目を丸くしてポカン顔になってるじゃない」
一足遅れて飛び込んできたルーシーもまた走って来たのだろう。
上気した顔で眸(ひとみ)を輝かせ肩で息をついている。
「どんな顔してマドカ君に話しかけたらよいか分からないって、黄昏ていたのはルーさんじゃないですか。
わたくしが先方を承って一番槍を付けたんですから、兜首を掻き切るのはルーさんにお任せします」
風呂に入って睡眠をとり禍々しい記憶を整理したことで、元気を取り戻しかけているのだろう。
ルーシーと雪美は円の前に姿を現すや否やつまらぬコメディを演じてみせる。
無理に笑おうとする雪美の頬には湿布薬が大きな絆創膏で貼り付けられている。
ルーシーの両腕や脚には何か所も包帯が巻かれている。
ふたりは円の様に生死の境を彷徨った程ではない。
だが少女たちがそれぞれに、負わせてはならない傷を森要から被(こうむ)ったことは明らかだった。
実のないマチズムに拘るつもりは無い。
それでも円は少女たちを守れなかったことを悔やみ、自責のあまり込み上げてくる吐き気でどうにかなりそうだった。
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