第11話 綺麗なお姉さんは好きですか? 13
大学四年次の春、教育実習先の高校で、森要は毛利ルーシーと出会った。
森要にとって赤毛のルーシーはまさに奇跡の人だった。
ルーシーは人目を惹く美貌の持ち主だ。
鑑賞に値するプロポーションの持ち主でもある。
だが森要にとってルーシーの容貌はあまり意味のある属性では無かった。
ルーシーが捕虫袋に落ちるどころか、森要に一瞥(いちべつ)を与える程度の関心すら示さない。
そのことこそが注意を惹かれた点であり、彼女を奇跡の人だと感じるコアなモチーフだった。
この時点で森要は、北アフリカの砂漠に突如現れたエトランジェに、びっくり仰天したベルベル人と同じ混乱に陥った。
文明の光輝を纏うローマ人たるルーシーを、素朴な辺境の民である森要が扱いあぐねただただ途方に暮れる。
そんなイメージだった。
森要は生まれてこの方一度として、ホモサピから嫌われたり疎まれたりすることが無かった。
ホモサピには、好かれ愛され大切にされることが当たり前と思っている森要だった。
だが、毛利ルーシーは自分をごく自然に無視し軽んじる。
彼女の最早奇矯としか思えない振舞はどうしたことだろう。
教育実習生としての立ち位置から話しかけてすらルーシーの態度は変わらない。
いつだって優雅で礼儀正しい。
だがしかし、貴種がまるで野蛮人でも相手にするかの様な冷ややかな応接の姿勢は何事だろう。
森要は、“出来て当たり前”を鮮やかにかわされ、勝手違いに当惑するしかなかった。
捨て置けば関心を持たれず、関わろうとすれば避けられ疎まれる。
そんな、ルーシーの自分に対する評価と扱いが何処から来るものなのか。
森要に心当たりも無く途方に暮れるばかりだった。
さすがの森要にも物事を不思議に感じる程度の感受性は備わっている。
自分でも驚いたことに、教育実習の期限が迫ってくると、このまま引き下がるのは業腹と感じもした。
そんな気持ちは生まれて初めて経験するものだった。
焦燥と言う感覚は経験したことがなかった。
だが、その時森要は明らかに焦っていた。
しまいには高校時代の演習と実験に用いた“女たらし”の戦術技法を行使さえしてみた。
ところがルーシーには、撃墜率100%だった熟練の戦技すら全く効果が無い。
そればかりか、籠絡を意図して積極攻勢に出てからというもの状況に悪い変化が生じた。
話しかけてもただ嫌がられるだけだったのが、ルーシーの視線に蔑みと思しき成分が混ざるようになったのだ。
森要としては想定外の状況だった。
時を変え場所を変え、ありったけの手練手管を駆使してなお森要はルーシーに拒絶された。
この時森要は、生まれて初めて他者を自分と対等のヒトとして認識するに至った。
それは鮮烈な感動だった。
森要はこの世の誰にも感じたことのない熱量を持つ好意と独占欲が、身体の奥底からドロドロに溶けたマグマの様に噴き上がってくるのを意識した。
『捕食したい』
森要は強烈な飢えを感じた。
『食べてしまいたいほど愛している』
などと言う俗な表現があるがそれはあながち誤りではないかも知れない。
森要の“心のからっぽ”を満たすことを予感させる名状し難い何事かをあえて言葉にしてみよう。
あえて言葉にして口にするならば『食べてしまいたい』そんなストレートな物言いになったろうか。
森要に生じたルーシーへの執着は、大脳辺縁系から湧き上がる原初的欲望そのものになったのだ。
授業の合間や放課後。
機会を見つけてはルーシーにまとわりつく森要は、まるで誘蛾灯に引き付けられるオオミズアオだった。
オオミズアオは種名にアルテミスの名を戴く夜の女王然とした見る人を魅了する昆虫である。
妖しくも美しい姿を持つ蝶の眷属だが、蛾であることに変わりはない。
蛾が蛾であることに何の罪もないことは自明の理である。
だが蝶と比べればご婦人方にはあまり歓迎されない生き物であることは確かだろう。
言わずもがなの事ではある。
それでもあえて言葉にすれば、ルーシーにとっての森要は、
『奇麗かも知れないけれど、身の毛もよだつほど気味の悪いただの蛾』
に過ぎない。
そうした身も蓋も無いルーシー側の事情のせいで、森要の苦心と苦労はことごとく退けられた。
女たらしの詐術に加えて、子供の頃から知らず知らずのうちに身に着けている人たらしのあの手この手を、文字通り総動員して口説いた。
そうまでしても毛利ルーシーは、森要の手の内に落ちない。
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