第10話 “忘れえぬ女”と“民衆を導く自由の女神” 15

 「驚かせてごめんなさい。

事の決着がつくまでふたりとは距離を置こうと思っていたの。

それがこんな形で接触しなくてはならなくなって。

すべてわたしのせいだわ。

・・・マドカにはどう謝ったらよいか分からない」

ルーシーは肩を震わせ両の掌で顔を覆う。

「またこうして話せてよかったです。

この間は子供っぽい拗ね方をしてしまって申し訳なかったです。

ことの真相は三島さんにはバレてますので後で聞いてください。

恥ずかしくって僕の口からはちょっと。

なんなら今この場で三島さんの力を借りて並列化してもらっても構いませんよ?」

「そうですよ、ルーさん。

わたくしもマドカ君の演技には騙されてあやうく事の本質を見誤るところでした。

後で何て言わず今すぐ教えちゃいます。

並列化しましょ」

ゆったりとしたリアシートには円を挟んで右側にルーシー左側に雪美が座る形になっていた。

 悪戯な表情に成った雪美はすかさず円の左手を握り、円に伸し掛かる様にして顔を覆うルーシーの手に触れる。

円の目の前では思った通り、ドラクロアの女神より豊かな雪美の胸が静かな呼吸と共にその存在感を誇示している。

偶然なのかわざとなのか。

その頂が時折円の鼻先や頬に物理的圧迫を加えてくる。

もちろん眩暈(めまい)がするほどの甘い香りもする。

「そうだったのね。

わたしも一人で取り越し苦労をし過ぎたみたい。

とっくにわたしたちは三人で一緒に生きていたのね。

ユキ。

それでもちょっとやりすぎ」

「おためしですってば。

本当にエッチなのはマドカ君ですよ?」

円にふたりの間で交わされる心の会話はまったく認識できない。

だが雪美が体勢を戻す瞬間ルーシーの唇が円のそれに触れる。

ふたりの間で完全な情報の並列化が行われたことは明らかだ。

「な、なにを」

雪美と言いルーシーと言い、キスは不意打ちでするものではなかろう。

少年が胸に抱いていたファーストキスへの甘やかな幻想は、傍若無人な乙女による二度の蹂躙で、永遠に崩れ去った。

「嬉しいくせに。

ルーさんこれで貸し借りなしですよ?」

「ユキもなかなかの策士ね。

キスの初めてはあなたに譲ることになったけれどもね・・・」

「えーっ」

ルーシーの緑色の目が怪しく光り、ユキの眉がへの字を描く。

意味が分からないけれど、円は何か穏やかならぬ戦慄を感じてこの場を逃げ出したくなる。

「そう、嫌が応も無くわたしたちの中心にはマドカが居る。

ユキの言う通り、マドカには良い少年から早く良い男になってもらわないとね。

それにしても、あなたたちがわたしの思っている以上に状況を把握していることには正直驚いたわ。

帰りはふたりとも車で送って貰うようセキュリティの人に頼みます。

これからわたしの家に寄って下さいな。

マドカとも情報を共有しなくちゃだから。

それにしてもわたしが“忘れえぬ女”でユキが“民衆を導く自由の女神”と言うのは納得が行かない。

近いうちに修正なさいね」

雪美からのアクセスと情報の並列化でルーシーはいつもの調子を取り戻した様である。

今の所、小金井案件については言及が無い。

もしかしたらこのまま見逃してもらえるのかも知れない。

円の中に小さな希望の灯火が生まれた。

 「マドカの人を人とも思わない態度に切れてしまった教頭先生にはいささか同情はするけれどもね。

それでも筋違いな暴言と暴力は許し難いわね。

わたしだって今からユキと一緒に職員室へ突撃したいくらいよ?

けれどもマドカとユキの担任の先生や学年主任の先生のお顔を潰すわけにいかないわ。

ここは自重しましょうね、ユキ?

どうしても道理が通らないなら都の教育委員会に手を回せばすむことだしね」

雪美はお淑やかに頷くと円の二の腕に肘鉄を食らわせた。

ルーシーはサイドウィンドウを下げると車外で待機していた黒服に声を掛けた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る