第10話 “忘れえぬ女”と“民衆を導く自由の女神” 13

 「お前バカだろ」

机の向こうで頬杖をついたまま座っている担任が新しい煙草に火をつける。

「おまえにはホトホト呆れたよ」

担任は溜息をついてから、いかにも不味という顔で煙を深く吸いこんだ。

「俺と岡本先生でことを穏便に済ませようと、半日かけて根回ししたって言うのに。

お前の余計な一言ですっかりだいなしな」

担任は煙を円に吹きかけ、その後今度は美味そうに紫煙をくゆらせて目を細める。

「僕は土曜日の夕方井の頭公園で、ただてくてくと歩いていただけなのにいきなり殴られてカツアゲにあいました。

・・・純朴極まりない強盗傷害の被害者ですよ?

『怖かったろ、可哀想だったね』って慰めてもらえるならまだしも、なんで訳の分からない説教されたあげくぶたれなきゃならないんですか。

・・・教頭先生って左利きなんですね。

・・・そう言えば、ああいった怒り方をする人間って性犯罪者に多いんですよ?

先生ご存知でした?

僕心配だな」

「それだよそれ。

その減らず口。

“いけしゃあしゃあと”って言葉が今、俺の頭に浮かんだよ。

おまえってそんなふてぶてしいキャラだったっけ?

大人しくて目立たない小柄で地味な生徒。

問題も厄介事も起こしそうにないし、成績もそこそこで課題に手抜きも無い。

一線引いて教師と親しく交わろうとしないが反抗とは無縁の生徒。

生徒のドラフトがあれば俺だったら一位指名間違い無しだな。

中学から上がって来た調査書見ても手が掛からない良い子風だったんで、お前にはうっかりどころかおおいに足元をすくわれたよ」

「入学以来僕にも色々ありましたから」

「どうやらそうらしいな。

ところでさっきの教頭の拳。

当たっちゃいるがお前軽く受け流してたよな?

教頭先生自制心がぶっ飛んで訳が分からなくなってたから気付かなかったろうが。

相当喧嘩慣れしてないとありゃないな。

鉄拳制裁のつもりがおちょくられてたことを知ったら気の毒に。

そうなった経緯を含めて色んな意味でプライドズタズタだろ。

定年間近の年寄りをあんまりいじめるもんじゃないよ?

・・・女は男を変えるって言うが、少女も少年を変えるってか?

ほんの二月足らずでお前にいったい何があったって言うんだ?

噂の二年。

毛利ルーシーか?

今まで放任しておいた俺が言うのもなんだが、お前の将来がちょっとばかり心配になってきたよ」

「僕が喧嘩慣れしてるなんて滅相も無い。

姉だって僕の事は素直で良い子だって、いつも褒めてくれます。

そんな僕がですよ。

教頭先生をおちょくるなんて大それたまねする訳ないじゃないですか」

円はいたって真面目な表情で抗議する。

「おまえな、全共闘OBをなめんなよ。

今はこんななりだがな。

俺だってそれなりの修羅場は潜って来たさ。

ここだけの話し、岡本先生なんか学徒動員の特攻隊上がりだぜ。

エンジントラブルで二度死に損なったって笑ってたよ。

あの人はいつもニコニコしちゃいるが肝の据わり具合は半端ないぜ。

おまえの世間を舐め切ったマインドなんざすっかりお見通しだよ」

「・・・おそれいりました」

「・・・まあ、あれだ。

教頭は岡本先生と俺で何とかする。

本当なら教頭の説諭(せつゆ)をちょこっと我慢して聞くだけで放免だったんだぜ。

・・・もう何にも言うな。

お前は無罪だ、それは知ってる。

言いたいことが山ほどあるって事も分かる。

時間をくれ。

後始末に三日だ。

三日間、家で大人しくしてろ。

病欠って事にしとく。

記録には残さんしフォローもする。

期末も近いしな。

・・・頼んだぜ」

 円は取り敢えず減らず口を慎み担任に深々と頭を下げる。

教師間の大人の事情には元より関心が無い。

学年主任も担任も、円を罰することは間違っていると考え、教頭から庇おうとしてくれている。

円もそのことだけは理解した。

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