第10話 “忘れえぬ女”と“民衆を導く自由の女神” 9

 荒畑による取り調べの場に善美や上原はいない。

この二人については誘ったとしても断りを入れてきたろう。

もとより円が本物の凶状持ちだとしても。

善美と上原については、円に対するスタンスが変わることは無いように思える。

 円の認識では、ふたりは片やスポーツ、片や芸術と言うまったく異なる世界観で坂の上の雲を見つめている。

友人としての円はふたりの世界観を理解し、そこには敬意と憧憬を当てている。

円の了見はふたりにも伝わっている。

円がそのスタンスを貫く限り、ふたりの円に対する立ち位置が変わることは無いだろう。

 円が何をしでかそうと、おそらくふたりは円を嗜めることも非難することもしない。

何事によらず、こうと決めれば、それとこれとは別という頑なとも言える孤高の美意識を持つふたりである。

ありがたいことに円はふたりから、こうと決められる程度の友誼は得ている。

 試みに、円が凶悪犯罪を犯して逃亡の途上でふたりを頼ったと仮定して見よう。

さすればふたりそれぞれに。

円を風呂にいれ飯を食わせて世間話でもするだろう。

そうしてしばし旧交を温めた後、きちんと円の了解を取った上で警察に通報するに違いない。

円が再び逃亡しても。

素直に縛についても。

全ては円次第とふたりはふたりして同じように考えるだろう。

友人と認識している人間に対する一方的な信頼には揺らぎのない円である。

 

 尋問の冒頭で、円の職員会議案件が単なるカツアゲと知った荒畑は大いに残念そうだった。

円は荒畑が祭り好きである性癖を良く知っているので腹も立たない。

「この事なかれ主義の僕が当事者なんだぜ。

巻き込まれに決まっておろうが」

「それはそうだろうが・・・。

ほら、窮鼠猫を噛むとか蟷螂之斧とか言うじゃねーか。

好事家の心の琴線に触れるような・・・こう、何かビビットでおもろい展開はなかったんかい!」

荒畑の言いようには身も蓋も無い。

「荒畑君いい加減にしてくださいね。

わたくし、おこりますよ?

大事に至らなくて本当に良かったです。

お顔のあざは痛くありませんか」

雪美の恐ろしいまでに静かで丁寧な口調に、荒畑は息を呑み表情筋を強張らせる。

円は『ざまーみろ』と雪美のグッジョブに少し溜飲を下げた。

指先であざに触れて来た雪美に昨夕のイメージを送り込む。

すると泣きそうになっていた瞳の曇りがたちまち晴れて、雰囲気も穏やかになった。

「三千円持ってかれて、交番で拇印付き調書を執られた以外にダメージはないよ。

心配してくれてありがと」

「昨日無理を言って送って頂いたのが仇になりました。

ごめんなさい。

マドカ君にもしもの事が有ったらわたくし・・・」

『双葉さんやルーさんにお詫びのしようがありません』

声を詰まらせた後に続く雪美の言葉は、心を読めない円にもまる分かりだ。

「いやー、僕も吉祥寺に回ろうなんて思わないでさ。

あのまま大人しく三鷹に出て家に帰れば良かったんだよね」

怖れと心配が嬉しさと安堵に変化した雪美のかんばせを横目に。

ここぞとばかりに荒畑が質の悪い笑みを浮かべる。

「加納君はいやしかしオモテになりますな」

円は大げさに溜息をつくと「そんなんじゃないよねぇ」と雪美に同意を求め肩を竦める。

雪美は再びあざに軽く触れると悪戯っぽい視線を円に投げかける。

そうして今度は、先程の憤りを含む清冽な横顔とは別人と見紛うばかりな表情を作る。

雪美は咄嗟に作った艶やかで蠱惑的な笑みを荒畑に向け、薄桃色の唇から真白な歯を零れさせた。

「あらあら、マドカ君ったら。

何を照れているのかしら。

もちろんそんなの、ですよ?」

荒畑は雪美から予想外のカウンターをくらい、酢を呑んだような顔に成る。

「三島にはかなわんな。

そんな調子でいつも加納を虐めてるのか?」

「それは酷い誤解ですわ。

思えばあの日からわたくしたちって相思相愛ですものねっ!マドカ君。

ポッ」

雪美は形の良い唇をまあるく開けて「ポッ」とオノマトペを発し、両の掌を押し当てた頬を薄っすらと上気させて場をまとめて見せた。

円は何か得体の知れない、UMAか何かを目撃したかのように眼を揺らし数歩後ずさる。

「分かった分かった。

三島がこんなにノリのいいやつだとは思わなかったよ。

降参だ、降参、俺の負け」

荒畑は手を上げて破顔さる。

「それにしてもだな。

加納が井の頭公園に踏み込んだのは、お前の気紛れ、たまたまであり偶然だろ?」

荒畑は以前、円と雪美が暴走族に暴行を受けた時とはまた違う意味で、状況が不自然だと言う。

ぶっさんなる不良Aから不良Jに至るまで。 

円の顔を知らないのに、円の名前と学校には覚えがあったのだ。

 そのことは当然ながら円も不審に思い、交番で調書を執られた時に真っ先に申し立てたものだ。

だが円の申し立ては、かえって警官の不信感を招く材料に成った様だった。

年齢に相応しからぬ円のふてぶてしい態度と相まり。

円を他の不良グループの一員と警官に誤解させる材料の一つとなったかもしれない。

学校への通報もその辺が原因になった可能性がありそうだった。

常々女性陣から口を酸っぱくして言われていることだが、口は災いの元である。

余計なことは言わぬが吉である。

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