第10話 “忘れえぬ女”と“民衆を導く自由の女神” 7

 交番に連れていかれた円は、拇印付きの調書を執られて「もう帰っても良い」と言われた。

「これでおしまいですか?」

そう尋ねると、やる気の無さそうな警察官は面倒そうな口調で「被害届を出すか」と聞いてくる。

通りすがりのちび高校生が強盗傷害にあったと言う事件なのに警察はいい加減だった。

まるで不良同士のいざこざみたいな扱いを受け、円としては憤慨に堪えないところである。

警察官が心底面倒そうなので、円はちゃんと被害届を出すと言い張り彼に仕事をさせた。

 後日、ルーシーや雪美に指摘されて円も気付いたことがある。

円は不良に絡まれて暴行され警察沙汰にまでなったのだ。

泣きじゃくってしかるべき状況だったろうに。まるで動揺の感じられないこの少年のふてぶてしさはどうしたものだろう。

ぼこぼこにされているはずなのに、左の頬に小さな青あざが出来ているだけ。

あとはとりたてて問題になるようなダメージも無い。

怯えるでもなく怒るでもなくへらへらしている円の不自然を、警察官が不審に思うのも無理からぬところだ。

 そう彼女たちは指摘した。

あくまで円が普通の高校一年生だと言い張るならばそれは良いだろう。

だが事件に遭遇したら遭遇した成りの作法というものがある。

まともに口もきけず状況の説明はおろか、自分の身に起こった災難をちゃんと認識することすら難しい。

それくらいの周章狼狽があって然るべきだろう。

警察官だって人の子だ。

そうやって狼狽え混乱し怯え切った被害者がいてこその事件だ。

そこまで作法を手順通り進めて初めて、庇護欲を掻きたてられる可愛げが生じてくる見当だろう。

彼女たちはそう言い放つと苦笑いをして肩をすくめたのだった。

 「怪我までした被害者に対する労りの姿勢がまったくなかったんだぜ」

警官の態度をふたりに憤慨してみせる円ではある。

だがルーシーと雪美はそれも無理無かろうと根拠を上げつつたしなめるのだった。

 共に非常識な境遇を共有する仲間ながら、円と比べればふたりはまだしもまともな感性を維持している。

事件当日、息せき切って帰宅した円は取る物も取り敢えず双葉に事情を話した(言いつけた)。

すると双葉は瞬時に沸騰し、不良と警官を悪鬼の如く罵(ののし)り呪詛の言葉で鉄槌を食らわせてくれたのだ。

警察に抗議の電話を掛けようとする双葉を、円は慌てて思い止まらせたが、大いに溜飲は下がった。

もし双葉が呪いをつかさどる魔女であったなら、確実に人死にが出ていたろう。

かてて加えてその夜は、ブラコン爆発で円を思う存分甘やかし慰めることに徹した双葉であった。

そのことはあらためて説明するまでもないだろう。

 そうした事実があったので、後日におけるルーシーと雪美の生温い反応に、円は少しく不満を覚えたのだった。

双葉の「よしよし」はブラコンの行き過ぎかもしれない。

けれども円は、身贔屓(みびいき)であろうが病的偏愛であろうが、目に見える形で自分が愛され大切にされることが大好きな少年だった。

 事件が明るみに出た月曜日以降。

校内や校外で、円の汚名を雪(すす)ぎ事を穏便に収めるために、ルーシーと雪美がどれだけ心を砕き暗躍したことか。

楽屋裏では弁護士事務所まで巻き込んだミッションが大規模に展開されていたのだ。

こと円が絡めば過剰反応に及んでしまうのは彼女たちも双葉と同様である。

けれども結局のところ。

円はそんなこととはつゆ知らず。

ただ拗ねまくるだけの恩知らずな小僧にすぎなかった。

 


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